27 以上は、あなたが書いたすべてのもの中から、他のすべての事柄を犠牲にしてあなたが選び出したあなた自身の諸々の作品の中に見出すことのできる諸々の教えである。まさにこれらの注解の中で、それらの教えは書かれた。まさにそれらの注解の中に、それらの教えは書かれている。あなたが言うには、この可視的な世界が存在するようになる前には、不可視的な世界があった。そして、その(不可性的な世界の)中に、他の住人たち、すなわちみ使いたちとともに、諸々の魂もあったと、あなたは言う。そして、それらの魂は、神だけが知っている諸々の理由によって、この可視的な世界における誕生に際して諸々の身体の中に入ると、あなたは言う。あなたの言うところによると、それらの魂は、かつて天の住人たちであったが、、それらの魂がかしこに住んでいるときに行った或る諸々の業のゆえに、今はこの世界のここに住んでいる。あなたはさらに次のように言う:すべての聖人たち――たとえばパウロや彼に類する他の人たち――は、自分たちの宣教によって、それらの魂をそこから転落したところの元いた住居に呼び戻すために、神によって彼らの誕生に際して予定されていた。そして、あなたはそれらすべてを、(聖なる)諸々の文書からの極めて多くの証言によって、証明している。しかし、それらの言葉は、あなたが今、糾弾するオリゲネスの言葉ではないか。あなたはただそれらの言葉のゆえに、彼は断罪されるべきだと要求しているのではないのか。あなたは、そのような諸々の事柄を言う彼を除いて一体何を、あなたはあなたの諸々の著作の中で断罪するのか。そしてあなたが今、主張するように、もしもそれらの言葉が断罪されるべきであるとすれば、あなたは最初にそれらの言葉に判決を下すことになろうし、あなたはあなた自身を前もって断罪したことに気づくだろう。あなたに逃げ道はない。他人を非難するためのいかなる詭弁の余地もない。実にあなたは、悔い改め、改心し、矯正され、償いをすることによって、それらの書物に新たな権威の刻印を押したのである。それによって、あなたは、断罪されるべき諸々の教えに関して、あなたの見解がどのようなものであったかを我々に明らかにした。したがって、あなたがそこに書いた事柄は、あなたがそこで明白に主張している事柄だと見なされねばならない。あなたはそれらの書物の中で、断罪されるべきだと主張する諸々の言葉をみずから述べている。しかし、それはちがう!と、あなたは言うだろう:それらを言っているのは私ではない。「他の人」がそれらの言葉を語っている。その人を、いま私は、断罪されるべきだと主張しているのであると。それならば、もしもよろしければ、あなたが話しの主体を変えている特別な個所を思い起こすことにしよう。それによって我々は、その不可思議な学説を作り上げているとあなたが述べている人物が誰であるかを、我々は察知できる。あなたが言うには、この「別の人」が神は正しいことを証明しようと努力しているのであり、彼こそ、我々が上に書き記した諸々の事柄を述べている。以上の発言によって神が正しいことを主張するこの「別の人」が、あなた自身とは無縁の別人であると、もしもあなたが主張すれば、いったいあなた自身の見解は何であるかと、私は尋ねたい。あなたは、神が正しいことを否定していると、我々は言わなければならないのか。ああ、いかにも明敏で、諸々の目を奪われたモグラたちに厳しい偉大な指導者よ、あなたは、四方を閉ざされた窮地に立たされているように見える。あなたは、それらの事柄を主張する人と別人であり、彼に反対していると断言することによって、神が正しいことを否定しなければならない。あるいは、全教会が告白するように、神が正しいことをあなたが告白するなら、目下の諸々の言葉を述べているのはあなた自身である。その場合、あなたが「別の人」に下している判決は、あなた自身に降りかかり、あなたはあなた自身の槍で突き刺されることになる。神の裁きに先行するもっとも公正な裁判官たちを前にしたあなたの有罪宣言は、以上で十分であるあると、私には思われる。もちろん彼らは、自分の兄弟の目の中に塵を見て、自分自身の中にある梁を見ない人を断罪することはないだろう。むしろ彼らは、彼をより善い精神へと持ちきたらし、真の悔い改めへと導くように試みるだろう。

 

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