道得の中の言葉

 この巻の中で、ある一つのエピソードが紹介されます。
 それは、次のようなエピソードです。

 雪峰真覚大師の門下にいたある一人の僧が、山中で草をむすんで作った庵に住み独り修行に励んでいた。山中のこととて極めて質素な暮らしぶりであり、柄ついたひしゃくをつくり渓のほとりに行って水を汲んで飲んでいた。

 その噂が洩れ聞こえてきて、ある僧がその庵主を訪ね、「達磨大師が西より来られた意は如何」と問うた。
 庵主は
 「渓深くして勺柄長し」と答えた。

 雪峰はこのやりとりを伝え聞いて、直接確かめてみようと弟子に剃刀を持たせ、出かけた。
 雪峰は、庵主をみるや
「道得ならばなんじが頭をそらじ」と問うた。
 庵主は答えることなく、ただ頭をあらって雪峰の前に出た。
 雪峰はすなわち庵主の髪を剃った。

 このエピソードを、道元禅師は「この一段の因縁、まことに優曇の一現のごとし。あひがたきのみにあらず、ききがたかるべし。」とこの上なく高く評しておられます。
 優曇とは3千年に一度咲くと言われている優曇華の花のことです。

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