わたしこと弓塚さつきは、なんだかんだで、昨今のはやり言葉で言うところでは…ぶっちゃけ、吸血鬼になっていました。

 遠野くんをさがしていただけなのに、気がついたら吸血鬼になっていたという事実には、さすがにびっくりしたというか、そんなものでは済まないくらいに、恐慌状態に陥らせてくれました。

 でもそこは、ポジティブシンキング…正直、わたしは苦手だったりするんですけど…です。どうにも理解しがたかった、遠野くんの怖いところがわかれたような気がします。

 とにかく、なったものはしょうがないので、スパッと割り切ります。…割り切りました。

 わたしは吸血鬼になってしまったんですから、人間だった頃の価値観は捨てなければダメでしょう!

 

 …割り切らないと、ツラクてイタイ。

 

 そんないろんな葛藤の末、いろいろうまくなったと思ったので、わたしは決めました。

 今夜はわたしと遠野くんとのブラッディナイトフィーバーです! 

 吸血鬼になったんだし、いじいじうじうじしていたわたしとも、おさらばなのです!

 

 

 

 …でも、やっぱり恥ずかしいので、遠くから見つめることから開始です。

 

 

 

 

 雨の中…冷たい雨の中、公園のベンチに座り込んでいる遠野くんを発見しました。

 遠野くんに何があったのか、わたしにはわかりません。…でも、何かがあったのはわかります。きっとそれは、わたしに起こったこととおんなじくらい、遠野くんにとっては大きな出来事が起こったのでしょう。

 わたしに何が出来るでしょうか? 今のわたしが声をかけていいことなのでしょうか? …ダメな気がする。それは取り返しのつかないことになりそう。…むしろ、前のわたしだったら…いえ、前のわたしでもダメかもしれない。

 今の遠野くんは、揺れ動いていた彼の中の天秤が、大きくどちらかに傾こうとしているように思えます。

 

「だったら、こちらに傾けさせればいい」

 

 わたしの中のわたしが、甘美な誘惑をしてきます。

 それは取り返しのつかない…例えるなら、誰にも踏まれていない処女雪を踏み荒らすコトに似た…非常に甘美な誘惑でした。

 

 …そう考えながら2時間…

 

 …やはりわたしは、本質的な意味において、変われていないのでしょう。ただ、見つめることしか出来なかった。

 

 

 

 …ゾクリ!!

 

 

 

 それは唐突に来た。

 

 危険! 危険! 危険キケンキケン! キケンキケンキケンキケンキケンキケンキケンキケンキケンキケンキケンキケンキケンキケンキケンキケンキケンキケンキケンキケンキケンキケンキケン!!!!

 

 全身の毛穴の蛇口が一斉に開かれたかのように、イヤな汗に包まれる。

 本能に突き動かされ、全身のバネを生かして数十メートルを一気に飛び離れる。

 うちの制服を身に包んだメガネをかけた女性…知っている…シエルと呼ばれている先輩…知っている…先輩ではありえない人…知っている…敵だ! …シっている…ワレワレのテキだ! …シっている…キュウケツキのテキだ! …知っている…わたしの…敵だ!!

 

 ソイツはしばらくこちらを眺めていたのに、フイっと興味をなくしたように視線を外した。

 

 ホウッ…と、安堵のため息が出る。なぜなら、わたしでは…今のわたしでは、絶対にかなわない。…それが、どうしてかわかったからだった。

「あっ…」

 思わず言葉が出る。

 ソイツが遠野くんに近づくと、話しかけていたからだった。

「やめてっ!!」

 …と、叫びそうになる。なぜなら…だって、ソイツはヨクナイモノだ。遠野くんには、絶対に近づいて欲しくないモノだ!

