「ばいばい」
「さようなら」
「またね〜」
あいさつをかわして、学校の友達とわかれ、家路へとつく。昨日もあった光景であり、また明日もあるであろう光景である。
中学からの友達が死んだと言うのに、それは変わらない。
中学からの友達が死んだくらいでは、それは変わらない。
彼女の死が、どこか遠い世界の話みたいだったせいもあるかもしれない。主のいないお葬式は、どこか作り物めいていた。
彼女の死が、ニュースで聞いた話で間接的なせいもあるかもしれない。主のいない机は、どこか違和感を溢れさせていた。
朝のニュースで流れた、新たな通り魔事件の被害者…名前、弓塚さつきさん、年齢、17歳、職業、学生…それが、私の中学からの友達だった。
その場に残されていた血液の量が、失血死に充分な量であり、遺体は見あたらないが、死亡しているのは間違いない…そうだ。
彼女が本当に死んだのだという事実を示しているものは、なにもかもが私にはあやふやなものだった。すべてがあやふやだった。
彼女の死を、こんなにあっさりと受け止めているのは、そのせいだと思う。…そう、思いたい。
それでも、彼女が死んだのだということは、認めていた。
それなのに、彼女がもういないことを、受け止めていた。
私たちは私たちの中から…
私は私の中から…
…彼女を、コロしていたのだ…
現在、この町を騒がせている通り魔事件のせいで、遅くまでの部活は中止させられている。もっとも、学校側から言われなくても、夕方になると自然と帰る用意がされるようになっていた。
学校から被害者が出たことは、学校側のみならず、学生達にも影響を与えていたと言うことだ。
それでも、自分がその被害者になることなんて、誰一人考えてはいないだろう。交通事故、殺人事件、そういった「死」というものは、私たちにとってはショーケース…テレビの向こうにあるもので、身近なものであると知りつつも、その間には越えることがない壁があった。
私自身、こういうことをなんとなくでも考えるようになったのには、身近だった友人の弓塚さつきの死が大きく影響しているだけで、それでも、あくまでも考える程度でしかなかった。
ポツ…
「あっ…」
夕焼けに染まってきていた空から、私の頬に水滴が一粒当たる。それを皮切りに、紅かった空は次第に暗みをまし、ぽつぽつと雨が降り出してくる。
とりあえずの雨宿りと、近くのコンビニに入る。
気になっていた週刊誌の発売日であったが、自分ひとりでサラリーマンや学生の男の人たちの間に入って立ち読みをする気にもならず、店内をゆっくりと巡りながら、雨がやむのを待っていた。
ザー…
そんな音が聞こえてきそうな景色だった。
結局、数分経っても雨はやまず、それどころかますます強く降り出したのを見て、諦めて傘を買う気になった。
…そんな時だった、その女生徒が入ってきたのは…
その客…彼女は、びしょぬれで店内に駆け込んできた。
店の中がぬれるのを嫌がったのか、店員がちょっとムッとした表情をするが、彼女の苦笑したような笑顔にその表情を好意的なものにかえる。
それから彼女はタオルと傘を買うと、用は済んだとばかりにあっさりと店を出ていった。
私は、その一部始終を呆然と眺めていた。
どこにでもあるシーンであり、注目すべき点など、どこにもなかったはずだ。雨に濡れた女生徒が、コンビニで傘を買った。何の不自然もないはずだ。実際、彼女と応対した店員も、なんの不審も…ただ、かわいい子だったな…くらいは思ったかもしれないが、感じていないだろう。
そう、何もおかしな所なんてない…
…彼女が、死んだはずの子であったこと以外には…
気がつくと、私も傘を買って、彼女の後を追っかけていた。
雨の中を走る。ひたすら走り続ける。
彼女であることを確かめて、どうするのか?
彼女であったとしたら、一体どうするのか?
