その女生徒が気絶するのを目に入れながらも、彼女から注意をそらさない。

 先ほど私の黒鍵を防いだもの…おそらくは、固有結界であろう。長く存在する強力な死徒のみが獲得しえる能力である。

「あなたが固有結界まで所有していたとは、かなり驚きました」

 私の言葉通り、彼女がその能力を持っていたと言うことは、かなり驚くべきことではあったが、予期していなかった事態というわけでもない。

 なんと言っても、たったの数日で吸血種へと転じたほどのポテンシャルである。かつての死徒27祖と同格と見るくらいでちょうどいいのかもしれない。

「私としては、そろそろ逃げたいと思ってるんですけど、先輩」

 彼女は気取った調子もなく、私のことを先輩と呼んでくる。私が学校の先輩ではありえないことを既に知っているにもかかわらずに、いまだに呼び続けている。

「逃げれるのなら、やってみたらどうですか」

 新たな黒鍵を取り出しつつ、そう応じる。

「ですね。…じゃ、遠慮なく」

 

 ドンッ!

 

 彼女が地を蹴って、こちらへとまっすぐに突き進んでくる。

 固有結界でもある黒傘をこちらに向けているので、標的たるべき目標を補足しきれない。

「しっ」

 予測進路の足下に向けて、黒鍵を数本放つ。

 それをかわすためなのか、元よりそうする予定だったのか、彼女は黒鍵を後ろに飛び離れることでかわす。

 そのまま逃走へと行動を移す彼女に、再び黒鍵を数本放つ。

 今度は、黒傘をずたずたに引き裂きながら、燃やし尽くす。

 

 …傘のみを…であったが。

 

 彼女の固有結界を纏わせているであろう黒傘には、攻撃を防ぐという盾の要素とともに、こちらから彼女の動向を探ることを防ぐ目くらましの要素も持っているということだ。

 正直、かなりやりづらい。しかし…

「なかなかに便利そうな能力のようですが、それが確認できただけでもよしとしましょう」

 固有結界は真祖の持つ空想具現化のように、その者の心象世界を形にし現実に浸食させた結界である。

 しかしまた真祖の持つ空想具現化と大きく異なり、その形を自由に決定できない。術者のただ一つの内面が形になるわけだから、術者は結界の形に意志を加えられない。

 つまり、彼女の固有結界はあの『黒傘に纏わせるタイプ』以外にはありえない…ということである。

「それはそれとして…」

 

「私が運ぶしかないんでしょうね」

 

 彼女の残したおみやげを見ながら、そっとため息をはくのだった。

 

 

 

「きちんと生徒手帳を所持ですか、感心感心」

 制服のポケットから彼女の生徒手帳が出てきたので、思わずそうつぶやいてしまう。

 影の生徒会長というのが、染みついてきているのかもしれないと思うと、なんだか少し笑ってしまう。

 監視のために通っているだけなのに、その学園生活はどこか懐かしくて、楽しくって、無性に悲しくなってしまう。

「…行きましょうか」

 頭にちょっとだけ浮かんだ感傷を振りはらうようにそうつぶやくと、彼女を背中にかついだ。

「住所は…」

 彼女の生徒手帳に書かれた住所から、大体の地図を頭に描く。距離はそう大したことはないが、時間が時間なので暗示が必要になるだろう。

「やれやれ、本当になかなか手間のかかるおみやげを残してくれたものですね」

 

 

 

「そうですか、わざわざすみません」

「いえ、こちらこそ、つい話し込んでしまいまして」

「この子ったら、人様のお宅で寝てしまうなんて」

「いいんですよ、時間も遅くなりましたし」

 人当たりのいい先輩という仮面をかぶって、にこやかに応対する。

「では、私はこの辺で」

「そうですか、本当にわざわざすみませんでした」

 笑顔の仮面をつけたまま、その家を後にする。

「11時…ですか」

 時間を確認すると、新たな仮面へと付け替える。夜の住人を狩るための冷酷な仮面へと。

 弓塚さつき嬢と再び会うことは、今日はないとは思うが、私の本当の狙いは彼女ではない。彼女の父親とでも言うべき…そして、私の父親でもある…ロア・バルダムヨォン、その現世の姿である。

