カリスマによるいやしと解放 |
神の御業を妨げるもの−奇跡が起こされる原則 (1/5頁) |
スリヤ王の軍勢の長ナアマンはその主君に重んじら
れた有力な人であった。主がかつて彼を用いてスリヤ
に勝利を得させられたからである。彼は大勇士であっ
たが、らい病をわずらっていた。
さきにスリヤびとが略奪隊を組んで出てきたとき、イス
ラエルの地からひとりの少女を捕えて行った。彼女は
ナアマンの妻に仕えたが、
その女主人にむかって、「ああ、御主人がサマリヤに
いる預言者と共におられたらよかったでしょうに。彼は
そのらい病をいやしたことでしょう」と言ったので、
ナアマンは行って、その主君に、「イスラエルの地から
きた娘がこういう事を言いました」と告げると、
スリヤ王は言った、「それでは行きなさい。わたしはイス
ラエルの王に手紙を書きましょう」。そこで彼は銀十タラ
ントと、金六千シケルと、晴れ着十着を携えて行った。
彼がイスラエルの王に持って行った手紙には、「この
手紙があなたにとどいたならば、わたしの家来ナアマン
を、あなたにつかわしたことと御承知ください。あなたに
彼のらい病をいやしていただくためです」とあった。
イスラエルの王はその手紙を読んだ時、衣を裂いて
言った、「わたしは殺したり、生かしたりすることので
きる神であろうか。どうしてこの人は、らい病人をわた
しにつかわして、それをいやせと言うのか。あなたがた
は、彼がわたしに争いをしかけているのを知って警戒
するがよい」。
神の人エリシャは、イスラエルの王がその衣を裂いたこ
とを聞き、王に人をつかわして言った、「どうしてあなたは
衣を裂いたのですか。彼をわたしのもとにこさせなさい。
そうすれば彼はイスラエルに預言者のあることを知る
ようになるでしょう」。
そこでナアマンは馬と車とを従えてきて、エリシャの家の
入口に立った。
するとエリシャは彼に使者をつかわして言った、「あなた
はヨルダンへ行って七たび身を洗いなさい。そうすれば、
あなたの肉はもとにかえって清くなるでしょう」。
しかしナアマンは怒って去り、そして言った、「わたしは、
彼がきっとわたしのもとに出てきて立ち、その神、主の
名を呼んで、その箇所の上に手を動かして、らい病を
いやすのだろうと思った。
ダマスコの川アバナとパルパルはイスラエルのすべての
川水にまさるではないか。わたしはこれらの川に身を洗っ
て清まることができないのであろうか」。こうして彼は身を
めぐらし、怒って去った。
その時、しもべたちは彼に近よって言った、「わが父よ、
預言者があなたに、何か大きな事をせよと命じても、あ
なたはそれをなさらなかったでしょうか。まして彼はあな
たに『身を洗って清くなれ』と言うだけではありませんか」。
そこでナアマンは下って行って、神の人の言葉のように
七たびヨルダンに身を浸すと、その肉がもとにかえって
幼な子の肉のようになり、清くなった。(列王記下5:1−14)
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全能なる神の御業を自分の身に体験したいという願いと
求めを、クリスチャンなら誰でも持っている事だろう。しかし、
その願いと求めを持っているにもかかわらず、私たちの内側
には、それを妨げ、神の御業を起こさせないところの力が隠
されてはいないだろうか。この神の御業を妨げるものは何か。
この事について旧約聖書の中の神のいやし、奇跡を体験し
た有名なナアマン将軍の物語を通して見ていきたい。
当時、イスラエルとスリヤはしばしば戦争状態にあり、
スリヤ軍の指揮をとってイスラエル軍を悩ましたのが
ナアマン将軍である。ちょうどこの時期は、何年かの
休戦期間で、和平の状態が保たれている時であった。
スリヤ軍の名指揮者ナアマンは、単に武略に優れた軍人と
いうだけではなかった。彼は人間的にも大変立派な人物で
あったために、主君に重んじられ、部下からも民衆からも
愛され、尊敬を勝ち得ていた。この名声、尊敬、そして
強さにおいて右に出る者はないといわれたスリヤ軍の
名将軍ナアマンにも、大変深刻な悩みがあった。それは、
彼が当時の人々の忌み嫌う“らい病”(現代のハンセン病
と同じものであるかどうかについては議論がある。新共同
訳聖書では、「重い皮膚病」と訳している)にかかっていた
という事である。
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