鬼畜王ランス列伝

山本五十六記

作:たのじ


第九章 香姫

「香姫様ぁー!」

「姫様ぁー! もう限界ですぞ! 我等まで煙に巻かれますっ!」

「ここにおれらるはずなのだっ! 爺っ! もっとよく探せ!」

 私達は炎上する大阪城の天守閣を、香姫様――信長公の唯一のご息女――の姿を求めて走っていた。

 私は大阪城にあったとき、香姫様にはひとかたならぬお世話になった。女のくせにと私を嘲笑う者達の中で、香姫様だけは私の味方となってくれたのだ。少しでもその恩を返すために、せめて命だけでもお助けしようと、私は大阪城の城門が開くと同時に天守閣を目指した。

 私の部隊が見付けたならばともかく、他の部隊が見付けたら香姫様がどうなるか。リーザス軍は、ランス様の威令が末端の兵卒まで行き届いているために信じられないほどに規律正しく、暴行略奪などはほとんど存在しない。しかし、それとて絶対ではないし、何より香姫様が自らの誇りを守るために先走って自害しかねない。

 ランス様は敵には容赦はしないが降服した者を皆殺しにするような残酷な方ではないし、私から願い出ればおそらく保護することを認めてもらえるだろう。もっとも、ランス様が香姫様に目を付け、手を出す可能性はかなり高いと言わざるを得ないが。

 そう考えると、なぜか胸にちくりとした痛みが走る。だが、今はそれどころではない。火が回りきって天守閣が燃え落ちる前に、香姫様を救い出さねばならない。

「……!」

 聞こえたっ!

 煙の壁の向こうから。微かにだが人の声がする。それも、そうとう切羽詰まった叫び声だ。

「爺っ! 向こうだ! 続けっ!」

「ははいっ!」

 煙でも吸ったのか、多少足をふらつかせながら爺が後を追って走ってくる。もういい年の爺に無理をさせるのは気が引けるが、ここは我慢してもらおう。

「……あやっ! ばあやっ! しっかりして!」

「香姫様っ! ご無事ですかっ!」

「えっ!? 五十六殿!?」

 そこには、倒れた柱の下敷きになっている初老の奥女中を、必死になって引っぱり出そうとしている香姫様の姿があった。そのお顔は煤にまみれ、涙で濡れていたが、怪我一つ負っている様子はなかった。私より三つばかり年上のはずだが、ふっくらとした童顔の為に私よりも年下に見えてしまう。

「なぜ、貴方がここに……?」

 私の出現に呆然とした様子の香姫様。当然だろう、私はリーザスに負け、捕らえられたはずなのだから。

「その話は後で。今はお急ぎください、直にこの天守も燃え落ちます!」

「でも、ばあやが……、柱の下敷きに……、私を庇って……」

 香姫様が止まっていた涙を再び溢れさせる。柱の下敷きになっている奥女中は、香姫様の守り役だった者だ。腰から下は完全に柱の下だ、あれではおそらく、即死だったのだろう。だが、その死に顔はどこか満足そうな微笑みを浮かべていた。

「残念ですが……、この方は既に……」

「ばあや……」

 脱力してへたりこむ香姫様を強引に立たせ、腕をとって引きずるように歩き出す。

「ここで香姫様まで死んでは、この方のなさったことが無駄になります。今は、生き延びてください!」

「……はい」

 とにかくも何とか返事を返してくれた香姫様を連れ、私達は歩き出した。ともすればふらつく香姫様を支えて、爺に道を開かせて先へと進む。煙にむせながらも、香姫様は、次第に落ち着きを取り戻されたようだった。

「五十六殿……。父は、父の死に様はどうだったのですか……?」

 その言葉に、私は胸をつかれる思いだった。

 しかし、直ぐに思い直す。この方も頼りなさそうに見えて信長公の娘、JAPANの王の姫君なのだ。

「信長公は、ランス王をはじめとするリーザスの勇士三人を相手に壮絶に討ち死にされました。天晴れな武者ぶりでした……」

「そうですか……。戦いの中で散ったのなら、父も本望でしょう……」

 そう言うと、今度は香姫様は顔を伏せられた。

「これから、私はどうなるのでしょう……」

「……とりあえず、私の手元で香姫様の身柄を保護しようと思います。今、私はリーザスのランス王の元に身を寄せ、一軍を預かる身ですので、願い出れば何とか認めていただけるでしょう」

「そうですか……」

 それだけ言うと、香姫様は安心したようにほっとため息をついた。

 ……なぜだか頬が赤らんでいるように見えるのだが、周りの炎の照り返しのせいだろうか?

