すべては『エルステッドの実験』にある! 

  「S-cable」開発物語  

  製作 [簡単+安価]   授業 [簡単+時短]  


  
  開発から40年を越えました(since 1978年)  
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『教えるのは難しい』
  「S-cable」開発は,中学校教員3年目(1978年),初めての電磁気学習を終え,その難しさに落ち込んだことに始まります。化学系であり「物理は専門外!」という逃げの気持ちもありましたが,そうもいっておられません。
  webもない時代,身近な資料はもとより教育研究集会などにも出かけ必死で調べますが事例は少ししか見つかりません。あっても,学ぶ生徒はもちろん,教える先生も大変だと感じるものばかりです。
  先輩の先生方は従来の教具だけで上手に教えておられましたので,未熟故の悩みでしかありません。
‥落ち込みます。


『原点はエルステッドの実験』
  そんな中,電磁気の原点である「エルステッドの実験」の扱いが不十分であることは気になっていました。科学史好きだったことによる,この小さなひっかかりが「S-cable」に結び付きました。
  不思議だったのは,当時(恐らく現在も!?)「エルステッドの実験」が重要視されていなかったことです(簡単に実験できないからでしょう)。


『インターホンケーブル』
  勤務校の職員室は,1・2年生用と3年生用が別棟となっており,その間を有線のインターホンが結んでいました。工事は電子工作に堪能な同僚の自作で,多芯電線末端の8色の色分け芯線(当時の標準規格)が目に留まりました。
  この電線両端の結線を工夫し,内部でコイル構造にすると(後のS-cable結線),被覆によってコイルに見えない生徒実験用教具ができそうです。当時の,エルステッドの実験にあたるものは,エナメル線コイルによって生じた強い磁場による方位磁針の動きをOHP投影しており,その平面像での指導は難しかったのです。


『失敗』
  早速,寺町電気街の「ヒエン堂」(充実した電気部品の有名店,後に廃業)でインターホンケーブルを10m購入,直径20cm程度の輪を作って試すと一瞬で電源装置のブレーカが落ち,個別実験化しにくい事情に気づきます(右図参照)。ある程度の抵抗が必要なわけです。また,このサイズでは,やはりコイルそのものにしか見えません。
  エルステッドの実験がOHPステージ上での演示となっている意味が理解でき,自身の浅はかさを知りました。
エルステッドの実験
試作「S-cable」(実物1978年)
『それは,偶然の発見』
  そこで諦めかけたのですが,(もったいないので)余っていたケーブルすべてを用いて同様の「より大きな輪」を作りました。「長ければブレーカが落ち難くなるかも?」という淡い期待‥
  ところが,全く問題なし,予想以上に導線の抵抗は大きかったのです。そして,手元で方位磁針が鋭く動き,簡単にエルステッドの実験が出来たのです。また,これだけ長いと手元ではコイルに見えません。
  取り組み出して一か月ほどで,ほぼ完成形を手にするという「偶然」,その時の「感激」は今も覚えています。
1978年,まだ若い27歳,結婚した年でもありました。


『研究と実践』
  勤務校は3年間の学習内容がきちんとシステム化されており,「S-cable」を登場させることはできません。理科部の生徒に見せる程度でしたが,とても喜んでくれます。わかり易く教え易いことは間違いなさそうです。
  他の先生の意見も聞きたくなり,翌年,地元の教研集会で報告すると,とても評判が良い。R大学のT教授からは「一緒に本に書きましょう」と誘われますが,簡単なメモ程度のレポートしかなく困惑します。この申し出をきっかけにレポート執筆を始め,今に続きます。
  1981年,別の学校に異動,ようやく授業での利用が可能となり,研究も本格化します。当時はエルステッドの実験のみの単機構教具に過ぎなかったのですが,それでも十分に価値があると感じていました。


『挫折(愛するS-cableとの別れ)』
  1987年,教育センターに異動,「S-cableを普及できる」と意気込んだのですが,講座での紹介は「教科書に掲載されていない」という理由で拒絶,webもない時代,可能性は絶たれました。開発から10年近くなり,標準仕様も決まり,講座を意識したレポートもできていました。
  諦めきれず,各地の研究会に持参し,実験を見ていただく活動を続けました。反応はすこぶる良かったのですが,数年続けても実際に作って試した方には出会いません…仕事も忙しくなり,終焉を意識し始めました。
  1992年5月,静岡で開催された研究会に出かけ,終了間際,最後の参観者に手持ちのS-cableをもらっていただきました。開発から14年目,これが潮時,愛するものとの別れでした。


『突然の復活』
  永久の別れをした「S-cable」,忘れかけた時に突然の電話,後藤道夫先生からでした。「『第一回青少年のための科学の祭典』にS-cbaleを出展してほしい」という依頼‥別れた「S-cable」をご覧になったようです。知らない先生から知らないイベントへの出展要請,悩みましたが「補助の先生も含めて費用はすべて持ちます」ということなので,「京都パスカル」の先生を誘って出かけました。多忙な夏季休業中,仕事が重ならなかった偶然が幸いしました。
  祭典参加で良かったのは,全国の先生方と出会い,さまざまなアドバイスをいただいたことです(板倉聖宣先生「仮設実験授業研究会代表」に説明する機会も得ました)。祭典によって「S-cable」は驚きの大発展をします。


『奇跡の受賞』
  祭典終了後,再び,後藤先生から電話「東レ理科教育賞に応募してほしい」。よくわからないまま応募書類を提出すると,新浦安の東レ本社でのプレゼン要請…満足のいく説明ではなかったのですが,まさかの「理科教育賞受賞」。審査の先生方は,既に「S-cable」をご存じだったようです。
  丸の内の「日本工業会館(旧館)」での荘厳な授賞式,審査委員長の伏見康治先生(元日本学術会議会長)から丁寧なお言葉「極めて見事な工夫であります」をいただきました。その後,紹介ビデオも制作されます。開発から15年,愛する「S-cable」が奇跡の光に包まれました。


『科学館の展示品化』
  受賞によって勤務先の教員研修講座のテーマとなり,ようやく日の目を見ます。しかし,無理に扉をこじ開けたようなもので,気持ちの良い雰囲気ではありません。 そんな中,科学館の展示品という想定外の相談を受けて驚きます。そして,実際に名古屋市科学館(旧館),群馬県生涯学習センター「少年科学館」,国立科学博物館,科学技術館などで展示品となっていきます。現在では,あちこちの科学館で関連展示を見かけるようになっています。

『時代の要請』
  「S-cable」を用いた電磁気学習は,歴史をベースとした従来のシステムや教具との関係で普及は限られていました。しかし,2000年頃からIT化による教育改革が進行,革新的な取組が奨励されるようになってきました。各地の教育センターなどでの研修講座も普通になり,講演要請も増えてきました。学ぶ内容の増加,学び方改革もあり,「S-cable」のようなゲームチェンジャーが必要になってきたということでしょう。
  開発から40年を越えました。

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