パニック障害 〜私の場合 その1 発症するまで〜


■身体の異変■

平成6年4月に、県立高校の教諭として採用され、毎日忙しいながらも充実した日々を送っていました。 最初の年から4年間担任をさせて頂いた後、5年目に転勤しました。新しい赴任先では担任はしておらず 学年外の部署で仕事をしておりました。その2年目に子どもを授かり平成12年3月に出産、1年間の育児 休暇を頂きました。そしてその後3月末に職場復帰したのですが、その頃から身体に異変が現れ出したのです。

■忙しい毎日■

任された部署が学校行事を扱わなければならないところで、しかも6月の予定が4月に決まっておらず、 早急に決めるように言われました。何も知識がない上に生徒会の生徒達とも関わらなくてはならず、 神経を磨り減らす日々が続きました。何とか話しあった上で決める事はできたのですが、その第1段階を クリアした途端に身体が地面に引っ張られるような感覚になり、とても勤務出来る状態ではなくなって その日は早退しました。子どもは保育所へ預け始めたばかりで、免疫がなかったせいか38度を超える熱を よく出していて、病院通いも始まりました。保育所・病院・学校、それにもちろん家事と忙しい日々を 送ることになったのです。  

■怖い経験■

ある日、子どもを病院へ連れて行き実母に預けてから車で学校へ向かいました。運転している途中、息が 荒くなり何故かドキドキし始めました。“授業に穴を空ける訳にはいかない。何とか出勤しないと。。。” そう思いながら車を走らせました。しかし、どうしてもドキドキが治まらず、もう無理だと判断し車を 道路脇に止めて携帯で休む旨連絡をしたのです。すると、その電話の途中から更に息が荒くなり、ハーハー といい始めました。今までにない感覚で、そのうちお腹周辺を除いた全身がしびれ始め、もうパニック状態 に陥ったのです。動かない手を何とか動かして、携帯で救急車を呼び、近くの総合病院へと運ばれたのです。  

■何も言ってくれなかった■

総合病院へ着くと、血液検査をされ、内科の先生の問診を受けました。先生に「先の事を考えていると、 やらないといけないけど出来そうにないし、どうしたらいいか分からなくなって。。。」と半ば興奮状態 で話すと、「普通はそんな事にはならないの!」と言われただけでした。そして、落ち着くように点滴 をされ、血液検査の結果も異常なしとのことで、すぐに返されたのでした。  

■分からないまま。。。■

翌日、朝からなんとなく緊張はあったものの、“これで行けなかったら行くことが出来なくなる!”と思い、 ドキドキはあったものの何とか学校に辿り着き、普通に仕事をこなしました。それからしばらくは、 おかしいなぁと思いながら、疲れているだけだと考え、子どもの発熱で休む時以外は自分の体調で休む ことはありませんでした。しかし、部活動の試合の時、ベンチに座っているだけなのに恐怖感に襲われたり、 審判をしないといけないと考えるだけで、必要以上の緊張を感じるなど、何故こんな風になるのか、と 思うことが増えて行ったのです。  

■苦しい日々■

毎日授業とそれ以外の仕事に追われ、家事や育児、どれも手を抜く事が出来ない毎日が続きました。夏休みに 入ってからもその状況に代わりはなく、常に緊張した状態でした。出張の研修会で訪れた学校では、体育館 での講義や各教室に分かれての研究会においても、もう逃げ出したい状態になりました。それでも、途中 で帰る訳にもいかず、ひたすら我慢をしたのです。また、部活動の引率で他校に訪れた際も、体育館の中で 気分が悪くなり、氷で頭を冷やしたものの不安は治まらず、とにかく帰ろうと思い車を走らせたのでした。 しかし、それが間違いのもとで、途中渋滞に巻き込まれ、ハンドルを握りしめながら究極の緊張感と戦いました。 それでも何とか無事に帰宅し、しばらく休んでいると回復しました。この時、ふと受診した方がいいのかも、 と思ったものの、何処で診てもらえばよいかが分からず、そのまま流れてしまいました。  

■涙が止まらない!■

9月に入って平常の授業が始まり、その他の仕事も1学期ほど忙しくはなくなったのですが、身体はいっこうに 楽にはなりませんでした。何をしてもしんどい、何もしたくない、という状態で、一日の予定を考えただけで 嫌になっていました。ある日の朝、出かける準備で歯磨きをしていると、突然動悸がし始めたのです。 ドクッドクッドクッ。。。怖い。。何がどうなのか訳が分からずとにかく怖かったのです。涙が出てきて 止まらなかったのですが、休む訳にはいかないと、落ち着くのを待ってから出かけました。  

■どうしたらいいか分からない!■

10月末には中間考査があり、その採点とその後の授業の準備に追われていました。採点も済ませ、授業の準備も出来ている、 何も問題はない。なのに教室に行くのが怖い。生徒達が嫌な訳ではない。授業をするのが嫌な訳でもない。 それでも行こうとすると緊張が走り、怖くて怖くてたまらない。かといって、行かない訳にはいかない。 でも行けない。。。そのような異常な状態になり、涙がポロポロ出できて止まらなくなってしまったのです。  

■スクールカウンセラーとの出逢い■

養護の先生にお願いし、保健室で休ませてもらって、授業のある時間だけそこから出かけました。そして、 その日の放課後、たまたまスクールカウンセラーの先生がお見えになると聞き、ラッキーなことに予定されていた 面談がキャンセルになったとのことでお話しを聞いてもらう機会が出来ました。先生に会うなり、涙が 溢れ出し、話すことすらままなりませんでした。それでも、ぽつぽつと話し始め、思っていることを全て 話したのです。その中で、どうしても落ち着かないようなら病院に行くようにと勧められ、初めて “心療内科”で受診すれば良いと知ったのでした。  

■心療内科受診■

翌日、出勤途中にやはり緊張が走り、勤務出来ないと判断して病院へ行きました。そこでもスクールカウンセラー の先生にお会いした時と同様、先生に会うなり涙が溢れ、何も話すことが出来ずにその日はとりあえずのお薬を もらって帰りました。数日後、やっとお話しする事が出来ましたが特にこれといった指示もなかったので そのまま勤務を続けていたのです。しかし、身体はもう限界に達していたせいか、さらに数日経った時には 病院の先生に「よく教壇に立っていますね。考えられませんよ。あなたの場合は表面に出ないタイプだから 分かりにくいですが、内面はグチャグチャの状態ですよ。仕事は休みなさい。」といわれたのでした。  

■病気療養へ■

学期途中だったので、迷惑がかかることは分かっていたのですが、勤務を続けることも出来なかったので 休みたい旨を伝えました。その際、心ない言葉を聞かされたのですが、言い返す気力もなく次の日から 休むことになりました。そして、その翌日の土曜には、自分の使っていた机を整理して、他の先生方のお手を 患わさないようにだけはしておいたのです。結局、これが教員としての最後の一日になってしまいました。

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