カリスマによるいやしと解放 |
呪いからの解放−因縁を断ち切っていく術策 (1/5頁) |
アブラハムの時にあった初めのききんのほか、またききんが
その国にあったので、イサクはゲラルにいるペリシテびとの王
アビメレクの所へ行った。
その時、主は彼に現れて言われた、「エジプトへ下ってはなら
ない。わたしがあなたに示す地にとどまりなさい。
あなたがこの地にとどまるなら、わたしはあなたと共にいて、
あなたを祝福し、これらの国をことごとくあなたと、あなたの
子孫とに与え、わたしがあなたの父アブラハムに誓った誓
いを果そう。
またわたしはあなたの子孫を増して天の星のようにし、あな
たの子孫にこれらの地をみな与えよう。そして地のすべての
国民はあなたの子孫によって祝福をえるであろう。
アブラハムがわたしの言葉にしたがってわたしのさとしと、
いましめと、さだめと、おきてとを守ったからである」。
こうしてイサクはゲラルに住んだ。
その所の人々が彼の妻のことを尋ねたとき、「彼女はわたし
妹です」と彼は言った。リベカは美しかったので、その所の
人々がリベカのゆえに自分を殺すかもしれないと思って、「わ
たしの妻です」と言うのを恐れたからである。
イサクは長らくそこにいたが、ある日ペリシテびとの王アビ
メレクは窓から外をながめていて、イサクがその妻リベカと
戯れているのを見た。
そこでアビメレクはイサクを召して言った、「彼女は確かに
あなたの妻です。あなたはどうして『彼女はわたしの妹で
す』と言われたのですか」。イサクは彼に言った、「わたし
は彼女のゆえに殺されるかもしれないと思ったからです」。
アビメレクは言った、「あなたはどうしてこんな事をわれわれ
にされたのですか。民のひとりが軽々しくあなたの妻と寝る
ような事があれば、その時あなたはわれわれに罪を負わせ
るでしょう」。
それでアビメレクはすべての民に命じて言った、「この人、
またはその妻にさわる者は必ず死ななければならない」。
(創世記26:1−11)
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聖書の偉大さは神の全き恩寵の主張と共に、人間の弱さ、
醜さも包み隠さず語っているところにある。「信仰の父」として
尊敬されるべきアブラハムが、その若き日の過ちによる心の
傷から、困難に立ち至ると自己保身のために妻サラを売り渡
すという卑劣な行為を繰り返した事も隠さない。既述のごと
く、アブラハムはその生涯の中で、飢餓でエジプトへ逃れ
た時に、パロを怖れて初めて妻を売り、更にゲラルのペリシテ
の王、アビメレクの所へ流れて行った時、ここでももう一度、
妻サラをアビメレクに売り渡し、保身にこれ努めるのである。
ところで、創世記20章を見てみると、何とこの同じ卑劣な
行為が、アブラハムの息子イサクの上にも起ころうとして
いるのには愕然とする。イサクは信仰的な家族の中で、
皆から愛されて育った、いわゆる“育ちの良い”人物である。
なぜこのイサクが、このような行動に走ろうとしたのだろうか。
イサクは父のような過ちによる結婚をしてはいない
(前掲説教「心のいやし」参照)。

 彼と妻リベカとの結婚は、神の祝福にかなった結婚で
あった。アブラハムは、その若き日の過ちによる深い心の
傷から無意識的にサラを拒絶するという行動に走ったので
あるが、イサクの場合はそうではないはずだ。イサクは
アブラハムのようにその人生において辛酸をなめる事も
なく、信仰的にも霊的にも良き雰囲気の中で育てられた
“育ちの良いオボッチャン”に他ならなかった。その彼が、
なぜ父と同じように、自らの妻を売り渡そうとするような
行動をとったのだろうか。これは、大変理解に苦しむ事柄
である。
この件について ある聖書注解者は「イサクは父アブラ
ハムの失敗について幾度となく聞かされていた。そして
彼は、その従順な性格の故に、偉大な父の弱点をも受け
入れてしまったのだ」と説明するのである。果たしてそう
だろうか。
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