「兄上、平太さんが秋の収穫期について相談があるそうだぞー」

「ああ、すぐ行くよ」

 私の呼びかけに、兄上が奥から返事を返してくる。

「平太さん、それで収穫期に何かあるのか?」

 兄上が来るまでのつなぎと言うわけでもないが、少し気になったので平太さんに聞いてみた。

「いや、特に何かってわけじゃないんですが。今回の収穫は期待できますから」

「ああ、人手が足りなくなると言うことか。うん、私たちもちゃんと手伝いに行くぞ」

「あ、いや、そういうことでなくですね…」

 平太さんが何かを言いかけたと同時に…

「平太さん、お待たせしましたね」

 兄上が玄関に姿を現した。

「それで、相談というのは何ですか?」

「あ、その件なんですけど、できれば是非村までお越し願いたいんです。あ、鳳仙様もご一緒に」

「私もか?」

 突然の指名に、思わずとまどいの声をあげてしまう。

「うん、わかった。じゃあ出かける準備をしようか」

 私のとまどいをよそに、兄上は平太さんにそう返事をすると、私に視線を投げかけてくる。

 その視線の中に、頼られている色を見つけて、私は「うん」と素直に頷いた。その色は、昔には見られなかったものであり、そのことは私をひどく悔しくてやりきれない気分にさせてくれたものだった。

 それが今は、すごく照れくさい気分と…それ以上に、ひどく私を嬉しくさせてくれる。

 

 あれから兄上は、少しだけふっきれたようだった。

 こうして時々、私に頼ってくれるようになり、あの儚さを感じさせる危うさも薄れてきている。

 その変化は、素直に嬉しい。…そう、嬉しいはずだ。嬉しくないはずがない。

 

 でも、足りない。もっと頼って欲しい。もっと求めて欲しいと願っている私がいる。

 

 私は、実は兄上よりもずっと罪深いのかもしれない。

 だって、兄上は「禁忌」を恐れている。その上で、あこがれのようなものを感じているのかもしれない。でも私は…

 

 

 …私は、「禁忌」を望んでいる。…そして、そこに恐れなんて、ないかもしれないから…

 

 

 

「「温泉!?」」

 

 

 私と兄上の声がかぶさる。

「ええ、そうですじゃ」

 おばばが言うには、この龍神村から少し離れたところに温泉がわいており、そこはおばばの知人が管理しているそうだ。

「ですが、そろそろ収穫期では」

「ええ、でもまあ、まだ少しありますけん、一週間くらいどうですじゃ?」

 そのお婆さんにとっても、龍神の降臨は悲願であったらしく、是非にとのことだそうだ。

「そうですね…」

 兄上がちらりとこちらを見てきたので、私は頷いて答えた。

 

「せっかくの申し出です、ありがたく受けさせて頂きます」

 

 

 こうして、2泊3日ほど温泉旅行をすることになったのだった。

 

 

「よくいらしてくださいました」

 そのお婆さんは、なにもそこまでという位に頭を下げて、私たちを出迎えてくれた。

「あ、いえ、こちらこそ、ご招待にあずかり…」

 私はあわててお婆さんに、なんとか下がっている頭を上げてもらおうとする。

 しかし、たいていこういうことには、私よりも兄上のほうが先に気遣ってくれるものなのだが…そう思って、兄上の方を見て…

 

 …絶句した。

 

「…あ、兄上…」

 ようやく絞りだした言葉も、兄上には聞こえていないようだった。

 

「…龍神…天守閣…」

 

 涙をハラハラと流しながら、兄上はその看板に書かれていた名前を呼んだ。

 

 

 

 それから、私たちはお婆さんの家に案内され、離れの部屋を借りることになった。温泉だけでなく、宿まで頂くということに非常に恐縮したのだが、是非にと押し切られてしまったのだった。

 そして、兄上は…

 

 …何もいってくれなかった。

 

 ハラハラと涙を流したあとは、押し黙ってしまい、私の言葉にもあいまいに相づちを返すだけが続いているという次第である。

「兄上」

「ああ」

「温泉に行くぞ」

「ああ」

「久しぶりに背中を流してやるぞ」

 

「ああ………なっ!!」

 

 ようやく反応らしい反応を返してきた兄上にかまわず、宣言通りに温泉へとどんどんと背中を押していく。

「ちょっ、ちょっと待て、ほ、鳳仙っ!」

「さあさ、こんな美少女に背中を流してもらえるなんて、めったにないことだぞ」

 

