純平鍛刀所のたたらが出来るまで

ここでは純平鍛刀場の「たたら」が今日の状態になるまでの変遷について少し書いておきます。多くの失敗談も含まれますので、「たたら」製鉄を目指す人には参考になると思います。

例によって書き足して行くのは、不定期に、気の向いた時に行いますので、時々覗いて見てください。

弟子時代

私が最初に「たたら」に出会ったのは、まだ親方の所に入門したての時でした。当時親方は、信州佐久地方の磁鉄鉱や利根川の砂鉄などを集めて、たたらの研究を始めていました。そんな時、奈良の某氏が、私の親方の所に「たたら」の道具を一式持って来て、実際に「たたら」製鉄を行いました。私もそのお手伝いをしたのが最初の出会いだったのです。私が入門して1月目の事だったと思います。その頃、私は刀の材料は玉鋼と古い釘などを主体とした卸鉄だと思っていましたが、考えて見ればそういう材料がいつまでも手に入る事はない訳で、何時かは使い切ってしまうのですから、当然刀を作る以上、研究しなければならない分野だったわけです。当時まだ「日刀保たたら」は存在しなかったのですから。

当時の奈良の某氏の「たたら」炉は大変良く出来た炉で、細部まで、かなり研究され尽くした感じのものでした。全体の高さは170cm位、炉内の断面は円形で内径40cm位、炉頂から羽口まで100cmは有ったでしょうか。羽口は4つ有り、その羽口から中が覗けるように工夫してありました。現在の私の所の「たたら」炉も基本的には同じ構造で、この炉の改良型です。しかし少し改良するだけでも、実験操業を何度も繰り返し大変な労力が必要で、今になれば、奈良の某氏の苦労の程が十二分に感じ取れます。

この「たたら」との出会いが、その後の私の刀作りの方向を決めたと思います。私は奈良の某氏の「たたら」を取り入れた親方の仕事を手伝いながら、自分なりの「たたら」を考え始めました。とはいっても、内弟子の身分ですから、大がかりな炉は作れません。最初は内径で15cm、炉頂から羽口まで45cmぐらい、羽口は一つでブロアーから直接風を送り込むといった、小型の卸鉄用の炉でした。記念すべき最初の炉です。

しかし当時素人の私には、炉の中の様子が判りにくいので、奈良の某氏の炉を参考に、羽口の手前の木路の部分に工夫を加え写真のように改造しました。(一人前の職人は炎の色や大きさ、手に伝わる鞴の調子などで、炉の中の様子が手にとるように判るのですが。)この方法は写真の様に今でも卸鉄や、下げの炉に使っています。

最初に作った炉は卸鉄には非常に有効で、新米の弟子がやった卸鉄にしては、驚くほど良い鋼が作れました。気を良くした私は、次に製鉄に応用しよと、いきなり炭と砂鉄を使い製鉄を試みました。ところが鉄など出来るものではありません、結局、炉が小さすぎるので熱効率が悪く十分な還元反応が起こらないものと判断しました。今考えると、卸鉄が旨くいったのも、実は偶然にも良い条件が揃っていただけだったのです。

そんなことも判らずに、次に一回り大きくした製鉄用の炉を作りました。高さは炉頂から羽口まで70cmとかなり高くし、内径は20cmに拡大、羽口を2つにしました。羽口の数を増やせば一つの時より炉の中の状態が均一になり安定して、効率が良くなると考えたのです。しかし後でだんだん判ってくることですが、製鉄用の炉内の雰囲気作りは、そんなに簡単ではありませんでした。製鉄に必要な炉内の雰囲気を作る要素として、炉の大きさ、炉壁の厚さと土の種類、羽口の数と形状、炭の質や大きさ、送風量、等々かなり多くの要素を旨く組み合わさなければならないのです。羽口を増やせば良いという単純な問題ではありません。結局この炉でも何度か実験をしましたが、卸鉄は出来ても、砂鉄からは鉄のかけら1つ作ることも出来ませんでした。

しかし、炉の中を覗きながら実験がで来たおかげで、色々なことが判ってきました。まず小さな製鉄炉では、砂鉄を挿入してから、羽口の前を通過するまでは、ほんの少しの時間です。多くの砂鉄は十分に加熱されないまま炭の間をすり抜けて、羽口の前まで来てしまいます。大きな炉では砂鉄のまま炉底まで落ちても、炉底も十分高温で還元雰囲気が強いのでちゃんと鉄になりますが、小さな炉ではそうは行きません。これを改善するためコーンスターチで作った糊で砂鉄を固め、小さなペレット状にしました。これで砂鉄は炭の間にひっかかり、ゆっくり降りるようになり、羽口の前まで降りてくる頃にはかなり還元が進むことになります。

更に重要な問題が有ります。最も基本的な熱効率の問題です。小さな炉は当然炉内の容積に対して、表面積が大きくなり熱が逃げやすくなります。小さな炉で、炉内を高温に保つためには、多くの空気を送り込み炭の酸化を促進し温度を保とうとします。ところがそれでは多く入りすぎた酸素のため、還元反応は起こりにくくなり、結果的に鉄は出来ません。製鉄炉は、比較的に少ない空気で高温に保てる大型の炉の方が効率がいいのです。しかし、大きすぎる炉は扱いに困ります。昔の「たたら」の様に、何十人もかかって操業する訳にはいきません。個人的に使う自家製鉄用の炉は、出来れば一人でも操業出来るように工夫しなければならないのです。

