39 あなたは、どれほどの違いを、彼が人間の諸々の魂とみ使いたちとの間に設けているかがわかるだろう。単に羊たちと他のものたちとの違いや、ドラクマと他のものとの違いではない。彼は、少し後の個所で、もっと大きなことを付け加えて、次のように言っている:

 『使徒が言っていること、すなわち『彼が、ご自分において二人の人から一人の新しい人を創造するために』という言葉は、前の言葉以上に、ユダヤ人たちと異邦人たちに当てはまるように思えるが、その言葉は、次のようにして目下の段落についての我々の理解に適応できるだろう。すなわち、彼は次のこと意図していたと、我々は考えることができよう:神の像と似姿とに従って創造された人間は、和解の後に、かつて持っていた形姿――み使いたちがいま持っているのと同じ形姿――を受け取るだろう。そして、彼が彼を新しい人間と呼ぶのは、彼が日毎に新たにされて、新しい世の内に住むことになるからである』。

してみると、人間たちの諸々の魂は、彼によれば、羊たちが羊たちと異なり、ドラクマがドラクマと異なる程度に異なる。そして人間たちは、今後、み使いたちがいま持っている形姿――人間たちは、かつて持っていたが、失ってしまった形姿――を持つだろう。したがって、彼らの間に、本性においても、姿や形においても、いかなる違いもないなら、学識ある人間が、自分の言ったことを別人が言ったとして、その別人を断罪するのを恥じないのを、私は不思議に思う――特に、それが、ブルガタ訳の解説でなく、使徒の真意の解説になっていることにあなたが気づくとき。しかし、同じ個所でさらに何が付け加えられているかを見るべきである。彼は、言う:

『そして、新しい人間の創造は、天における諸々のものと地における諸々のものが一つに結ばれ、我々が一つの霊の内に、一つの思いと考えの内に父に近づくとき、完全かつ十全に成し遂げられる。似たようなことが、パウロによって別の書簡の中で――ただしある人たちは、それを彼のものとして受け入れていないが――すべての思慮深い読者たちに示唆されている:『それらの人たちは皆、自分たちの信仰を証されて、約束を受け取ったのではない。なぜなら神は、私たちのために何かもっと善いものを与えてくださったからである。それは、彼らが、私たちを離れて完成されないようにするためである[1]』。それで、一切の被造物は、我々と共にうめき、産みの苦しみを味わっている[2]――我々は、この幕屋の中で苦しみ、神の畏れによって胎内に孕み、嘆き、神の子らの開示を待っている。そして一切の被造物は、いま隷属している束縛の虚しさから解き放たれることを待っている。それは、一人の羊飼いと一つの群れが存在するようになり、主の祈りにおける祈願が実現されるためである――『あなたの意志が、天においてと同様に地においても行われますように』と』。

したがって我々は、次のように理解しなければならない:天にある諸々のもとと、地にある諸々のもの、すなわち、み使いたちと人間たちは、かつては一つの姿形と一つの羊小屋を持っていた。そしてそのことは、彼らの将来の回復において、そのようになるだろう。なぜならキリストが、両者を一つの群れにするために来て、人間たちはいまのみ使いたちのようになり、彼らすなわち彼らの諸々の魂はかつてのようになるからである。そこで、私は尋ねる:一体あなたは――後に我々が見るように――どのような顔で、愉快そうに、否、愉快にではさらさなく、口汚く、あの哀れな婦人たちをあざ笑うのか。彼女たちは、自分たちの腹と腿をたたきながら、復活の後は、それらの脆い諸々の身体を持たず、み使いたちのようになり、彼らと同様の命を持つと言った。あなたは、それらの哀れな女性たちが、いまこれらの選りすぐりのあなた自身の諸々の注解からの抜粋として提示された諸々の事柄を言ったとして、彼女たちをからかいつつ辛らつに非難する。これは、まるで人が、他の人を窃盗のかどで告発しておきながら、盗まれたものを自分の上着の下に隠し持っているようなものだと、あなたは思わないのか。あたかも、窃盗の容疑を長く壮麗な熱弁で痛罵し、数々の証拠を提出し、然るべき形式で宣誓した後で――彼は、別の人にその窃盗の罪を帰したつもりでいた――盗まれた物品を自分の上着から引き出してきたようなものである。

 さらに、あなたは他の人たちも非難する――彼らがそれらの事柄について尋ねられても、すぐに答えず、ためらい、言葉よりも身振りを使うからという理由で。しかしあなたは次のように言う:使徒もほとんど同じことをした――少なくともその種のことを、彼の書簡の中で思慮深い人たちに「ほのめかした」と。もしもパウロが、それらの言葉らを明白に表明せず、「ほのめかした」――しかも誰にでもでなく、思慮深い人たちに――のであれば、なぜあなたは――我々はあなたに、あなた自身の諸々の誤り気づくように仕向けている――哀れな被造物である我々を笑うのか――使徒が明白に言明しなかった諸々の事柄について我々が次のように言うとき:我々はそれらの事柄を知らないか、疑っている;そして我々は使徒の意図の完全な理解ではなく、その暗示を得ているだけなので、我々はその解説を断定的に述べるのでなく、提案すると。目が見ず耳が聞かなかった諸々の事柄、人間の心に思い浮かばなかった諸々の事柄が、もしもあなたに啓示されていたなら、もしもあなたが完全な者に到達しており、部分的なものはあなたにとって過ぎ去ったとすれば、あなたは大声で叫び、真理を公言すべきであり、使徒が「ほのめかした」――と、あなたが言う――諸々の事柄をまったく明白にすべきである;彼がほのめかしたことも、断言したことも、あなたが我々に言うように、いまやあなたの手中に入ったのだからと。それらすべての事柄――あなたは、いま、我々がそれらを呪詛することを願っている――は、あなたが使徒の諸々の言葉の解説の中で使徒に帰している事柄であり、彼の数々の発言の中に含まれるものとして、あなたが教えた事柄である。



[1] He.11,39-40.

[2] Rm,8,22.

 

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