「では、街を徘徊する死者狩りと、彼女の監視と行きますか」

 

 …そして、おそらく彼女と共にいるであろう、遠野くんを…

 

 

 

 私は街を見回りつつ、遠野くんたちを捜索する。

 街を徘徊する死者狩りを兼ねて…というよりは、もう今日は出ないと考えているので、遠野くんたちの捜索がメインとなる。

 死者は基本的に一日一体と考えるのが妥当なので、先ほどの一体で今日はすべてだろう。…であるならば、遠野くん達の死者狩りも空振りになっているだろう。

「では、家の方で待っていた方が良さそうですね」

 遠野くんが彼女と行動を共にしている…そのことに対してイヤな気持ちを感じているというのに、その感情が遠野くんが彼女に襲われているのでは?…という心配から来るものではないのが、なぜだか非常に腹立たしかった。

「…ずいぶんと、彼女のことを信用しているものですね」

 遠野くんも、…そして、私自身も。

 ヒラリと最短距離を駆けながら、空に浮かぶ月を眺める。

 

「…満月まで、あと数日ってところですか」

 

 

 

 坂を上りきって、聞こえてきたのは剣戟の音、感じてきたのは殺気。

 遠目から見える姿は、遠野くんと…

 

 加速する!

 

 駆け足であったのを、更にスピードを上げる。

 

 間違いない…確信する。

 初めて見る…でも、間違いない…確信する。

 

「ロア!」

 

 速度を上げる…でも、気付かれないように細心の注意を払う。

 

 必ず倒す! …今は黒鍵しか持ってきていない…

 必ず滅す! …今の概念武装では歯が立たない…

 

 …それでも、関係ないっ!!

 

「ロアっ!!」

 

 

 

 彼らの上方かつ、風下をとると、じっと息を潜める。

 やつを目の前にして、自分がどうなるのかと思っていたのに、心は静かに落ち着いている。

 …でも、それもあるかとは思っていた。シエルとして…埋葬機関の七位として生きて…いや、存在していたことが心を冷静にさせるだろうとも思っていたのだから。

 …しかし、今の心は違う。そういうのではない。

 冷酷なまでの冷静さじゃない。残酷なまでの落ち着きではない。

 

 認めよう、これは喜びだ。…ロアを見つけたことによる暗い復讐の炎のような喜びじゃない。

 もう認めよう、これは喜びなんだ。…ロアと遠野くんが別人であることによる喜び。

 

 もう認めるしかない。これは、恋なんだろう。

 

 

 遠野くんとロアの一騎打ちは、お互いに一歩も引かない一進一退の攻防だった。

 遠野くんから繰り出されるナイフを、予測していたようにロアが自分のナイフで受ける。ロアから繰り出されるナイフを、これまた予測していたように遠野くんがナイフで受ける。

 …そう、それはまるで互いにどこを狙っているのかがわかっているかのようだった。

 

 …と、私が思った瞬間、遠野くんが目に見えて動揺した。

 

 無論、眼前のロアがそんなスキを見逃すはずがない。

 

「いけない!」

 

 反射的に黒鍵を放とうとするが、遠野くんが斜線上にいて一瞬ためらう…

 

 遠野くんがかろうじてロアのナイフを受けるが、バランスが大きく崩れている。

 

 遠野くんを斜線から外す動きでコンマ数秒のロスを受ける…

 

 かすかな焦りとともに黒鍵を放つ私の目に、飛び込んだ影…

 

「ちっ!」

「わわっ!」

 ロアと遠野くんの間…そして数瞬前までロアのいた位置に、4本の黒い剣が突き刺さる。

 そのうちの3本が、私の放った黒鍵であり…最後の…いえ、最初に突き刺さったものは…

 

 

 …折り畳まれた黒いこうもり傘だった。

 

 

