鬼平犯科帳にみる蕎麦の世界 その   <  次へ移動  < サイトへ移動 .

 鬼平犯科帳と蕎麦  

【 鬼平犯科帳に見る江戸の食文化 】 

 池波正太郎の食通ぶりは有名である。
鬼平犯科帳のなかにもそれが随所に現れていて、江戸時代中期の江戸の食文化を確かな時代考証でふんだんに描いている。

 長谷川平蔵は歴史上の実在人物で、火付盗賊改方長官のほかに石川島人足寄場の創設にも功績のあった四百石取りの旗本である。延享3年(1746年)赤坂築地中之町で生まれ、幼名を銕三郎といった。一時期屋敷のあった本所三ッ目とこの幼名から小説の中では、放蕩無頼の日々を送った青年時代には「本所の銕」とも呼ばれたとされている。火付盗賊改方のお頭・長官が長谷川平蔵宣以に交替したのは天明七年九月(1788年)、ときに平蔵四十二歳であり、その後、およそ八年にわたってその任にあたり寛政七年(1795年)に五十年の生涯を終えている。

 延享から寛政(1744〜1801年)はまさしく江戸時代の中期であり、江戸の食文化が開花し始めたまさに転換期にあたる。鬼平犯科帳のなかにはそんな時代の江戸の人々の食生活や食文化をふんだんに登場させ、その味までも再現している。

 江戸時代が始まったばかりの慶長19年(1614)には、江戸の寺でそば切りの振る舞いがおこなわれたという実録がみられるが、江戸の中期になると辻売りや屋台が主体のそば売りから店を構える蕎麦屋が町々に出現している。今まで丸のまま串刺しで焼いていた下魚の鰻は、割いて醤油や味噌をつけて焼く新しい調理法の蒲焼きが上方から伝わって普及し始めている。辻売りのうなぎ売りから料理屋としての鰻屋の出現である。ここから背開きにして蒸す江戸独特の調理法が生まれるのであるが、実際にはまだそこまでは行っていない。
 天ぷら屋はまだ江戸の町に出現していないが、鬼平犯科帳ではひとあし先に蕎麦屋の種物として貝柱の掻き揚げを登場させている。
やがて辻売りや屋台店で天ぷらや握り鮨が売られることになるが、まだそれには少し間がある。 江戸中期とは江戸の食文化が開花していくまさにそんな時代でもあった。

 鬼平犯科帳ではいろんな飲食の店が登場しているがなかでも蕎麦屋がいちばん多い。そして必ずといってよいほど酒がでる。探索のための見張りの間合いをもたす目的もあるからだが、むしろ蕎麦そのものよりも酒が主役のようでもある。

   江戸・中期   食文化の特徴 】

@蕎麦  Aうなぎ  B天ぷら  C鮨・にぎり鮨  D鍋料理  E田楽  F兎 など

江戸時代中期に至るまでの「そば年表

【 登場する蕎麦  蕎麦屋 】 【 鰻屋、軍鶏鍋屋・五鉄、他 】

【 登場するうどん屋 一本うどんの史料 】
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