ところで、私たちは肉体の病を負っていると共に、
それ以上に心の中に多くの病と傷をもっているもの
である。しかし、イエス・キリストは、その十字架の
贖いを通して私たちの肉体ばかりでなく、心の病を
もいやして下さるお方なのである。主イエスは私たち
をいやし、強めて、自由にし、解放するために十字架
にかかられ、復活されたお方である。それ故に私た
ちは、はばかる事なく主の十字架の前に、その光の
中に自らを運び行き、自分自身の心の内側にある問
題を、その悪しき根を、まず示されるよう願おうでは
ないか。そしてそれが示されたならば、いやしの第
一歩が始まったという事である。
繰り返すが、私たちは自分のあずかり知らないところ
で傷を受けているように、自分自身の罪によっても傷を
負っているものである。そして、それらの傷は、私たち
私たちは肉体的に健全であると共に、精神的にも健
全でありたいと思う。そのために神が遣わされた救い
主、イエス・キリストの十字架の贖いと、すべてに浸透
して下さる主の血潮によって、肉体の病と共に、その
内なる傷を、霊の部分、無意識の部分に至るまで、
いやしていただこうではないか。そして更に、豊かな
健康的な生き方をしていきたいと思う。それには、主
の光の中で、恵みの光の中で、私たちの内なる幼児
をしっかりと見せていただこう。私たちの内なる傷が
何であるかという事を、自分自身がはっきり認め、自
覚して、「主よ、どうぞ、この幼い子をいやして下さい。
わが内なる幼児をいやして下さい。この傷ついている
幼児をいやして下さい」と祈り求めていこう。そしてそ
の時に、主は一人ひとりの内側に臨まれ、内なる
いやしの完成へと導いて下さるのである。
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