カリスマによるいやしと解放 |
心のいやし−内なるいやしを体験していく道程 (1/6頁) |
アブラハムはそこからネゲブの地に移って、カデシとシュル
の間に住んだ。彼がゲラルにとどまっていた時、
アブラハムは妻サラのことを、 「これはわたしの妹です」と
言ったので、ゲラルの 王アビメレクは、人をつかわしてサラ
を召し入れた。
ところが神は夜の夢にアビメレクに臨んで言われた、「あな
たは召し入れたあの女のゆえに死なねばならない。彼女は
夫のある身である」。
アビメレクはまだ彼女に近づいていなかったので言った、「主よ、
あなたは正しい民でも殺されるのですか。
彼はわたしに、これはわたしの妹ですと言ったではありませんか。
また彼女も自分で、彼はわたしの兄ですと言いました。わたしは
心も清く、手もいさぎよく、このことをしました」。
神はまた夢で彼に言われた、「そうです、あなたが清い心を
もってこのことをしたのを知っていたから、わたしもあなたを
守って、わたしに対して罪を犯させず、彼女にふれることを
許さなかったのです。
いま彼の妻を返しなさい。彼は預言者ですから、あなたのた
めに祈って、命を保たせるでしょう。もし返さないなら、あなた
も身内の者もみな必ず死ぬと知らなければなりません」。
そこでアビメレクは朝早く起き、しもべたちをことごとく召し集めて、
これらの事をみな語り聞かせたので、人々は非常に恐れた。
そしてアビメレクはアブラハムを召して言った、「あなたはわれ
われに何をするのですか。あなたに対してわたしがどんな罪を
犯したために、あなたはわたしとわたしの国とに、大きな罪を負
わせるのですか。あなたはしてはならぬことをわたしにしたの
です」。
アビメレクはまたアブラハムに言った、「あなたはなんと思って、
この事をしたのですか」。
アブラハムは言った、「この所には神を恐れるということが、
まったくないので、わたしの妻のゆえに人々がわたしを殺すと
思ったからです。
また彼女はほんとうにわたしの妹なのです。わたしの父の娘
ですが、母の娘ではありません。そして、わたしの妻になった
のです。
神がわたしに父の家を離れて、行き巡らせた時、わたしは
彼女に、あなたはわたしたちの行くさきざきでわたしを兄で
あると言ってください。これはあなたがわたしに施す恵みで
あると言いました」。
そこでアビメレクは羊、牛および男女の奴隷を取って
アブラハムに与え、その妻サラを彼に返した。
そしてアビメレクは言った、「わたしの地はあなたの
前にあります。あなたの好きな所に住みなさい」。
またサラに言った、「わたしはあなたの兄に銀
千シケルを与えました。これはあなたの身に起った
すべての事について、あなたに償いをするものです。
こうしてすべての人にあなたは正しいと認められます」。
そこでアブラハムは神に祈った。神はアビメレクと
その妻および、はしためたちをいやされたので、
彼らは子を産むようになった。
これは主がさきにアブラハムの妻サラのゆえに、
アビメレクの家のすべての者の胎を、かたく閉ざ
されたからである。
(創世記20:1−18) |
私は懐かしいこの地に入った瞬間、ふと不思議な感情
に襲われたのである。喜びと感謝に溢れていたはずの私
の心の中に、何か分からない深い悲しみの感情が押し寄
せてきて、涙がとめどなく溢れ出してきたのである。旅行中
なので少し感傷的になったのかと一瞬思ったが、その時、
私の瞼の裏にはっきりと一つの光景が描き出されてきた。
それは、私がまだ幼かったころの事であった。

私は嬉しいにつけ、悲しいにつけ一人でこの公園
によく来たものだ。当時は杉がうっそうと茂っている
社であった。私は旧満州で二歳で母と死別し、父は
その後関西で再婚していたので、結城に住む父方
の祖父母の世話になっていた。そこには父の弟もい
て、この叔父は特攻隊の生き残りで大変気持ちの
荒んでいた人であった。今にして思えば無理もない
事である。それまで正しいと思っていたことが終戦
と共に間違いだとされ、叔父も自分の気持ちのもっ
て行き場がなかったのであろう。よく私を殴ったり
蹴ったりして乱暴を繰り返した。その他にも、両親
がいないという事は、何かにつけて惨めで辛く悲し
い事も多くあった。  |
そんな時、私はじっと我慢して、この社
へ走って行っては、いつもの大きな杉の
木に顔を埋めて怒りと悲しみをぶつけた
ものである。そう、何度杉の木めがけて
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一目散に走って行って泣いた事であろう。久しぶりに
この社に立ったその時、長い間すっかり忘れていた
幼いころの、あの辛く悲しい思い出がありありと私の
瞼の裏に浮んできたのである。この幼児期、そして
少年期の悲しい思い出が、私の深い部分で心の傷
になっていたという事を、私はその時、はっきりと自覚
したのである。あの時受けた深い傷が、私の他者に
対するある種の警戒心、怖れをもたらせていたという
事が、涙とともに分かったのである。人間は誰でも傷
つけられたくないものである。私もこの幼児期、少年
期の深い心の傷のために、二度と傷つきたくないと
いう警戒心を人々に対して強く持っていたようである。
そのために、私は人と気楽に親しくなることができず、
深い付き合いは苦手であった。おそらくこの幼い日の
辛く悲しい経験が傷となって、無意識的に人々を拒否
していたのだという事が、その時はっきり分かったの
だった。
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