■手束正昭著「命の宗教の回復」より
           (キリスト新聞社刊)

カリスマによるいやしと解放 
       呪いからの解放−因縁を断ち切っていく術策  (5/5頁)

        最後に私は自分自身の家系について語ることにより、
  
       今私がアブラハムの祝福にいかに与かっているかを証し
   
       したい。私の祖父はかつて将来を嘱望された役人であった。

       けれども祖父は役人生活が嫌で、四十歳の若さで田舎に

       引っ込み、農業を生業とした。祖父は大変地味な人で

       寡黙であり、およそ社交的ではなかった。一方、私の父は

       ある意味では祖父と反対で、実業家となり社交的な派手な

       性格である。ところが祖父とは全く対称的に見えながら、

       ある部分で共通項があった。それは、二人とも長男であり、

       恐妻家であるという点である。祖父も父も長年妻と性格が

       合わず苦しみ悩んできたというのが二人の共通した事項

       である。祖母は私にとっては母親代わりの良い人であったが、

       私の父は、祖母は気が強く、女性らしくなく、あまり好きに

       なれないと、よくこぼしていたものだ。ところがその父が、

       私を産んだ母と死別した後、寂しさのためか、直ぐに再婚

       した相手は、自分の母と全くよく似た性格の女性であった。

       父の言うところによると、生前、祖母も義母も、互いに反目

       し合っていたにも拘わらず実に多くの点で共通項があった

       という。まず祖母も義母も共に商売人の娘であって、きわめて

       現実的かつ打算的な性格である。もちろん商売人がみな

       そうというわけではないし、それが悪いというわけではない。

       また二人とも大変顔立ちが良く、勘が鋭く、しかも強い性格

       をもっている。その上、体もいたって丈夫であるので、両方とも

       信仰に対して余り理解しようとしない。二人共、即物的であり

       唯物論的思考の強い女性であるという。恐らく私の祖父から

       見ると、この祖母は大変あつかいにくい女性であったに違い

       ない。事実そのために、祖父は悩み苦しんだ形跡がある。

               
      
        私の父は、その事をよく知っていたにもかかわらず、自分の

       母と同じような傾向の女性と再婚してしまったのである。

       これはソンディの理論にかなっている。そして私もこの理論

       からいくならば妻との関係に苦しみ悩む人生を送るはずに

       なっていたのである。しかし感謝すべきことには、そうは

       ならなかった。なぜ私の身の上にはこの家族的無意識による

       悲劇が起こらなかったのか。これこそ、神の深い恩寵、十字架の

       贖いの御力をいただいたからである。パウロやペテロの言う

       “アブラハムの祝福”を与えられている故である。私の無意識

       では、祖母のような女性を選択しようとする衝動が確かに働いて

       いたにもかかわらず、イエス・キリストの十字架の贖いと、救いの

       力は家族的無意識の中の呪いから私を解放し、アブラハムの

       祝福の継承者として下さったのである。ハレルヤ!

       (「続・キリスト教の第三の波」210頁参照)。


        私たちはすでに主イエス・キリストの十字架の贖いの恵み

       によって、すでにアブラハムの祝福の中に入れられている。

       すべての呪いから断ち切られ、解放されて、祝福の人生を、

       勝利の人生を歩む者とされていることを感謝しようではないか。

       今や聖霊という祝福の霊によってコントロールされ、祝福の

       霊による衝動が私たちの内側にみなぎり溢れているのである。

       今私たちは主の十字架の贖いの恵みを更に深く受け入れ、

       そこに惜しみなく注がれているアブラハムの祝福を、私たちの

       霊の内に迎え入れようではないか。


                5/5頁