 

 …そう、勢いよく行ったのはいいが…

 

 

「………………………………」

「………………………………」

 

 ゴシゴシゴシゴシ…

 

「………………………………」

「………………………………」

 

 ゴシゴシゴシゴシ…

 

 私の前で、おとなしく背中を向けている兄上は照れているのか黙っている。

 …無論、私だってすごく恥ずかしいので、静かな温泉脇の洗い場には、背中をこする音だけが響いていた。

 

 ゴシゴシゴシゴシ…

 

「…兄上…」

「…ん?」

 ようやくのことで、口を開く。

「…何があったんだ?」

「………………………」

 

 ゴシ……

 

「…兄上…」

「……………」

「…私じゃあ…」

 

 …頼りにならないのか…そう口を開こうとした時…

 

「…どこから、はなせばいいんだろうか…」

 

 

 …兄上は、そう静かに語り始めた。

 

 

 

 兄上の語ってくれた話は、ひどく悲しい物語だった。

 兄上自身の心情はそこには含まれていない、ただ起こったこと…兄上の中では確固としてある事実を…ただ、それだけを語ってくれた。

 

 兄上が菊花様と結ばれたこと…

 村に夜盗達が襲ってきたこと…

 兄上と私と龍神様達の4人で逃げ出したこと…

 菊花様が兄上との子供を数日にて孕んだこと…

 

 そして…天罰のこと…

 

 菊花様は記憶を失い、最後に思い出したものの…夜盗によって命を落とし…

 兄上も、後を追った…

 

 その後のことは、しぐれ様の記憶から覗いたそうだが…

 

 しぐれ様はその後、後悔と懺悔の中で人間界にとどまり…

 

  

 そして、私も…

 

 

 あったかもしれなかったこと…でも、起こっていないこと…

 あったかもしれなかったこと…でも、兄上のなかでは事実…

 

「……そうか…」

 話を聞いて、私はただそう答えた。

 

 何を言えるだろう…つらい経験をしてきている兄上に対して…

 何が言えるだろう…ただ話を聞いただけで経験してない私に…

 

 それでも…

 

「…兄上は…」

 

 これだけは…

 

「…後悔しているのか?」

 

 

 聞かなければいけなかった…言わなければならなかった。

 

 

 

「…後悔…それは、もちろん…」

「…本当に? どのことに対して?」

 なんて意地悪な質問だろう、わかっているのに…聞かなくてもわかっているのに聞いている。

「菊花様のことで? しぐれ様のこと? それとも私?」

 私はわかっているのに…兄上がわかっていないから…認めようとしていないから聞いている。

「それは…」

 

「どうしようもなかったんだ」

 

 なんて無責任な言葉だろう。なんのなぐさめにもならない、とってつけたようなお約束な言葉だ。

 それでも…

 

「どうしようもなかったんだよ、兄上」

 

 …それが真実だった。

 

 兄上が兄上である以上、兄上は同じようにするだろう…

 菊花様が菊花様である以上、菊花様は禁を犯すだろう…

 しぐれ様がしぐれ様である以上、止められないだろう…

 そして私が私である以上、きっとそうしていただろう…

 

 だからこそ、兄上はあの変な…兄上であって兄上でない兄上に頼ったのだ。

 

「…しかし、私のせいで…」

 兄上はわかっていない…認められない…

「兄上は罰を負った。菊花様もだ。それにしぐれ様は、救われたんだろう?」

 あの兄上のことだ、間違いないだろう。

「…私も…」

 私はその鳳仙ではないが…あの兄上が言っていた…めいこではないが…

「…兄上が幸せなら…そう感じてくれるなら、私も救われるから…だから…」

 

 ぎゅっ…

 

「…もう悔やまないで…どうしようもないことで悔やまないで…」

 後ろから兄上を抱きしめる。

「…もう許してあげて…これ以上自分のことを責め続けないで…」

 パタパタと、湯よりも熱い雫が腕に降りかかる。

「…鳳仙、ごめん…すまない…」

 

「…うん。…許す、赦すから…」

 

 

「……ありがとう…」

 

 

 

 ………………

 ………

 

「う…うあぁっ…」

 

 温泉でいろんなものを流して、離れの部屋に戻ってきた私たちであったが、そこにはひどく困惑させるものができていた。

 温泉から出てすぐに眠れるようにとの配慮からだろう、すでに布団が敷かれていた。…それはいい。

 布団の上には、まくらもしっかりと置いてくれていた。…それもいい。

 

