詳細版年表【1】 『玄奘西域記』
★この年表は『玄奘西域記』(諏訪緑・著)を元に、他の資料を参考にして構成されています。 ネタバレを含む箇所もありますので、未読の方はご注意ください。 ★「作品中の出来事」では、主語がないものは玄奘の行動です。 ★地名は読みやすいようにカタカナで記しています。 ★『玄奘西域記』は史実をもとに構成されていますが、アレンジされた部分もかなりあります。 資料と矛盾していると思われた箇所や特筆事項がある箇所には注をつけましたのでご参照ください。 基本的には『玄奘西域記』の記述を優先しています。 (もともと『大唐西域記』自体、正確な年代が書いていなかったり、実際に行った国と伝聞のみの国の区別がなかったりします。また現在の西暦と当時の暦のずれもあるのではないでしょうか。そのため、資料等で調べても不明だった年代は?としています。) ★お気付きの点がありましたら、掲示板かメールでご連絡ください。 |
年代 | 作品中の出来事 | 玄奘 年齢 |
年代 | 作品背景の出来事 | 年代 | 日本の出来事 |
593 | 厩戸皇子、摂政になる | |||||
603 | 冠位十二階制定 | |||||
604 | 憲法十七条制定 | |||||
607 | 遣隋使の開始 | |||||
622 | 聖徳太子、没 | |||||
614 注1 |
玄奘、誕生 | (0) | ||||
623 | 長捷、玄奘に出会う | (9) | ||||
628 | 蘇我馬子、没 | |||||
629 | 長安を出発 | (15) | ||||
? | 高昌国で王・麹文泰の占いを聞く | |||||
? | クチャ国でハザクに出会う | |||||
? | 天山山脈を越える | |||||
? | スイアブで葉護可汗に会い、ハザクと同道することになる | |||||
630 | サマルカンドでハザク殺されかける | (16) | 630 | 遣唐使の開始 | ||
630 | サマルカンド近くの山村でイスカンデルクーリに会う | (16) | ||||
630 | クンドゥスでプラジュニャーカラとハッディに出会う 注2 | (16) | ||||
631 | カシミールでハザク、祖母に会う | (17) | ||||
632 | ブッダガヤーで長捷、没 | (18) | ||||
632 | ナーランダ大学に入学、正法蔵と出会う | (18) | ||||
(19) | 633 注3 |
葉護可汗暗殺により突厥崩壊 | ||||
635 注4 |
正法蔵、ハザク、プラジュニャーカラと南天竺の旅へ出発 | (21) | ||||
636 | ドラヴィダでシギリアに出会い、取経の意味を悟る | (22) | ||||
636 | 南コーサラーで南天竺の仏教荒廃を知る | (22) | ||||
? | ヴァラヴィーでハザク、草原に帰る決意を固める | |||||
638 | ハザク、突厥の財産を狙うハルシャ王に捕らえられる | (24) | ||||
638 |
ナーランダーに戻るが学内に入れず、東天竺へ。カーマルーパでクマーラ王に出会う | (24) | ||||
638 注5 |
クノージュ城論戦大会で勝利、ハルシャ王の保護を得る | (24) | ||||
(26) | 640 | 高昌国滅亡 麹文泰、没 | ||||
641 | 唐へ帰国の途につく | (27) | ||||
? | ハザク、突厥の王になる | |||||
? | ハザクと別れる | |||||
643 | 聖徳太子の子・孫、斑鳩寺で自決 | |||||
645 | 唐に帰国する | (31) | 645 | 大化の改新 | ||
657 | 西突厥滅亡 注6 | |||||
664 注7 |
玄奘、没 | (50) |
〔参考資料〕 『玄奘西域記』 諏訪緑 小学館文庫 『玄奘』 三友量順 清水書院 (1994年発行) 『玄奘三蔵』 慧立/彦ソウ 長澤和俊・訳 講談社学術文庫 (1998年発行) 『図説世界史』 東京書籍 (1997年発行、2001年改訂) |