だから、あなたがたはこう祈りなさい、天にいますわれらの父よ、御名があがめられますように。
御国がきますように。
みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように。
わたしたちの日ごとの食物を、きょうもお与えください。
わたしたちに負債のある者をゆるしましたように、わたしたちの負債をもおゆるしください。
わたしたちを試みに会わせないで、悪しき者からお救いください。
もしも、あなたがたが、人々のあやまちをゆるすならば、
あなたがたの天の父も、あなたがたをゆるして下さるであろう。
もし人をゆるさないならば、あなたがたの父も、あなたがたのあやまちをゆるして下さらないであろう。
(マタイによる福音書 6:9−15)
『今、アメリカで何が起きているか−誰もが誰もを訴える―』という興味あるテレビ・ドキュメントがあった。
この番組は今日アメリカにおいて頻繁に起こっているところの「訴訟」という問題を取り上げ、
この"誰もが誰もを訴える"という風潮がアメリカ社会全体に蔓延して、
一つの社会現象ともなってきている現状を報告している。
人間同士の信頼関係の構築や、
互いに赦し合い助け合うという事が極めて難かしくなってきたというのである。
人々は直ちに他者を法廷に訴えるために、互いに疑心暗鬼となってしまい、
他者に対して気をゆるせなくなってしまっている悲しい現実があるという。
例えば、人々の集まる所どこへ行っても必ずそこには、
「このところで起こる一切の出来事について当方は責任を負い兼ねます」という
警告の看板が掲げられている。
その所で事故や事件が起きると、必ず誰かが誰かを訴えるからである。
そして困ったことには、教会の中にもこの看板が貼られて、
今やアメリカ中あらゆる所で訴訟を未然に防ぐための警告看板が目に付くというのである。
更に、その訴訟を代理する弁護士を訴える専門の弁護士がいて、
しかもその弁護士もまた訴えられているという笑い話のような事が実際に起こっているというのである。
これは人を赦すということを忘れ、誰もが正義漢となり、そして被害者となっている、
"病めるアメリカ"の姿が浮き彫りにされていて大いに考えさせられた番組であった。
この事に関して私は、一九八七年四月に来日したアメリカの「内なるいやし」の専門家、
べティ・タップスコット女史から聞いた意味深い一つの詩を思い起こした。
その詩は、私達カリスマの恵みに与かった教役者の参加の下に行なわれた
聖霊セミナーの講義に先立って引用されたものである。
「もし私達の最も大きな必要が知識であったなら、神は私達に教育者を送ったことでしょう。
もし私達の最も大きな必要が技術であったなら、神は私達に科学者を送ったことでしょう。
もし私達の最も大きな必要がお金であったなら、神は私達に事業家を送ったことでしょう。
しかし、私達の最も大きな必要が赦すということであったので、神は私達に赦し主を送られたのです」。
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