司馬遼太郎の「関ヶ原」という面白い小説がある。この
小説の優れた点は、司馬遼太郎が石田三成という人物
を再評価した点にある。これまで三成はあまり評判のよ
くない人物であった。野心にかられて無謀な戦いを起して、
挙句の果てには負けて豊臣家滅亡のきっかけを作ったと
評されてきた。しかし司馬遼太郎は、そのような定説を
ひっくり返した。この三成という人物は、誠に義に生きた
人物であったという観点から再評価し取り上げていくの
である。その義を貫くために、彼は打倒家康に立ち上がった。
秀吉が死んだ後、諸国の大名たちは太閤殿下の恩を忘れ、
寄らば大樹の陰とばかりに家康の方になびいていく。その上、
当時作られた様々な秩序や約束が踏みにじられていくことに
我慢ならない三成は、このまま家康をのさばらしておいては
豊臣家は滅びてしまうと案じ、それでは太閤殿下に申し訳ない
と立ち上がるのである。しかし彼は敗北という深い絶望感の
中で落ちのびていくことになる。そしてその中で、人は所詮義
では動かない。むしろ利、損得によって動いていくということを
嫌というほど思い知らされていくのである。あれほど太閤殿下
に恩のあった大名たちがなぜ裏切り、家康についていったのか
どうしても理解できない。そして彼は思う。「孟子よ、あなたの
教えはうそではなかったか」。あの中国の孟子は「義による
政治」ということを訴えた。しかしそれは空論ではなかったか。
義は現実の世では少しも通らないではないかと、反問をしながら
逃げていくのである。彼の深い絶望感は戦いに負けたという
よりも、義というものが無残に踏みにじられていったということ
についての絶望感であったのである。しかしこの時、一つの
光が彼の心の中に投げかけられていく体験をする。

逃亡の末、ある村にたどり着いた三成は、一人の村百姓
与次郎太夫に匿(かくま)われることになる。与次郎太夫は、
三成をかばうためにわざと妻を離縁し、子どもと共に実家に
帰らせる。当時、逃亡者を匿うと一族郎党皆処刑されるという
おふれが出ていたからである。三成を匿うということは自分自身
が死ぬ覚悟はもちろん、家族にまで災害が及ぶかもしれないと
いう一大事であった。なぜこの一農民が、ここまで健気(けなげ)
な行動に出たのか。なぜ多大な犠牲を覚悟してまで三成を匿
おうとしたのであろうか。それは以前、この村で冷害が起こった
時、領主である三成が農民たちに対し租税を免除し、そして
それだけでなく百石の米をも逆に与えたということがあった。
そのような未だかつてない慈悲深い措置に対する驚きと感激、
感謝の思いを持ち続けていた与次郎太夫は、この時の恩義を
忘れず、全てを捨てて、今や落ち武者となった領主を匿おうと
したのである。
三成は人の世のはかなさというものに深く傷ついていたが、
この一農民の献身的な行為に慰められ、むせび泣く。そして
与次郎太夫を呼び寄せ、このように言う。「その方(ほう)の
義を義で返したい」と。与次郎太夫の行為に心から感謝して
の言葉である。「自分が逃げたならばそれは義を貫いたこと
にならない。むしろ義を貫くために、私自身を訴えて欲しい、
訴えなさい」と勧めるのである。せっかく義をもって自分に
遇してくれた相手を死なせることは、義にかなわないという
のである。そして三成はこの百姓に説得あいつとめて、つい
にわざわざ捕らわれていく。これは大変感動的な場面である。
司馬遼太郎はこの小説を通して、義の理を貫いて生き抜いた、
たぐい稀なる人物としての石田三成を遺憾なく描き出したかっ
たのである。
2/5 
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