■手束正昭著「命の宗教の回復」より
           (キリスト新聞社刊)

      カリスマによるいやしと解放
       心のいやし−内なるいやしを体験していく道程     (6/6頁)
    
         ところで、私たちは肉体の病を負っていると共に、

         それ以上に心の中に多くの病と傷をもっているもの

         である。しかし、イエス・キリストは、その十字架の

         贖いを通して私たちの肉体ばかりでなく、心の病を

        もいやして下さるお方なのである。主イエスは私たち

        をいやし、強めて、自由にし、解放するために十字架

        にかかられ、復活されたお方である。それ故に私た

        ちは、はばかる事なく主の十字架の前に、その光の

        中に自らを運び行き、自分自身の心の内側にある問

        題を、その悪しき根を、まず示されるよう願おうでは

        ないか。そしてそれが示されたならば、いやしの第

        一歩が始まったという事である。


         繰り返すが、私たちは自分のあずかり知らないところ

        で傷を受けているように、自分自身の罪によっても傷を

        負っているものである。そして、それらの傷は、私たち


        の知らない無意識の領域で蓄えられ、呪いとして、

        否定の力として私たちをむしばみ、苦しめ、私たち

        の知らないところでこの力が私たちの人間関係を

        破壊していくのである。この力が私たちの生活を

        歪め、健康を歪めて、私たちをしてその内側から

        崩壊させていくのである。








    



         私たちは肉体的に健全であると共に、精神的にも健

        全でありたいと思う。そのために神が遣わされた救い

        主、イエス・キリストの十字架の贖いと、すべてに浸透

        して下さる主の血潮によって、肉体の病と共に、その

        内なる傷を、霊の部分、無意識の部分に至るまで、

        いやしていただこうではないか。そして更に、豊かな

        健康的な生き方をしていきたいと思う。それには、主

        の光の中で、恵みの光の中で、私たちの内なる幼児

        をしっかりと見せていただこう。私たちの内なる傷が

        何であるかという事を、自分自身がはっきり認め、自

        覚して、「主よ、どうぞ、この幼い子をいやして下さい。

        わが内なる幼児をいやして下さい。この傷ついている

        幼児をいやして下さい」と祈り求めていこう。そしてそ

        の時に、主は一人ひとりの内側に臨まれ、内なる

        いやしの完成へと導いて下さるのである。



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