「…危なかったね、遠野くん」

 声は私の背後からした。…全く気付かなかったことに、イヤな汗が出てくる。

「えっ、せ、せんぱい?」

 遠野くんの伺うような声が聞こえる。逆光と眼鏡をかけていないことで確信を持てないようだが、いずれそれが確信に変わることは間違いないだろう。

「…そ、それに、…ゆ、弓塚っ!?」

 彼女は私の横を何気なく通過すると、遠野くんの前にあっさりと姿を現した。

「久しぶり、遠野くん。…遠野くんのピンチ、わたしがすくっちゃったね」

 何がおかしいのか、彼女はそう言ってくすくすと笑う。

「…ゆ、弓塚、い、一体何が…」

 遠野くんの混乱は手に取るように分かった。行方不明だった…死亡ニュースさえ流れた同級生のあまりに変わらない…いや、あまりに変わり果てた様子に愕然としているのだろう。

 そんな様子を気にもせずに、彼女は突き刺さったこうもり傘を引っこ抜く。

「…ふむ、あのときの娘か。もう動き出しているのか、すばらしいポテンシャルだな」

 ロアの声に、私も遠野くんも構える。弓塚さんの登場に注意がそちらに向けられていたとは言え、こいつからわずかでも注意をそらしていたとは…あまりにうかつ!

 …とはいえ、ロア自身も彼女に注意をそらして…いえ、全神経をそちらにむけていたのだから、致命的でなかったのだろう。

「…それで、私に敵対するということかな?」

 確認するようにそう言ったロアに、彼女は傘を構えることでそれに答えた。

「…なるほどな。…そちらは聞くまでもなく私に敵対するんだろうな」

 ロアがニヤリと笑って私を見る。もちろん、聞くまでもないことだった。

「くっくっく、たった二人の娘だというのに、そのどちらにも嫌われてしまったということか」

 皮肉っぽくロアがそう笑うが、その笑いからはイラダチとハラダチしか感じられなかった。

「む、むすめって…」

 遠野くんの驚きと戸惑いの声が聞こえるが…それに答える者はいない。

「まあ、今日は挨拶に来ただけだったからな。…もっとも、こんなに大勢とするつもりはなかったんだが…」

 ロアがゆっくりと闇へと体を沈めていく。

 

「じゃあな、志貴、…そして娘達よ」

 

 残された私たちは、一歩も動けない…一言も口を開けない…文字通りの三すくみ状態だった。

 誰もが行動を起こしたいのに、その第一歩を踏むのはいやだ…そう言い換えることも出来るかもしれない。

 

 

「…ふふっ、くすくすくす…」

 

 

 私が覚悟を決めようとする前に、その声は聞こえた。

「…じゃあ、私も行くね。バイバイ、遠野くん、せんぱい」

 彼女はそう言うと、トンと大地を蹴って夜の闇の向こうへと消えていった。

 追おうとする自分と残ろうとする自分…

 追わなければならないと思う自分と残らなければならないと思う自分…

「…先輩、一体何が…」

 遠野くんがまっすぐ視線をこちらに向ける。言葉にしづらそうにしているが、聞きたいことは聞かなくてもわかる。

 ロアのこと…

 彼女のこと…

 

 そして、私自身のこと…

 

 

 全てが予想外だった。

 

 

 ロアが直接遠野くんを襲ってきたこと…

 彼女が直接遠野くんの前に現れたこと…

 私自身の正体が遠野くんにばれたこと…

 

 …ちがう…予想外ではなかった…予想はできた…

 

 …でも、期待していた…そう、夢を見ていたんだ…

 

 …そして、今…

 

 

 …夢が終わった…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

次回予告

 

 

 欠けたるところがない月光の下…

 

 月下に踊る姫…

 輪廻を巡る蛇…

 死線をくぐる狩猟者…

 死線をなぞる暗殺者…

 

 

 それを眺めるは月のみか…それは、真円の瞳…

 

 

…黒き傘の下…真紅の瞳が眺める…

 

 

 

                次回、「吸血鬼 皐月」

〜月の章〜

 

 

 

 


トップページへ 月姫の部屋へ