そこで考え出されたのが、奈良の某氏の炉に見られるような、二重構造の炉です。炉壁の外側をもう一度鉄板で覆い、出来たすき間へ羽口に向かう空気を通して加熱し、十分暖まった空気を羽口から炉内へ送り込みます。炉壁から外に逃げる熱を、羽口から炉内へ戻してやる訳です。この方法は広く製鉄所や鋳造所の炉で使われていますが、古い「たたら」の研究をしている人々にはこの様な発想が無かったのでした。私はこの方法を取り入れることにしました。しかしこの様に、「たたら」炉が大仕掛けになってきますと、内弟子の身分では研究は進められません。独立をして刀の世界でそれなりに評価が定まるまで、本職の刀鍛冶に精を出す事にしました。

ここで一言

「たたら」を実際にやって見ようとする人達がよく失敗する例として、出雲に残っている、江戸時代の「たたら」のスタイルをまねて、桝型の粘土で作った厚い炉壁の「たたら」炉を作り、一日掛りで操業する場合が多いようです。

実際の「たたら」は、地下に巨大な基礎工事を施し、湿気の侵入を防ぎ、その上で炉全体の乾燥と保温の為に大量に槙を燃やして炭の層を作り、それらを叩き締め基礎とし、さらにその上に炉本体を築き何日間も火を炊き続けて操業し、初めて旨く行くような施設なのです。この施設全体が「たたら」炉だと思えばいいでしょう。

地上に見えている部分だけをまねて炉を作り、一日やそこいらの操業で結果を出せるような生易しい代物ではありません。

小型の炉で一日作業をし、実用に耐える品質の鉄を作るには、それなりの工夫や発想の転換が必要なのです。

97.7.10

独立後

数年がたちました。その間、親方が亡くなり、先に独立をしていた兄弟子の所で刀の勉強を続け、私も独立をしました。新作刀のコンクールでそれなりの評価を頂き、私の中で冬眠をしていた「たたら」虫が目を覚ましました。

とはいえ、資金的な問題から大がかりな製鉄炉を作る事が困難だったので、数年の間は小型の炉を改良しながら実験をくりかえしました。しかしながらいくら改良を加えても、小型の炉では十分な温度と還元雰囲気を作り出せないので、ケラ(「たたら」製鉄により作られる鉄の塊)は出来ても、ケラの中にノロを多く含み、特にケラの底の方はノロでほとんど真っ黒な状態で、そのままではとうてい使えないものしか出来ませんでした。結局そういうケラは、破砕するか、薄く叩きつぶして裁断して、卸鉄にしなければなりません。たとへ卸鉄にしても、あまりにノロの多いものは、良い鋼にはなりなせんし、これは大変な労力を必要とする仕事です。刀一本分の材料を作るのに、大量の炭と何日もの日数が必要になります。とても実用的なやり方とは言えません。

実用炉に向けて

そうこうしているうちに、とうとう念願の製鉄炉を作るチャンスが訪れました。二重構造の例の奴です。小型でも十分な温度と還元雰囲気を実現でき、多くノロを含まないケラを作るのです。今までの失敗を参考にして、十分検討を加え、新しいアイディアを盛り込んだ力作です。
炉全体は鉄板で出来ており、元釜、中釜、上釜と3段に分かれています。全体の高さは140cm、太いところで、外経50cm、内径は30cm、炉頂から羽口まで80cm、羽口は4つで、中釜の炉壁は二重構造、元釜、中釜、上釜の内側は総て耐火セメントを張り付け、何度も使えるようにし、更にその上に、元釜や中釜の炉壁には「けら」の成長に合わせて溶けて、しかも良い「のろ」が出来るように、選び抜いた釜土を貼るようにしました。私にとっては通算6台目の「たたら」炉です。

この炉で「たたら」を始めるにあたり。更に良い条件が加わりました。兵庫県の西の端に千種町という町があります。ここは神世の昔から鉄が作られていたという伝説のあるところで、伝説では日本へ鉄の作り方を伝えた神が最初に降り立った場所とされています。実際古代から江戸時代の終まで多くの鉄が生産され、出雲の鉄と並び賞されていた鉄の産地だったのです。現在も周りの山から沢山の砂鉄が千種川に流れ出ています。良い条件というのは、その千種砂鉄を手にいれることが出来たのです。千種砂鉄は真砂鉄(まささてつ)主体の出雲砂鉄と違い赤目砂鉄(あこめさてつ)が主体です。赤目砂鉄は真砂鉄と違い、非常に還元しやすく、小型の製鉄炉で鉄を作るのに向いています。今でも、私はこの千種砂鉄が自家製鋼用の砂鉄としては、最高の砂鉄だと思っています。

新しい炉と素晴しい砂鉄に恵まれ、早速実験を始めました。結果、出来たケラは今までのケラとは比べ物にならないくらい良い物で、投入した砂鉄50キログラムに対してケラの重さ17キログラム、分止り約35パーセント。「たたら」の場合だいたい分止りは30パーセントぐらいを目標にしていますから、いきなりかなりの高成績を出したことになります。

注:この製鉄炉については「たたら」をやってみよう中級編で紹介する予定です。

しかしこのケラで玉鋼の様に即、刀が作られるというものではありません。品質的にはまだまだ問題が多く、解決しなければならない課題が山積みになっています。

以下続く    97.7.22

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