2002年9月5日(木)
昨夜は早く寝た。
今朝は5時に起きてスワヤンブナートへいく。
朝は観光客もおらず、本来の姿が見られるということなので、早く起きていくことにした。
午前4時頃に雨が降っていたので足場は悪かった。
みんな朝はやくから活動している。
学校へ行く人、寺へ行くひと、野菜や肉を売る人…
スワヤンブナートは、ネパール最古の寺院で仏教のものである。
遠かった。
だいぶ歩いた。(45分くらい)
寺院へ行くための階段は長く、急で、人がおしあいへしあいしながらのぼってゆく。
途中の仏像に花をささげる人、米をまくひと、ねそべってお祈りをする人…様々な人が見られる。
本当にみんな信心深い。
私達が仏教徒というのは、形式だけで、何も信じていなければ普段祈りをささげる事も無い。
宗教とは何なのか真剣に考えさせられる。
日本人の信仰心は一体どこへいったのか?
すごい量の人にもまれながら、ストゥーパを一周する。
私達が階段をおりて、帰る頃には、街は活気付いてきていた。
道端で首と胴体が離れたヤギをみたが、だんだん驚かなくなってきた。
慣れとは恐ろしい。
ホテルに帰ると、私達はぐったりしていた、小1時間ばかり寝てしまう。
足もだいぶ疲れていた。
午前9時前に目がさめたので、朝食をとりにいく。
食べているとNorlinオヤジがいつものように話をしてくれて、今日はスワヤンブナートの歴史や、カトマンドゥの神話を教えてくれた。
気さくないいオヤジだ。
食べ終わったらネパールKAZEのピタンバルが迎えに来てくれるのを待ち、あとはブータンへ行くのみである。
ようやく今日、ブータンにいけるとおもうと嬉しくてしかたがない。
智香ちゃんなんかは、8年ごしの願いであるので、その喜びははかりしれない。
迎えの車で空港に行く。
空港の入り口では厳しいチェックをしていた。
ピタンバルによると、国家非常事態宣言が出そうになっているらしい。
空港のチェックインもかなり厳しくなっており、手荷物も詳しく調べられ、お姉さんにボディチェックまでされる。
初体験
ネパールの空港は規模は小さいが、多国籍で、人間観察をするのが楽しかった。
Druk Airの飛行機は想像どおり小さかった!!
これで大丈夫なのかっ!?!?
飛行機内も好きなところに座っていいよといわれビビル。
そしてシートベルトをきつくしめる。
相当揺れると聞いていたのでずいぶんビビっていたのだが、いざ飛んでみると普通だった。
サービスもしっかりあり、飲み物とスナックがでた。
小さい機体なので少々の揺れはあるものの快適そのものであった。
途中ヒマラヤ山脈が見えた。
曇っていたのでよくは見えなかったのだが厚い雲の上にチョコっと頂上をのぞかせていた。
8000m級の山々が広がっているらしい。
晴れていたらどんなに美しいことだろうか。
さらに少しいくともうそこはブータンだった。
山に囲まれた水田やその周囲にポツリポツリと建つ民家。
いたるところにダルシンの群れが見られる。
その景色を一目見ただけで私達のテンションは急上昇した。
カトマンドゥの雑踏と正反対の静かな国だ。
日本の田舎の田園風景をみるようだ。
建築様式が伝統的デザインの採用を義務付けられているらしく、空港の建築までブータン風だった。
入国審査等を済ませて外へ出ると、風の旅行社のガイドさん(ウタム)がドライバーさん(ソナム)と共にお迎えにきてくれていた。
車でティンプーへ向う。
2時間くらいかかると聞いていたがもう少し短い時間でついた気がする。
山と山の間の道を川沿いに進む。
途中、牛や犬が道端で昼寝をしていたり、民族衣装を着た人々が歩いていたり(民族衣装の着用は一応義務)、野菜を売っている人がいたり…
本当に日本の田舎のような風景が続く。
日本の田舎でも昔の姿といったほうがよいかもしれない。
外国人が珍しいらしく、通りゆく人々に何度もまじまじと見つめられる。
道中ウタムさんがブータンについて色々と話をしてくれた。
1999年にテレビやインターネットが解禁されたらしい。
ブータンの人々にとって悪影響を及ぼすと思われるものは事前に排除するらしい。
それらのテレビやウェブサイトにフィルターをかけると言っていた。
肯定的な鎖国というのも同じ意味で、外国からヒッピーみたいな人々が入ってきてブータン文化をみだすのを恐れてのことであるらしい。
これらの取り決めはすべて、宗教のトップの人と国王とが、国民の前で行うという。
文句を言う人がいないのか?と聞いたところ、ごく少数のお年寄りが、テレビやネットの普及に反対したらしいが
あとは特に問題無しとみたらしい。
わたしは、逆に若者達がもっとOPENにしろ、と反対しなかったのだろうか、
という意味で質問をしたのであったが、どうもそれはなかったらしい。
日本はアメリカの文化を悪いものも含めまるまるとりこんで、独自のものをつくってきたのでなくしたものも多い。
興味深いのは英語についてだ。
日本は、文化をアメリカから輸入し、悪い影響まで全て取りいれてきた。
だが、中学・高校(あるいは大学)までの英語教育はコミュニケーション面では全く実りのないものになっている。
読み書きはOKだが、会話ができない。
それに対しブータンの人は流暢な英語を話す。
国語のゾンカ語の時間以外、学校では英語で授業が行われるらしい。
先生がほとんど外国人(インド人が多い)らしいので当然といえば当然のことだろう。
なぜそんなに英語が必要なのかときくと、多くの資源を輸入に頼っているブータンは
外国との交渉で英語が不可欠であり、必要に迫られて、ということらしい。
しかし、このままいくと母国語の文化がなくなっていくのではないだろうか??
ブータンの近代化事情はこれからの動きに注目だ。
道中、キノコを買ったり、リンゴを丸かじりしたりするうちに首都ティンプーにつく。
ブータンの東京は南草津の駅前より人が少なそうだ。
ホテルの着いてしばらくしたら夕食。
さきほど買ったキノコもでる。
すごく辛いものもあって大変だった。
量が多くて満腹・満足。
今日で旅行の全日程の半分が終わる。
短いようで長い。そして長いようで短い。