そんなことも考えずに、ただ走る。そんなことに頭も回らぬままに走り続ける。
走る。走り続ける。せっかく買った傘も無駄になっているくらいに濡れながら走っている。
彼女の後ろ姿はもう捕まえていた。雨の中をのんびりと歩いているように見える。
彼女は歩いている。私は走っている。
彼女はゆっくり歩いている。私はひたすらに走っている。
それなのに、その差はまったく縮まらない。
なにかおかしい、なにかがおかしい。
やめたほうがいい、もう帰った方がいい、頭ではそう思っているのに、取り憑かれたように彼女の背中を追いかける。
……………
……
…
ふと気付いたら、雨はやんでいた。
チャラ〜ラララ〜〜…
聞き慣れた音楽…携帯の着信メロディーに気付いて、あわててポケットから携帯電話を取り出す。
『あっ、やっと出た! あんた、今どこにいるの?』
どこかあわてているような母親の声に、なにか違和感を覚えながらも応える。
「えっ、繁華街にいるけど、どうしたの?」
『どうしたのじゃないでしょ! 今何時だと思っているの!?』
「えっ?」
そう言われてまわりを見ると、ほとんどの店がしまっていた。
「嘘っ、今何時!?」
『もう9時近くになるわよ、早く帰ってきなさい!』
「うん、ごめん、もう帰るから」
『そう、急いで帰ってきなさいよ』
うん…と返事をすると、電話を切る。
なんだかキツネにつままれたようだ。コンビニに入ったのはまだ6時にもなっていなかったはずなのに…3時間近くも彼女を追いかけて走っていたと言うことになる。
「……帰ろう」
釈然としない思いを抱えながらも、足を家路へと向ける。私が追いかけていたはずの彼女も、既にその後ろ姿を見つけることは出来なかった。
ドンッ…
「あっ、すいません」
釈然としない気持ちを引きづったまま歩いていた私は、誰かにぶつかってしまった。反射的に謝ると、そのまま顔も見ずに立ち去ろうとして…立ち止まさせられた。
ガシッ…
「えっ?」
腕をつかまれて、パッと相手の顔を見上げる。
「………」
その男は、どこにでもいるようなサラリーマンのようだった。そいつは、ただ無言のまま私の腕をつかんでいる。
「あ、あの、放してください、ぶつかったことは謝りますから」
ぐいぐいと自分の腕を引き寄せようとするが、まったく動かない。相手には、それほど力を込めているような雰囲気はないのに。
「あ、あの…いたっ!」
つかまれた腕がぎりぎりと締め付けられる。なによ、この力は!
「ちょっ、ちょっと!」
あまりの痛さに、その男を睨みつけて…ゾッとした。
「………………」
なんというか…その男の目は死んでいるように見えた。疲れているとかそんな風なものではすまない感じの…まさに死んだ目だった。
「はっ、放して!」
とにかく怖くなって、必死に放そうとするんだけど、万力で締め付けられていたように、全然動かせれない。逆に、その力はどんどんと強くなっているように感じられる。
バキッ!
イヤな音と共に、腕から力が抜けたように感じられた。
「ああ、折れた…」
そんな風に思ったと同時に…
ドンッ…
…かなり強い力で突き飛ばされ、そのままへたり込む。つかまれていた腕を見ると、跡は残っているけど折れたような感じではなかった。
なにが起こったのかと顔を上げると…
「こんな遅くまでいると、あぶないよ」
雨もやんでいるのに、真っ黒い傘をさしたままの…彼女…弓塚さつきだった。
…なんで彼女が弓塚さつきであるとわかったのかわからない。黒い傘に隠れて、彼女の顔は見えなかったのに…でも、さつきだと思った。
「さつきっ!」
思わずあげた私の声にも、彼女は興味をひかれた様子もない。彼女はそのまま男の方を見つめたままだった。
男の右腕は途中から折れたようにプラプラと揺れていた。先ほどの音は、男の腕が折れた音だったのか…では、彼女が折ったのだろうか?
「こんな早くから、もう動いてるのかぁ、雨降ってたからかなぁ」
こんな異常な状態だと言うのに、さつきはなんでもないように何かをつぶやいている。…いえ、何が異常って、この状態以前に、さつきの存在じゃないの!?
「さつき、…さつきだよね?」
「ここであいつと敵対するのはまずいかなぁ。でも、そうも言ってられないか」
「ねえ、どういうことなの? 死んだって、学校は!? 家には帰ってるのっ!?」
「とりあえず、いろいろ試しておいた方がいいし」
「さ、さつきってばあっ!」
「…うるさいなあ、聞こえてるよ」
彼女は振り向くことなく、ボソッとつぶやいた。
「えっ…」
「いろいろ考えてるんだから、ごちゃごちゃ言わないで」
やはりこちらを振り向かずに、そう言った。
何かがおかしい…そんなことはわかってる。さつきはどこかおかしい…そんなことはわかってる。わかりきったことだ。
死んだとニュースが流れた、お葬式もした。そのさつきがそこにいるんだ、おかしいに決まっている。
ブルッ…カタカタ…ガタガタガタガタ…
全身にふるえが来る。先ほど男につかまれたときよりも怖い。何が怖い? …この状況? …それとも…さつきが!?
私自身、どこかおかしくなったみたいだ。さつきが…彼女が、自分と同じ生き物なのかがわからなくなってきている。
おかしいのに、本当に人間なのかと思ってしまってきている。
それなのに…
…彼女がやっぱりさつきであるということは…疑えなかった…
「せっかくだし、いろいろ試させてもらおうかな」
思いの外、彼女は軽い調子でそう言った。
「えっ…」
その自分の声は、何の声だったのだろうか? 驚きの声? それともただのつぶやきの声だったのだろうか? いずれにしてもどこか拍子抜けしたものだった。
ドガアアァァァ!!!!