 それからは無言で燃えさかる炎をかき分け、私達三人は城内を進んだ。廊下を走り抜け、きしむ階段を駆け下り、能う限りの速さで門を目指す。

 だが、門まで後わずかという階段の前で私達は途方に暮れた。天井と柱が燃え落ち、私達の行く手を遮るように道をふさいでいるのだ。この有様では手作業でどかすなど論外だし、”疾風点破”で吹き飛ばそうにも手元に弓はない。

「姫様! これでは通れませぬ! 他に道を探すしか……」

「だが他に道など……」

 全力で頭を働かせて記憶を洗い出す。大阪城内の覚えている限りの通路を考え、他に道はないかと探す。

「五十六殿……」

 周りで燃えさかる炎に怯えているのか、香姫様が私にすがりついてくる。しかしその時、私は何故か香姫様の視線に妙な寒気を感じた。 ……なぜこんな時なのに目が潤んでいる上に頬を赤らめておられるのですか!?

 香姫様の顔を見たとたんに口から飛び出そうになった言葉を飲み込み必死で他の道を考える。……煙が目に入って涙が出ているのだ、周りの炎を照り返して赤くなっているんだ、そうに違いない!

 混乱しかけている私を爺と姫が見つめている。とにかくこの場を離れねば……。

 その時、炎の向こうからこの場にいるはずのない方々の声が聞こえた。

「五十六ーっ! そこにいんのは五十六かっ!?」

「山本将軍! 無事でしたかっ!」

「ランス王!? リック将軍!?」

 確かに向こうから聞こえてくる声はお二人のものだった。炎と瓦礫の向こうに、お二人の影がちらちらと見える。

「今からここを吹き飛ばすからな! 離れてろ!」

「は、はいっ!」

 驚いている香姫を引きずり、私は爺とともに瓦礫から離れる。同時に、ランス様が来てくれたことに、私は喜びが湧き上がってくるのを感じていた。

「やるぞ! リック!」

「はっ! キング!」

”ラーンスアターック”!」「”バイ・ラ・ウェイ”!

 声と共に、轟音が私の耳を叩く。飛び散る火の粉から香姫様を庇い、再び目を開けたときには、お二人の剣が炎と瓦礫を吹き飛ばし、通路の上に遮る物は何もなかった。

「いよぅしっ!」

「さあキング! 山本将軍! 急いで脱出しましょう!」

「はいっ!」

 今度はリック将軍が先頭に立ち、ランス様がその後に続く。私は衝撃で足下がおぼつかなくなった香姫様を爺と二人で支え、先を行くランス様に疑問を投げかけた。

「ランス王、何故ここにおられたのですか?」

「あー? そりゃお前、五十六の姿が見えねえからどこへ行ったかと兵士達に聞いたら、城ん中に駆けこんでったって言うじゃねーか。おまけに、いつまでたっても戻って来ねーから、探しに来たんだ」

「そんな……。私などのために、こんな危険なところに……」

「当たり前だろーが。俺様は自分の女を見捨てるよーな真似はせん!」

 人前でこんな事を言われては、羞恥と、不謹慎だとは思うが喜びで体が熱くなる。顔も赤くなっているのでないだろうか?と思っていたら、香姫様に抱え込んでいる私の右腕を強く捕まれた……、何故だろう?

「途中でリックに見つかって強引に付いて来られちまったが……。本来ならば俺様一人で格好良く助けに来るはずだったんだ!」

「申し訳ありませんが当然のことです。キングお一人を危険にさらすわけには参りません。それに、山本将軍は大事な仲間です。今回の戦も、将軍の働きがなければ危ういところでした」

 リック将軍の言葉に、ランス様が怪訝な顔をする。

「何だそりゃ?」

「キング、その事については後で報告します。とにかく今はお急ぎください」

「つってももう出口だろーが。ほれ、急げ五十六!」

「はいっ!」

 私達は炎の燃えさかる城内から、ようやく外に走り出た。見ればもう日はほとんどその姿を山の陰に沈め、暗い夜空に大阪城を焦がす炎の赤が映っている。私達の後ろで、大阪城が断末魔の声を上げるように全体が軋み始め、あちこちが崩れ始める。

 JAPANの王として権勢を振るった織田家の居城、大阪城は、私達の見守る中、一晩中燃え続けた。
 
 

「んで、五十六。お前の後ろで小さくなってるそのかわいこちゃんは誰だ?」

 燃え続ける大阪城を見ていると、ランス様が予想通りと言うべきか、香姫様に目を留めた。その声に、香姫様は怯えられたように私の背中に隠れられた。私の陣羽織にすがり付くその手が、微かに震えているのを感じる。

 私の力に限りはあるが、かつての恩返しのためにも、出来る限りこの方を守ろうと誓いも新たに、私はランス様の質問に答えた。

「この方は、信長公の唯一のご息女、香姫様にあらせられます」

「ふぅん、あの信長のねぇ。ってことは、そいつも魔人の同類じゃねぇのか?」

 ランス様のその言葉に、香姫様はますます小さくなって震え始めた。信長公は魔人だったためか、無駄に血を流すことを喜ぶような残酷な面があったのは確かだったが、香姫様はそんな信長公の行いを悲しみ、恐れ、幾度も諫めようとしては、その度にはねつけられて涙しているようなお優しい方だった。

