神頌叙伝
遼(916〜1125、遊牧民契丹族の国)の太宗(耶律阿保機)が、宰相の耶律羽之に命じて、
その叙伝を作らしめて成ったのものだという。
一軸の巻物で、題目もなかったものであるが、
発見者「浜名寛祐」が『神頌叙伝』と命名、別名『契丹古伝』ともいう。

浜名寛祐は日露戦争中、鴨緑江軍兵站経理部長として、奉天城外の黄寺に滞在中、
『亜細亜言語集』の著者である広部清と共に、同寺に秘匿されていた本書を意味不明なまま
に書写したという。
もともと、ある陵の秘物で、戦火から逃れ、黄寺に保管されていたという。

浜名は、『日韓正宗溯源』の「巻之三」および「巻之四」を発表。
『日韓正宗溯源』は、日鮮同祖論を主張した書である。

契丹の祖族辰伝固朗(東大神族)は漢民族以前に中国大陸に優れた文明を築いていた。
尭・舜・殷はこの東大神族系の国家で、漢民族が中国史の主人公となるのは周王朝以降である。
浜名の解釈によれば、由緒古き東大神族は、契丹のみならず日本・朝鮮の祖族でもあり、三者は同祖だというのである。
八岐大蛇伝承は、鴨緑江畔における羊鄂羅墜族との闘いが神話として伝えられたものであり、
孝霊・開化天皇が「辰伝殿国」および馬韓と交流していたこと、卑弥乎は馬韓にいた、新羅は熊襲が転じて成ったものである、と記されている。

「秘府録日神祖拓地干幹浸遽」という一節があり、浜名の幹浸遽(アシヤ)という読み方が正しいとすれば、
『カタカムナ文献』の「アシヤ族」と符号する。
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