35 私は、それらの同じ教説に絶えず立ち返る彼の言葉を引用しているが、どうかあなたはそれらの言葉を辛抱強く聞いてください。もちろん私は、それらの教説に関して彼が述べたことをすべて引用するつもりはない。なぜならもしも私が、彼の言葉を汲み尽くそうとするなら、多くの巻を書く必要があるからである。私としては、このこと――すなわち、彼がいま自分の弟子たちに模倣するように提案しているそれらの考えを、彼はたまたま口走ったのではなく、詳細で頻繁な断言によってそれらを支持していること――を読者に示すのに十分なだけのことを書いている。われわれは、彼の極めて定評のあるそれらの注解の彼が我々に教えていることが何であるかを見てみよう。この同じ書の中で彼は、人間たちに、この代においても来るべき代においても、上昇したり転落したりする可能性があることを教えている。「一切の主権と力と権能と支配、ならびに、この代においても来るべき代においても命名されるあらゆる名をはるかに越えて」という言葉に続けて、彼は何よりも次のように言っている:

 『しかしながら、もしも諸々の主権と諸々の力と諸々の支配があるなら、それらには、それらを畏れ、それらに仕え、それらの威力から力を得る被統治者たちが必然的に存在しなければならない。そして諸々の役務のそのような等級は、この代においてばかりでなく、来るべき代においても存在するだろう。そして、次のことがあり得るにちがいない:ある人はそれらの多様な進歩と栄誉の段階を通って上昇し、ある人は沈降すること、上昇と下降があること、そして、我々の諸々の霊は、それらの諸力と諸徳と諸主権と諸支配の一つひとつを次々と通過すること』。

 

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