上津文(うえつふみ)
貞応二年(1223年)、豊後国守護大友能直が常陸の国新治郡の富田某の家に伝わった
『新はりの記』、及び『高千穂宮司家文』、『日向国主元雄伝書』を三大底本とし、『出雲国造上世紀』、
『常陸鹿島国造文』、『筑前後老家文』、『阿波田村記』等々の古文献を重要資料として編纂した「史書」である。
このため、別名『大友文献』とも呼ばれる。

神武天皇以前にウガヤフキアエズ王朝七十三代の存在し、ウガヤフキアエズノミコト(『記紀』では、ヒコホホデミノミコト(海幸・山幸の山幸)の子で神武の父)は、ホホデミの子である初代ウガヤ王と、神武の問に七十一代のウガヤ王が介在し、神武はウガヤ朝七十三代の王とされている。

ニニギ朝に先行するものとして、スサノヲに始まる出雲王朝七代の「歴史」が伝えられている。

ウガヤ王朝三代の世には、猿をモルモットとして、解剖投薬実験が試みられ、内臓の諸機関とその役割についても把握されていたという。
ウガヤ朝四代にはオルシ国アカヰステの軍隊が来冠、
七十一代の世には大和のナガスネヒコ(白人国ユグトグブルが援助)が反乱を起し、
この反乱鎮定のため、東征軍が編成され、九州から大和へ遷都神武朝の開幕となる。

イザナギ・イザナミの国生みに関して「外八州」という概念が見られ、「エゾ」、「オロ」、「イキツムロ」、
「イクツフキ」、「カル」、「リキウ」、「アモ・アカ」、「ココカル・ウカル」といった地名が書かれている。


一般には、明治十年、吉良義風が『上記鈔訳』を著してから世に知られるようになった。
同書の序文に、「『上津文』には宗像家に伝わった宗像古伝本と、大友家に伝わった大友古伝本があった」
と書かれている。

宗像本は、明治六年(1874年) の大分県洪水で流失、大友本(写本)は大分県立図書館、国会図書館、
内閣文庫などにも所蔵されている。
HP作成者一言
僕だけのイメージですが、「竹内文書」「宮下文書」と、「上津文」は印象が違い、なんとなく、アカデミックな感じがします。
ウガヤ73代は共通しており、すべての元本ではないでしょうか。