御旅所北側建築図面解説
八阪(坂)神社御旅所(北側)境内地社務所及大神宮設計図 縮尺三十分の一
 八阪神社御旅所(北側)稲荷及社務所并大神宮改築設計図 縮尺三十分の一
 八阪神社御旅所(北側)境内地建物改築設計図 縮尺五十分の一 





 八阪(坂)神社御旅所(北側)稲荷及社務所并大神宮改築設計図 縮尺三十分の一
古谷三代吉設計オリジナル図面・管理人蔵、
最終設計で建築されたものは、下図のようなものになった。2006/6/11



 古谷三代吉によって設計された、八阪(坂)神社御旅所(北側)稲荷及社務所并大神宮改築設計図 (縮尺三十分の一)、は実際には大神宮の設計された所が新京極通りに
接触し、稲荷社の横に、並ぶように設計変更された。
其の他の、外観上の変更部分は、大屋根の形状が、切妻から入母屋に変更された。
尚この建物は、昭和37年に解体されるまで、京都四条新京極の北東角に現存していた
そして現在交番のあるところに、四条線御旅町巡査派出所改築設計図 (平面図、五十分の一 断面図、三十分の一   側面図、三十分の一 正面図、三十分の一 断面図、三十分の一)が、古谷三代吉によって設計され,同時代まで現存する。
なお現在も派出所は時代を超えて同じところに容を変えて建っています。

(注)[管理人は八阪(坂)神社御旅所(北側)稲荷及社務所并大神宮改築設計図を公開するに就いて、八坂神宮の社務所を[平成18年(2006)5月31日(水)]訪問し、図面のコピーを宮司さんに見て頂いた結果、上記に述べた様な事柄が分かってきた。
そして八坂神宮の方でも、此処2〜3年ほど前からこういった図面の整理と調査を本格的に始められたそうです。
その結果、御旅所(北側)稲荷及社務所并大神宮改築設計図、御旅所(南側)境内地御輿庫及び手洗形改築設計図、等の設計図面(青焼)が多数確認され、データベース化を急いでおられるそうです。
管理人は取り壊されるまでの、御旅所(北側)稲荷及社務所并大神宮の青焼き図面を見せていただきましたが、残念ながらコピーは頂けませんでした。
しかし他の事柄に就いては宮司さんに、詳しく教えて頂き御礼申し上げます。]

 上記の写真の正面に見えるのが、御旅所の御本社です。
明治43年11月、御旅町は四条通りの拡張前には四条通りの北側にあって西をむいていた。

 明治34年10月3日より始まった、京都市道路擴築の為、古谷三代吉は、
明治43年1月15日より京都市道路擴築部に配置勤務となる。同年5月用地課に移籍。
京都市内、主に四条通りの区画整理に携わる。
地域の振興に尽くした功績を認められ、三代吉は四条(線)通、四条寺町界隈の神社、仏閣の建物の改修や新築の設計図面を多数描き、建築をも請け負い施工する。
其の一部の図面を現在管理人が所有し古谷三代吉設計図面で公開するものである。

 古谷三代吉は、明治44年4月18日・京都市建築主任技師に任命される。
明治45年(1921)4月27日・京都市臨時事業竣工電車開通式設備部事務官を当時の
京都市長川上親晴より任命される。

御旅宮本町・明治2年の見取り図です。
 明治34年10月3日より始まった、京都市道路擴築工事のため、明治44年には、上記の見取り図は大きく変更され、四条通り、御旅宮本町は凡そ今の町割りになる。
御旅宮本町(おたびみやもとちょう)
 四条通寺町東入る。この町は、中央部に四条通が東西に通る。
西部には寺町通が南北に通る。
東側は御旅町、西側は城巽学区の東大文字町、南側に貞安前之町、北側は立誠学区の中之町が隣接する。
 町名は、元禄9年(1696)「京都図」に、ならや丁、享保8年(1723)「京都図」奈良物丁、寛保元年(1741)「京大絵図」に御旅丁とあり、以後変更はない。
 「京都府地誌」によると{御旅宮本町 元八坂社御旅所境内の地。明治2年(1869)3月
新夕ニ庫此名称オ付ス。}とあり、八坂神社旅所周辺の町の由緒を記している。
「坊目誌」によると{天正以来。祗園明治2年祗園の社号を八坂神社と改む。
旅所の所在地にして。素より社地なれば町名なし。明治2年3月町地と為し。新に今名を下す。略して宮元町と呼べリ。
同45年(1912)道路開展の結果、殆んど町地を全滅し、僅かに北側に小許の地を余すのみ。道路拡張以前には旅所境内に楊枝を販く肆店軒を連ねたり。}とあり,祇園社への通路として早くから開けており、また楊枝を商う店が並んでいた。
明治45年に四条大宮、祇園間に市電が開通する際の道路拡張により町地が狭小した。
 現在は大部分を四条通りが占める小さな町。喫茶店などの店舗が並ぶ。
西部に新京極派出所がある。北部は中京区に接する。


 次回の公開予定は 八阪神社御旅所(南側)境内地御輿庫及び手洗形改築設計図
 四条線御旅町巡査派出所改築設計図 ・・・2006・7月頃予定

文責:明治の建築家ののこしたもの・三代吉記念館、管理人
本記録の無断転載は禁じます。2006・6・11

ここに掲載している論文、写真、設計図面、イラスト画像は個人的にプリントアウトするなどの場合を除き、
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其の他の書籍等に掲載は禁じます。管理人 2006・6・11



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