【♪クラシック】ピョートル・チャイコーフスキイ〔1840年5月7日(旧暦4月25日)、ボートキンスク-1893年11月6日(旧暦10月25日)、ペチェルブールグ〕作曲・歌劇『マゼーパ』〔※『クラシック音楽作品名辞典』(三省堂)には「台本:A.S.プーシキンの『ポルターヴァ』により、V.P.ブレーニンと作曲者。作曲年:1881-83。スウェーデン戦争でロシアから独立を図ったウクライナのコサックの首領マゼッパと、かれに愛を捧げて、ピョートル1世の側について処刑される父コチュベイとの板ばさみになったマリアの悲劇。」とあります。〕より、『ポルターヴァの戦い』(第3幕間奏曲)(演奏:ヴァレーリイ・ゲールギエフ〔1953-。2008年5月2日、生誕55年!〕指揮&マリイーンスキイ劇場オーケストラ。)2'55
【新聞拾い読み】ポルターヴァでのサーロ(塩漬けラード)祭り、ヴォートカを飲むときに嗅ぐ匂い
【おしゃべり】北オセチヤやシベリヤや極東の出身の大相撲力士たち
※沿海地方レソザヴォーツク市出身の力士・阿夢露(あ・むう・る)についてのページ
http://mytown.asahi.com/chiba/news.php?k_id=12000420801090001
【お便りのご紹介】佐藤輝子さん、福岡満智子さん、太田久宣さん、田中正仁さん
【♪ロシヤ歌曲】セルゲーイ・ラフマーニノフ〔1873-1942。2008年4月1日、生誕135周年!〕作曲・6つの歌・作品4より、第1曲『いや、お願いだ、行かないで!』(詩:ドミートリイ・メレジコーフスキイ〔1865.08.02[新暦14]、サンクト・ペチェルブールグ-1941.12.09、パリ。作家・詩人・批評家、モダニズムの先駆者、ロシヤ象徴主義の始祖。次のサイトにイリヤー・レーピン画のメレジコーフスキイの肖像画が掲載されています。〕、歌唱:ドミートリイ・フヴォロストーフスキイ。田中正仁さんのお便りに寄せて。)1'47 →原詩と拙訳は下をご覧ください。
【午後の茉莉花茶インタヴュー】小林亮介さん〔太平洋国立大学大学院留学生〕&山崎弘子さん〔極東国立人文大学留学生〕との語らい(4月12日午後・ハバーロフスク市内の日本料理店『ヤキトリ』にて。)9’02
【お便りのご紹介】安藤栄美さん
【サイト情報】『むさしの・多摩・ハバロフスク協会』公式サイト
http://mtxa.org
【お便りのご紹介】伊藤慶彌さん、今橋輝さん、金子宏さん、高橋佳宏さん、長谷川浩正さん、須藤幹雄さん、岩井泰志さん、大嶋武信さん、町田緑さん、植村昭男さん、原田愼さん、加藤信哉さん
【訂正】『シベ銀』第164回の東京リスナー集会での岡田の拙い挨拶のなかの歯科医院でたまたま手に取った『文藝春秋』2007年1月号に掲載されていたマルティン・ルターの言葉の引用中「葡萄の木を植える」を「林檎の木を植える」に訂正いたします。(仙台リスナー集会でもおなじようなことをお話しいたしましたところ、宮城県涌谷町の武田理さんが「私も歯医者をやっておりますので『文藝春秋』を置くようにしないといけませんね」と優しい笑顔でそっと囁いてくださいました。)
【映画】アンドレーイ・タルコーフスキイ監督『サクリファイス』
【新聞拾い読み】女優マリーナ・ヴラディーの言葉「お金がロシヤ人にとって主な目的となったことに私は驚いています・・・」(次のサイトにマリーナ・ヴラディーの写真が掲載されています。
<http://upload.wikimedia.org/wikipedia/ru/4/49/Marina_vlady.jpg>
【映画】ミハイール・カラトーゾフ〔カラトジシヴィーリ〕監督『鶴は飛んでいく〔邦題:戦争と貞操〕』カンヌ映画祭グランプリ受賞50周年!(次のサイトにタチヤーナ・サモーイロヴァの写真が掲載されています。
【♪歌われる詩】『悲運』(作詞・作曲:ヴラヂーミル・ヴィソーツキイ。歌唱:マリーナ・ヴラディー〔1938-。2008年5月10日、生誕70周年!〕。演奏:ゲオールギイ・ガラニャーン指揮&オーケストラ『メローヂヤ』〔今年、結成35周年!〕。)2'55 →原詩と拙訳は下をご覧ください。
【お便りのご紹介】松村行弘さん&稔さん、高橋寛さん、鈴木智久さん、其田祐樹さん
【新聞拾い読み/ハバーロフスク開基150周年関連の記事】ドキュメンタリー映画『3つの丘のうえの町』、映画館『ドゥルージバ(友好)』の新装
【♪懐かしの映画音楽】『狩場の悲劇』〔制作年:1978、監督:エミーリ・ロチャーヌ、原作:アントーン・チェーホフの同名の長編小説、映画の原題:私の可愛く優しい獣。〕のワルツ(作曲:エヴゲーニイ・ドーガ。) 2'56
※このひと月間にお便りをお寄せくださいましたすべての方のお名前
【お知らせ】ハバーロフスク支局では、『シベリヤ銀河ステーション』の電話インタヴューのコーナーにご出演くださる方を随時募集しております。収録にご都合のよい日時をご指定いただければ、こちらから国際電話をさせていただきます。ご希望の方、どうぞお気軽にご連絡くださいませ。
いや、お願いだ、行かないで!