 敵わぬコトを知りつつも、飛びかかりたかった。負けることはわかっていても、それでも…ソイツがキケンなものだって、遠野くんに教えられるなら…

 

 …でも、わたしは、ただ…二人が雨の向こうに消えていくのを…見守ることしかできなかった…

 

 

 

 

 工業地帯の埋め立て地、昼でも暗いそこでただぼんやりと考える。

 …何を? …という明確なモノはない。

 2日続けて学校をさぼったのは初めてだなあ…とか、家族のみんなは心配してるかなあ…とか、学校のみんなはどうなのかなあ…とか、そして…遠野くん…あれから、どうなってるんだろう…学校に行きたい…いろいろとまずいことになることはわかってるけど、遠野くんと話がしたい…今までだって、数えるくらいしかできなかったのに…ああ、頭の中がごちゃごちゃしてきた…のどが渇いたなー…

 

 ふと気づくと、かなりの時間がたっているようで、太陽が世界をあかく染めていた。

 あかい世界…たったの2日前のことが、もうどこまでも遠い世界になってしまったことが、ただ哀しかった。

 のそりと起き出すと、食事のために出かける。

 …なぜだか知識として識っている死者と呼ばれるモノ…それを作れば、わたしが毎日血を吸いに出かける必要はない…血を吸うたびに感じる…人を殺すたびに感じる…あの罪悪感を、感じなくてもよくなる…

 ぐるぐると動き回ってる頭の中とは関係なく、わたしの体はしっかりとした歩調で目的地を目指している。

 

 

 …ああ、遠野くんにあいたいなあ…

 

 

 

 夜の街をさまよい歩く。…目的は食事。くだんの通り魔事件のせいで…わたしもその一人なのだろうけど…人通りは恐ろしく少ない。

 路地裏、公園、繁華街…あてもなくふらふらと歩き回る。

 あまりの人通りの少なさに、こうなったら酔っぱらいでも…血に混じったアルコールがあまりおいしくないからイヤだなとは思うけど…いいかなと思い出す。

 仕方なく、あまり足を向けない歓楽街へと足をのばす。

 歓楽街…いわゆるホテル街に足をのばすのは、相当な嫌悪感があった。いわゆる食事をすることに対する…ヒトとしての嫌悪感は薄れてきているのに、カラダを売り物にする女性のように、夜のこの街をさまよい歩く…オトメとしての嫌悪感はまだ根強かった。

 血を吸うことが、どこか性的興奮とつながっていることも、その嫌悪感を深めていた。

 

 ふと…唐突に、それに気づいた。

 

 通り魔事件があっても、人通りの絶えることのなかった…逆に少なくない人通りのせいで狩り場として忌避されていたこともあったはずだけど…その歓楽街の通りから、ヒトが消えていた。

 聞こえてくるのは、犬の遠吠えと、カラスの鳴き声。…大きくはないのに、耳につく。

 

 

 そして出会った。…漆黒のコートを身にまとった…漆黒のヒト型に…

 

 

「ふむ、蛇の娘かね…」

 立ちつくしていたわたしに、ソレは確認するようにそう言った。

 わたしではソイツには敵わないことは、やはりなぜか理解できていた。…そう、識っていた。

「蛇とコトを構える気はない、ここから立ち去っていただこう。今からここは、我らの狩り場となる」

 そう宣言すると、ソレは何の気負いもなくわたしの横を通り過ぎた。

 わたしはただ立ちつくすだけ…でも、それは前回のシエル先輩の時とは少し違う。あの時はただ純粋な恐怖だったけど、今回のは…それに勝る怒りだった。

 ソイツ…混沌と呼ばれる死徒27祖が10位のネロ・カオス…なぜだかやはり、識っていた…に対するものではない。

「なんで…」

 …どうして、今のわたしよりも強い存在が、ここにこんなにいるんだろう…そのことが、理不尽にも腹立たしかった。

 ネロが背後のホテルに入っていくのが、なんとなく感じられた。…そして、かの混沌の吸血鬼によって、ホテルにいた者はすべて残らず喰われてしまうことが理解できた。

 悔しい、口惜しい! クヤシイっ!!

 なんで、どうして! 今のわたしより強い奴がこんなにいるのよっ!!

 シエルやネロの他にも、私を吸血鬼にした吸血鬼…死徒27祖が番外、ロアもいる!

 

「イヤだ! 絶対に遠野くんは、渡さない!!」

 

 ヒトとしての嫌悪感よりもオトメとしての嫌悪感の強かったことは当たり前だった。…だってわたしはこんなにも、遠野くんを求めているんだから。

 

 

 

 考えなければならない! 時間がない! 強くならなくちゃあイケナイ!!

