秀真伝(ほつまつたへ)

秀真文字と称する神代文字で記された五・七長歌体の叙事詩。
全巻四〇章から成り、前篇二八章は、神武天皇の命により五十鈴媛の兄、大物主櫛甕玉命が、
後篇十二章は、景行天皇の代、太田田根子が編纂したとされている。

世に知られるようになったのは、松本善之助著『ホツマツタへについて』、
『ホツマツタへの成立』の二冊子が発行されてからである。(昭和20年以降委)

弓削道鏡によっく焚書されかかったのを、大加茂臣赤板彦が命と引きかえに救い
子孫に伝えたという。

その後、徳川時代になり、子孫に後嗣なく、散逸しかけたのを、
京都の神官、小笠原通当が近江国高島郡三尾神社で発見した。

その後、下関赤間神官宮司の小笠原長弘、宇和島小笠原長武に伝えられた。
三尾神社には安永四年の奥付のある三輪容聡の漢訳本が神宝として保管されているという。

この書は、国常立命から日本武尊の白鳥三陵の悲歌で終っている。

また、「天鈴(アスズ)暦」という暦にで神武前数千万年の「歴史」をあらわしている。
「天鈴暦」
「天鈴」と称する巨木があり六万年に一度植えつがれるといい、その六万年を
以て一鈴と数えるものである。

天照大神が男神で十二人の后を持っていた
太古の神都を仙台地方に措定したり、

HP作成者一言
いまだ、全容がわかりませんが、経緯的には興味深いと思います。