15 しかし、それに続く事柄を付け加えさえてもらいたい。私の序文はさらに次のように言っている:

「それらの諸々の不一致の諸々の原因を、私は、パンフィロスがオリゲネスの諸々の作品のために明瞭に書いた『弁明』の中で十分に表明した。私はその『弁明』に短い小論を付け加えた。私はその中で、私にとってまったく明瞭だと思われる数々の証明によって、次のことを明らかにした:彼の諸々の書物は、非常に多くの個所において、異端者たちと悪意ある人たちとによって改竄されていること、特に、あなたが私に翻訳するように依頼している諸々の書物、すなわち、『諸原理について』がそうであること。それらは、『諸々の始めについて』とも、『諸々の主権について』とも訳されるが、いずれにしても極めて曖昧で極めて難解である。実際、オリゲネスは、哲学者たちが一生を費やして真理を見出すことのなかった諸々の事柄を検討している。それらの事柄において、創造主への人間の信仰と、創造された世界に関する人間の推理――それは哲学者たちによって自分たちの諸々の不敬虔な目的のために利用される――を、キリスト教の著者は、真の信仰の支援に向かわせる。

 ここでもまた、私はあなたに、私の諸々の言葉に注意するように請う。そして私は、私が「創造主への信仰」と「創造された世界に関する推理」と述べたことに注目するように請う。なぜなら、神に関して述べられる事柄は信仰の領域に属し、諸々の被造物に関する我々の議論は理性の領域に属しているからである。続けて私は、次のように言った:

「したがって我々が、彼の諸々の作品の中に、三位について諸々の誤った定義を見出した場合には――彼はそれにつてい他の諸々の個所で真の信仰に即した自分の諸見解を述べているのであるあら――、我々は、それらの定義を、改竄されたもの、あるいは挿入されたものとして取り除いた。あるいは、著者が再三にわたって定めている信仰の規則に即した表現に変えた」。

 私は、それらのことを軽率に書いたのか。私は(ここで)、我々の信仰の規則に即した事柄を表明したと言ったのか――しかしそれは、明らかに、翻訳者の目的をはるかに越えているだろう。なぜなら翻訳者の務めは、単にギリシア語をラテン語に変えることだからである。むしろ私は、オリゲネス自身によって再三にわたって定められているのを見出す信仰の規則に即した諸々の表現と言った。さらに私は、次のことを付け加えた:

「私は次のことを認める:当該の論題に精通していない人たちに向けて書き、手早く述べたいと願う人がするように、彼が何かを不明瞭に述べた場合、私は、その個所をいっそう明瞭にするために、私が読んだことのある彼の他の諸々の作品の幾つかの中で、彼が同じ事柄について述べているより完全な表現を付け加えた。私は、ただ明瞭さのためにだけそうした。しかし私は、私自身の言葉で何も述べなかった。私は、彼の諸々の作品の他の部分の中に見出された真にオリゲネスの考えを、オリゲネスに回復させただけである」。

 

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