 フルに働かせている思考は分割していくようだ…それはまるで魔術師のように…なんでそんなことを識っているんだろう? …思考のリンク…ロアから流れてくる知識の奔流…めまぐるしく流れるモノの中から、探さなければならない。

 シエルやネロ、それにロア…さらにロアがいるならアレも来ている…地上最強のモノ…真祖の姫…アルクェイド・ブリュンスタッド…ソレらを出し抜き、遠野くんを手に入れるだけの強さがいる! 力が必要!!

 どうする? どうやって! どのように!?

 吸血鬼の力…それはただの終わる事なき細胞分裂に他ならない。不老であることはその恩恵。ヒトでは考えられない再生速度も、その細胞分裂がとてつもなく早いことに起因している。

 ヒトを圧倒する身体能力…これも実は先ほどの恩恵の一つにすぎない。ヒトが無意識に行っている力の制御…このセーブを外しただけで、あの尋常ではない力と早さが得られる。

 今のわたしは、ただそれだけの存在。…それじゃあダメ。

 ロアから流れてくる…掠め取っている知識はある。…それだけじゃあダメ。

 長く研鑽することによって得られる魔術はない。…すぐには無理。

 永く存在することによって得られる能力はない。…すぐには無理。

 絶望的な状況下で、ただ一点に収束する結論へ向かって、思考をフルスピードで突き動かしていく。ただ、わたしが向かっていく思考の果てにあるのは…

 

「待っててね、遠野くん。すぐに一人前の吸血鬼になって、迎えに行くから」

 

 

 迎え入れてからどうするのか? …そのことは、また後で考えよう…

 

 

 

「夕方…だ…」

 

 いつもの場所で目覚めたときには、すでに夕方になっていた。

 アレから寝ている間も…そして今も、思考は高速分割回転をし続けていたが、即効性のある解決法を見いだすことはできないでいる。

「ダメだ、なんか思考が男性化してきてるみたい…」

 少し前から感じていたことだけど、意識していないと考えが男性的…というよりは、無性別といったほうがいいかもしれない…になってきている気がする。

「…知識のほとんどが、ロアさ…んのものだからかも」

 さんづけも変な話だと思うけど、口にする際に呼び捨てはどうしてかはばかられる。

「ロアさんが死徒を作ったのは、今回がはじめてなのかな?」

 …はじめてのようだ。自らが永遠を求めた存在に、下僕など必要ないのだから。

「じゃあ、わたしは予定外ってことになるのかな?」

 …そうみたいだ。わたしだけでなくいろんなところで予定から外れてきているようだ。

 どうも、ロアの人格自体は度重なる転成でかなり薄れてきているようだ。それでも人格自体が消え去らないのは、知識としてそこに存在しているから。知識としてある人格、そして吸血衝動とともにそれを演じることを押しつけられ、…結果、ロアらしきものを演じさせられる。

「…注意しないと…」

 そうしないと、わたしもロアに飲み込まれることになってしまう。

「…それはイヤ、絶対にイヤ…」

 たとえヒトじゃなくなっても、絶対に女の子のままでいたい。

「…のどが、かわいたな…」

 昨日は結局食事をとっていない。力をつけるためにも、存在し続けるためにも、食事をとることは必要だ。

 

「遠野くんに、あいたいな…」

 

 今はまだ会うわけにいかないことは識っているんだけど、ただ会いたかった。

 

 

 ふらふらと歩きながらも、思考の回転は停めない。圧倒的な力を覆すための思考…それは人間のしてきた歴史の歩みに他ならないが、つい数日前まではソレだったのだから。

 路地裏についたが、相変わらず誰もいない。

 前にいた女性を引きずり込んでいるようなチンピラだったなら、ヒトとしての良心も傷めることなく吸い尽くすことができるんだけど…でも、引きずり込まれていた女性の方は、どうだろう? …人の皮をかぶった野獣から救われても、ヒトのふりをしたケモノに襲われるのなら、嬉しくないだろう。

 今度は足を公園へと向ける。…人目に付かないようにしたいという意志が働いているのか? できるだけ人通りの少ないところから向かっているようだ。

 

「……ャアアァァーーーー!!!!」

 

 遠くから…公園の方から、悲鳴らしきものが聞こえた。

 その声に、ギアを入れたように加速する。誰かに襲われての悲鳴だったら、そこに人がいるということだから、今日の食事と行こう。…ナニかに襲われての悲鳴だったら、今後のために様子を見させてもらおう。

 

 公園に入ったわたしの目に飛び込んできたモノは…

 

 …漆黒のモノ…混沌…ネロ・カオス…

 …純白のモノ…真祖…アルクェイド・ブリュンスタッド…

 

 …そして…

 

「…え…」

 おかしい、なんで? どうして!?

