富士吉田市郊外の小室神社の宮司、宮下家に保管される古文書・古文献の総称。
『徐福文献』、『富士文献』とも呼ばれる。
孝霊天皇の七十三年、秦の徐福が眷属五百余人をつれて渡来、富士山麓の「阿祖山太神宮」の神主
三十六家に伝わる神代文字で記録されていたものをまとめた『徐福十二史談』他、
徐福の子孫、秦徐光や秦福永や応神天皇時代の大宮司大山守皇子等がまとめた
『開闢神代暦代記』がある。

『徐福十二史談』は神武以前の「歴史」を伝える史書・系譜を指すもので、
明治二十六年発見?され、大正六年、『神皇記』(隆文館刊)という
五〇〇ページ余りの本にして発表したもの。

それによると
天之世之神七代、天之御中代世火高見神十五代、高天世天神七代、
豊阿始原世地神五代、そしてウガヤ朝と続くとある。

天之世七代、天之御中代十五代がアジア大陸に存したとしている。
太古の「神皇」は、天笠(アマツクニ)にあり、「天之御中代十代の神皇、
豊山毘古よりわかれた神皇族が、ペルシャの東北部、オクッス河(現アム河)
ヤクザテス河(現シル河)の地に移り、天笠真郡州(アマツマグリノクニ)を開いた」 
とされている。

高天世初代以降、豊阿始原世四代ヒコホホデミノミコトが九州高千穂に遷都するまで、
富士に神都がおかれていた。
遷都後も、豊阿始原世第一代天照大御神が富士山麓の小室に造営した神祖神宗を祭る
日本で最初の神社「阿祖山太神官」は絶大の権威をもち、ウガヤ五十一代の各天皇は
必ずこの「神社」で即位式を行なったという。
宮下文書(みやしたもんじょ)
HP作成者一言
「上津文」「竹内文書」とこの「宮下文書」は神武以前にウガヤ王朝72or73代の部分が妙に一致しており、
なんかわくわくして読んでました。
SF的な読み物としても上質なものだと思います。(偽書としても、相当な労力が払われているのは明らかです。)