「いえ、香姫様は信長公とは似ても似つかないお優しい方です。私も大阪城にあったときには一度ならず親切にしていただきました。……ランス王、香姫様は戦場になど出たことがない方ですし、今日は色々なことがあってお疲れになっておいでです。この場にいては何かとよくありませんし、よろしければ、私の天幕でお休みになっていただきたいと思うのですが、よろしいでしょうか?」

 ランス王はまだ何か言いたげな表情だったが、私の背後の香姫様の煤と涙で汚れた顔を覗き込むと、残念そうな、どこか納得したような表情に変わって、一つ頷いた。

「……もったいねえな、可愛いのに」

 ……何が『もったいない』なのだろう?そんな私の疑問をよそにランス様は続けた。

「ま、いいだろう。とりあえずリーザスに帰るまでは、お前が責任もって保護しとけ。その後の取り扱いの話をすんのはリーザスに帰ってからだ」

 そう言い残して、ランス様はあっさり自分の天幕へと戻っていった。リック将軍もその後に続き、後に残ったのは私と香姫様、爺の三人だけだった。あまりにもあっさりとランス様が香姫様を手放したことに私は拍子抜けしてしまっていた。

 しかし、これは私にとっても香姫様にとっても都合の良いことなので、ランス様の気が変わらない内に私の天幕へと香姫様をお連れすることにする。

 ……なぜ、『私にとっても都合が良い』のだ?

 天幕にたどり着き、身だしなみを整え、爺のいれた茶を飲んで、香姫様は一息つかれたようだった。そして、着物がないので私の余分の夜着を着て、一服したことで興奮も冷め、ようやく落ち着かれた香姫様は、気が付くと私に物問いたげな視線を投げかけていた。まだ不安なのだろうかと思い、安心していただこうと、私の立場と姫様のこれからについて説明することにした。

「とりあえずはご安心ください、香姫様。ランス王の許可も頂けたことですし、これからは私が姫様の身柄をお預かりいたします」

 今まで受けたご厚意を少しばかりでもお返しするために、と付け加えると、香姫様は、

「私は、親しく語り合える方が欲しくて五十六殿に近づいただけなのです……。そこまで迷惑をかけるわけには……」

「それでも、私は香姫様に随分と救われました」

 そこまで言うと、香姫様ははにかんだ微笑みを浮かべられた。しかし、次の瞬間には一転して心配そうな顔つきになる。

「五十六殿、一つよろしいですか?」

「はい」

「五十六殿は、今リーザス王に仕えられているそうですけど、あの、その、一体どのようなご関係で……?」

 心配そうな、しかし微かに頬を赤らめた表情で、上目遣いに香姫様はそう問うてきた。これはおそらく、大阪城内でのランス様が『自分の女』と私に言った一件だろう。言うべき事かどうか迷ったが、リーザス城に行けばわかってしまうことであるし、よい機会なので爺にも聞いてもらうことにする。

 私が将軍としてリーザスに仕えていること、ランス様のハーレム入りを承知したこと、そしてその条件として、いずれ生まれるであろう我が子を、JAPANの王として認めてもらうこと。一気に話し終えたとき、香姫様は驚きを隠せずに無言、爺も何やら複雑な表情をしていた。信長公に蝶よ花よと育てられた香姫様には今の話は刺激が強すぎたのだろうと想像はついた。

 しかし、爺のこの呆けたような表情は何なのだろう? 私がハーレム入りしたことは、部屋をハーレム内に移したことや、大阪攻めの始まる前の一件で気づいていただろうに。

「五十六様……」

「何だ、爺?」

 香姫様の前では、紛らわしいためか爺は私を名前で呼んだ。

「……思い切った取引をされましたな。まさかJAPANの王とは」

「ああ、私もまさかあっさり許されるとは思わなかったがな。……香姫様には申し訳ありませんが、いずれ山本家の者がJAPANの王となります。ですから、香姫様も、今はしばらくリーザスに移っていただくことになるでしょうが、いずれ必ずJAPANに戻ることが出来ましょう」

 その時までご辛抱を、と私が頭を下げかけたとき、香姫様は私を制して言った。全て五十六殿にお任せします、と。

 その後、私達は爺を下がらせて同じ寝具の上で休むことになった。一人で眠ることを、香姫様が不安がっていたからだ。一日で一国の姫君という立場から、明日をも知れぬ身になったのだから、不安に思うのも当然だろう。

 私も今日の激戦の疲労のために、床について早々に泥のように眠った。
 
 

 その夜、夜半に目を覚ますと、香姫様が眠ったまま私の胸にすがりついていた。

 香姫様は、眠りながら涙を流していた。

 私は親を求める幼子のようなその姿に胸を打たれ、これからはこの方を守ることも心に誓った。

 

 ……翌朝目を覚ました時、香姫様は私に抱きついている、と言っても良いくらいに手足を絡ませていた。

 寝苦しいわけだ……。
 
 

第十章 凱旋、そして

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