突然動き出した男が繰り出した一撃は…さつきがひらりとかわしたのだが…あっさりと石畳を撃ち砕いた。
「ひゃっ……ひっ! ひあぁぁぁあっぁ!!!!!!」
ビシャリと目の前に転がってきたものが、男の右腕だったことに気付いて、恐怖と恐慌で悲鳴とも呼べない叫び声をあげる。
そんな私の状況など気にした様子もなく、今ようやく雨がやんでいることに気付いたわけでもないだろうに、さつきが差しっぱなしだった傘を閉じる。
「がぁぁぁぁあああああぁぁぁぁ!!!!!」
男が左腕を振り上げて、獣のような叫び声をあげてさつきに襲いかかる。
ズブリ…
「ぱぁん!」
べしゃぁぁぁあああぁぁぁ…
…………………
………
…
…え…えっと、起こったことに、思考がなかなかついてこない。
ただ私の目の前には、ボタボタと降ってくる血肉のなか、彼女がただ傘をさしてたたずんでいたのだった。
じわじわと思考の働きが戻ってくる。今起こったことを、ただぼんやりと考える。
すべてが無造作に行われた。
閉じた黒い傘を、無造作に男の胸に突き刺して…そう、……ズブリ…と。
軽々と男の体を、無造作に傘で持ち上げて、手元のスイッチで軽い調子であげた声とともに開いて…そう、……ぱぁん…と。
ただそれだけで、無造作に開かれた傘で、男のカラダが破裂したようにはじけて…そう、……べしゃぁぁぁあああぁぁぁ…と。
彼女のところにしか降っていないアカい雨、それをさけるためにその傘が差されているのかとさえ思えた。
ぼうっとしたまま、彼女を見つめていた私に…
「お待たせ」
彼女は、ちょっと用を足してきた後のように、ただあっさりとそう言ってきた。
死に神の笑顔とは、こんなに晴れやかなものなのだろうか? …ぼんやりと動く頭の中で、ただ私はそんなことを思っていたのだった。
体は金縛りにあったように動かない。その代わりでもないだろうに、目はめまぐるしく動く。
私に向かって近づいていた彼女が、ひらりと飛び上がると同時に、何かがザクザクザクと道に突き刺さる。
更に飛来してきたその黒い剣を、さつきが傘で受ける。
傘に少しだけ刺さり…直後に燃え上がったその剣を、まるで水滴を払うように振り払うと、カランカランと音を立てて転がり落ちた。
「先輩が来たのなら、しょうがないか」
焼けていない…穴すら開いていない傘を差したまま、さつきがにこやかに笑いながらそう言った。
「えっ…」
「…まさかとは思いますが、固有結界ですか」
私の背後から、その声は聞こえてきた。
「先輩、彼女のことをお願いしてもいいですか?」
さつきが話している先輩とは誰のことだろうか? 顔を向けようにも、やはり金縛り状態は依然として続いていた。
「…知り合い、ですか」
それは疑問と言うよりは、確認のようだった。どこかで聞いたことがあるような気がする。
「そうですね。…前からの知り合いです」
さつきがどこか苦笑したようにそう言った、…ように感じた。
「…そうですか…」
背後からの声が、やはり聞いたことのある…学校で聞いたことがある気がして、思わず振り向く。…振り返ることができた。
「シ、…シエ…」
見慣れない格好をした、見慣れた先輩の姿を…目を、見た瞬間、ふうっと意識が遠くなっていくのを感じる。
「ええ、…名前は…」
この後に目覚めたとき、私は多分このことを忘れているんだろうな…と、どこかで感じていた。
「…忘れちゃった…な…」
…これは私の夢…目を覚ましたら忘れる私の夢…そう、夢にすることができたこと…
…悪夢だったのか…悪夢になるところだったのか…ただ、…そう…
…ただ、なんて哀しい夢なんだろう…
次回予告
其の体は人に非ず、人にあらざるが故に、ただ人たらんと欲する。
其の心は人なり、人であるが故に、ただ人外たらんと欲する。
其れは矛盾なり、人たらんと欲する人外の体と、人外たらんと欲する人の心…
二つの矛盾したモノが、完全に絡み合い、螺旋を描く。
二つの矛盾したモノは、絶対に交わらず、螺旋を描く。
ただひたすらに突き進む、答えを耳にしたくて…
ただひたすらに探し求める、救いの手を…
ただひたすらに逃げ惑う、答えに耳を閉ざして…
ただひたすらに振りはらう、救いの手を…
其れは矛盾なり
…大いなる矛盾なり…
…ただ、それ故に、人なり…
次回、「吸血鬼 皐月」
〜人の章〜