 …問題なのは、まくらが二つ、一組の布団の上に置かれていることだった。

 

「…あ、ああああの、お、おば、お婆さんに言って、もう一組布団を借りてくるからっ!」

 かあぁぁぁっと赤くなっていく顔を伏せたまま、私はそう兄上に告げる。

 そのまま離れを出ようとしたのだが…できなかった。

 

 ぎゅうっ…

 

「あ、あああ、あああああ兄上っっっっ!!!!!」

 後ろから兄上に抱きつかれて、私はとことんまで混乱の海へとたたき落とされた。

 もうなにがなんだかわからなくって、とにかく頭に血が上っていて顔から火が出ているように熱かった。

「あ、あに、兄上っ…」

「…とりに…」

「…えっ?」

 

「…ひとりにしないでくれ…」

 

「…兄上…」

 

 

 その弱々しい声が、混乱していた私の頭の中にすうっと入ってきた。

 

 

「…怖い、…怖いんだ。…これは本当のことなのか、夢じゃないのか?」

 兄上の腕に力が入る。

「…気付いたらまた、…またいつもの、あの暗い闇の中で、私一人がいるんじゃないのかっ!?」

 抱きしめるという類のものじゃない、溺れるものがすがっているという類のものに近いんだろう。

「…あの闇の中で、くらいくらい闇の中で、何度となく見た夢の一つじゃないのかっ!?

 性懲りもなく救いを求める私への、更なる天罰じゃないのかっ!!」

「…あに…うえ…」

 

「…いやだ、もういやだ…いやなんだっ!!!」

 

 それは、私が初めて聞いた、兄上の弱音だった。…ためにためて、決してみせてくれなかった、兄上の魂の叫びだった。

 

「…行かないよ…」

 

 兄上の腕をぎゅっと抱きしめて、私は答える。

「そばにいるよ…」

「…ほうせん…」

「私はここにいる。兄上の腕の中にいるよ」

「…鳳仙…」

「兄上もここにいる。私がしっかりとつかまえているよ」

「…ほう…せん…」

「兄上は一人じゃない」

 抱きしめる腕に力を込める。私のことをもっと感じられるように…

 

「…私がそばにいるよ」

 

「……鳳仙…」

 

「暗い闇の中なんかじゃない」

 

 兄上の涙に濡れた顔を見上げる。そして、精一杯の…私も涙でぐしゃぐしゃになっているだろうけど…精一杯の笑顔を向ける。

 

 

「…夜は、いつだって明けるんだ」

 

 

 

 それはどちらからだったろうか…

 

 

「んっ…んんっ…」

 そっと触れあった唇が、互いが互いを求め合った。

 

 

 私からだったろうか? …兄上からだったら、嬉しいのだけれど…

 

 

 

「…兄上は、ひどいな…」

 私がそう言うと、兄上はひどくうろたえたものだった。

「…やっぱり、許せないな…」

 私の言葉に兄上が落ち込むのを見て、複雑な気持ちになるけど、これだけは本当に許せないんだからしょうがなかった。

「…兄上は、…その、…私の気持ちをもう知っているんだろう…」

 そう、兄上が知らないわけがないんだ。これはずるい。本当に許せない。

「…それなのに、こんなことをして…こんなに私を惑わせて…許せないよ」

 そうだ、許せるものじゃない。ただでは絶対に許してやるもんか!

「…鳳仙…」

 

「…私は、…私は、兄上のことが好きだ。大好きだ!!」

 

 知られていても、知られているからこそ、ひどく恥ずかしかった。りんごよりも真っ赤になっているかもしれない。

「…兄上、答えて…答えてよ…」

 兄上は、優しく私の涙をぬぐってくれた後…

 

「…私も、…私も、鳳仙のことが大好きだよ…」

 

 …そう言って、そっと口づけをしてくれた。

 

 

 

 …ああ、兄上からだった。…うん、…嬉しいな…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

…月日は巡り巡る…

「…そろそろだな」

…再び夏は訪れる…

「…月日が経つのは早いな」

…私たちはただ歩む、それしかない…

 

 

…それでも、その先はきっと同じだと信じて…

 

 

「…でもね、たとえどんな未来が待っていても、私は兄上のそばにいるよ」

 

 

 

次回

 

巡月日夏 再臨龍神

 

 

…それは、永遠に続くふたりの足跡…

 

 

 

 

 


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