「どうして、遠野くんがこんなところにいるの…」

 

 

 …もっとも会いたくて、もっとも会いたくなかったヒト…遠野志貴…そのヒトだった。

 

 

 

 わからない…全然わからない…なぜ、アルクェイドと一緒にいるの?

 わからない…全然わからない…なぜ、ネロに立ちふさがっているの? 

 わからない…全然わからない…なぜ、遠野くんはこんな所にいるの?

 

 わからない…全然わからない…ロアの知識のすべてを導入してもわからない…なんでこんなことになっているの!?

 

 戦況は一方的だった。確かにネロは強力な死徒だけど、真祖の姫はそれ以上のはずだ。…なのに、一方的だった。

「と、遠野くんっ!」

 今すぐに飛び出したかった。敵うとか敵わないとかでなく、遠野くんを助けに飛び出したかった。…でも、足が動かなかった。

 今すぐに飛び出したかった。叶うとか叶わないとかでなく、遠野くんと一緒に生きていたかった。…でも、足が動かなかった。

「なんで…なんでよ…」

 足はわたしのモノではないように、わたしの意志に逆らう。…金縛りというものなのかもしれない。

「!!! …っっっ!!!!!!」

 事態はもはや一刻の猶予もなかった。遠野くんは混沌に取り込まれようとしている。

「…動いて…動いてよっ! 動けっ! 動きなさい!!」

 かかしのようにかたまったままの両足を叩きながら、悔しさで叫び声をあげる。

 混沌に取り込まれた遠野くんの姿が、にじんでかすむ。涙をぬぐうことなくその姿を見つめ続ける。

 

 

 

「………えっ?」

 

 

 

 わからない…全然わからない…何が、起こったのか?

 わからない…全然わからない…何が、起こってるのか?

 わからない…全然わからない…何で、こうなってるのか?

 

 わからない…全然わからない…ロアの知識のすべてを導入してもわからない…アレは、いったい何なのか!?

 

 戦況は一方的だった。確かにネロは完璧な存在ではないが、圧倒的な存在のはずだ。…なのに、一方的だった。

 ネロから飛び出してくるケモノを屠る、屠る、屠る!

 混沌からわき出してくる幻獣種を殺す、殺す、殺す!

 一方的だった。それは一方的だった。とにかく一方的だったのだ。

「…あ…」

 それは死そのものだった。この世に顕現した死神だった。

「…あ、ああ…」

 怖い、とにかく怖かった。あれがナニモノなのかわからなかった。

「…あ、ああ…あああ…」

 これは恐怖だ、間違いなく恐れている。アレが怖くてたまらないのだ。

 

「…あ、ああ…あああ…ああぁぁん…」

 

 ゾクリ…

 

 怖い、この怖さだ、この怖さだったんだ。

 ああ、これだったんだ。

「…わかった、やっとわかったよ。…うん、これだったんだね」

 

 ゾクゾクとふるえる体を、ギュッとかき抱く。

 

 

「…わかったよ、うん。…これが、志貴くんなんだね」

 

 

 わたしは恍惚にふるえる体を抱きしめたまま、恋しくて、怖くて、愛しくて、恐ろしくて、とにかくたまらない、志貴くんの姿を眺めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

次回予告

 

 

 少女は思う。中学からの友人を…

 少女は思う。こないだまでのともだちを…

 少女は思う。親友までにはなりきれなかった知人を…

 少女は思う。死亡のニュースを聞いたクラスメイトのことを…

 

 一緒に話をしても、一緒に笑いあえても、一緒にすごせても……親友にはなれない…

 

 少女は違和感を覚える。席が一つあいても、なにげなく日常をすごす友人知人達に…

 少女は愕然とする。席が一つなくなっても、なにげなく日常をすごせる自分自身に…

 

 

 そして…

 

 …少女は恐怖する…

 

 

…ヒトが、こんなにもあっさりと、ヒトを殺してしまえていることに…

 

 

 

              次回、「吸血鬼 皐月」

〜地の章〜

 

 

 

 


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