詩:ドミートリイ・メレジコーフスキイ 曲:セルゲーイ・ラフマーニノフ
いや、お願いだ、行かないで!
すべての痛みは別れのまえで無にひとしい、
私はこの苦しみに満ち足りる、
もっとつよく私を胸に抱き寄せておくれ、
愛していると告げておくれ。私はまた来た、
病み、疲れ、蒼ざめて。
ごらん、私はなんと弱く、哀れか、
私にはどんなにおまえの愛が要ることか・・・。
あらたな苦しみをこのさきに
私は待つ、愛撫のように、接吻のように、
そしてただひとつのことを願う、憂いにしずんで、
私とともにいておくれ、行かないで!
<1890>
О, нет, молю, не уходи!
Автор текста ( слова ) - Дмитрий Мережковский, композитор ( музыка ) -
Сергей Рахманинов
О, нет, молю, не уходи!
Вся боль ничто перед разлукой,
Я слишком счастлив этой мукой,
Сильней прижми меня к груди,
Скажи:《Люблю》. Пришел я вновь,
Больной, измученный и бледный.
Смотри, какой я слабый, бедный,
Как мне нужна твоя любовь...
Мучений новых впереди
Я жду, как ласк, как поцелуя,
И об одном молю, тоскуя:
О, будь со мной, не уходи!..
<1890>
悲運(作詞・作曲:ヴラヂーミル・ヴィソーツキイ〔俳優、詩人、歌手。1938-1980。2008年1月25日、生誕70周年!〕)
私はじぶんの悲運を背負っていった
春の氷のうえを。
氷はひび割れ、心は引き裂かれて、
石のように水のなかへ落ちかかった、
けれども、悲運は、重くとも、
とがった端に留まった。
そして悲運はまさにその日から
世界じゅうで私をさがしている。
それにまつわる根も葉もない噂が流れている。
そして、私が死ななかったことを、
裸のセイヨウシロヤナギは知っていた
さらにはつがいのウズラたちが。
いったいかれらのうちのだれがかれに告げたのだろう、
私の主に、
とにかく私のことをもらし、うっかりしゃべってしまったのだ。
そして激情ゆえに度を失い、
かれは私のあとを追いはじめた、
そしてかれには悲運と噂がつきまとった。
かれは私を捉え、追いつき、
抱きしめ、腕に抱えあげ、
かれの隣のサドルで悲運はほくそ笑んだ・・・
けれどもかれは留まることができなかった。
わずか1日きりだった、
けれども悲運は永遠に留まった。
<1972>
Высоцкий В
БЕДА
Я несла свою Беду
По весеннему по льду.
Надломился лед - душа оборвалася,
Камнем под воду пошла,
А Беда, хоть тяжела,-
А за острые края задержалася.
И Беда с того вот дня
Ищет по свету меня.
Слухи ходят вместе с ней с Кривотолками.
А что я не умерла,
Знала голая ветла
Да еще перепела с перепелками.
Кто ж из них сказал ему,
Господину моему,-
Только выдали меня, проболталися.
И от страсти сам не свой,
Он отправился за мной,
А за ним - Беда с Молвой увязалися.
Он настиг меня, догнал,
Обнял, на руки поднял,
Рядом с ним в седле Беда ухмылялася...
Но остаться он не мог -
Был всего один денек,
А Беда на вечный срок задержалася.
<1972>
<6月2日(月)放送の《シベリヤ銀河ステーション・第166回》のご案内>
(予定ですので変更があるかもしれませんが、その際はご勘弁ください)
【画像】
・祝ハバーロフスク開基150周年の“札つき”のヴォートカ
『ルースキイ・リョート〔ロシヤの氷〕』
・小林亮介さん[右]&山崎弘子さん[左](4月12日、日本料理店『ヤキトリ』にて。)
・ハバーロフスク支局発行の新しいヴェリカード・シリーズ≪セピア色の街〜ハバーロフスク開基150周年に寄せて〜(2008年春発行/12種類)≫019
@シェローノフ通りの19世紀の裕福な住民の典型的な家屋。(通し番号:0821)
A総督の家。1884-1896年。ロシヤ軍管区将校会館に改築。1934-1937年。(0822)B軍人会館。1887年。現在はこの建物に極東美術館があります。(0823)
C帝室ロシヤ地理学協会沿アムール支部博物館。1896年。現在はN.I.グロヂェーコフ名称ハバーロフスク地方郷土誌博物館[現在は極東国立博物館に改称されています]。(0824)
Dピヤンコーフ家の持ち家。1900年。百年前と同様にこの建物には店舗があります。(0825)
Eインノケーンチエフスコエ市立女学校。1900年。(0826)
Fプリュスニーン家の持ち家。1902年。現在は極東国立学術図書館。(0827)
Gフレーブニコフ家の持ち家。1902年。現在はハバーロフスク地方音楽協会と薬局。(0828)
H出納局もしくはアムール県財務局。1902年。現在はビジネスセンター『パールス』。(0829)
I国立銀行。1907年。2002-2005年に改修。現在は極東軍管区歴史博物館。(0830)
J市自治会館。1909年。現在は児童創作会館。(0831)
K竹内家の持ち家。1912年。革命以前はこの建物にホテル『ルーシ』がありました。(0832)