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琉球の古書『御膳本草』にみる 蕎麦と蕎麦切 かつての沖縄に蕎麦が産し 蕎麦切が食べられていた |
目次 はじめに 1.琉球の産物記録としての蕎麦 2.蕎麦切 河漏という言葉 結論 追記 1)植物としての適応性からみたソバの補足説明 2)沖縄のソバ栽培の取り組み 参考文献 はじめに 琉球大学付属図書館HPで公開されている琉球時代の古書を開くと、「御膳本草目録」とあってそのなかから「蕎麦」という文字がいきなり目に飛び込んできて、さらに進むと「蕎麦切」のことまで書かれている。
ほんとうに沖縄には蕎麦の栽培や蕎麦切りの歴史がなかったのであろうか。 HPが公開している『御膳本草』(中城本)についての解説文を要約して引用すると
「渡嘉敷通寛著
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1.琉球の産物記録としての「蕎麦」
『御膳本草』の著者は渡嘉敷親雲上通寛(とかしきペーチンつうかん)[1]。 『御膳本草』を全体でみて要約すると、「前段は琉球国の産物311品目を16分類した産物帳の形式」をとっていると判断されることと、「後段は産物個々についての本草医学面からの効能と害、および禁忌(食い合わせ)や疾病除去方をあげて記述している」といえる。
16分類は、「穀物 29品目」に続いて、「五穀造醸類 36品目」 「菜類 54品目」 「瓜類 19」 「茸類 10」 「海藻類 10」 「苔類 47」 「家禽類 12」 「野禽類 5」 「水禽類 6」 「家獣類 18」 「野獣類 2」 「魚類 10」 「調理之類 9」 「介類 16」 「果類 28品目」 。 そして、分類の筆頭にある穀類のなかに蕎麦が書かれていて、さらにその次の五穀造醸類のなかには蕎麦切が登場する。
上は最初のページに登場する穀物の部分画像であるが、これによって当時の琉球では蕎麦が栽培されていたことになる。そして、産出する穀物からつくる造醸類を敢えて五穀(造醸類)としていることの意味も重要である。通常、五穀という場合「米を筆頭とする5種」を指すが、ここではもう少し穀数が多いのでそれに類する穀物を指していて琉球地産と解することができることからも地産の加工食品類を指していると考えられる。 例えば、小麦粉主原料の素麺(原文では索餅)や蕎麦粉で作る蕎麦切(原文は河漏)は当時から食べられていたことになる。 蕎麦についての記述 注:古文書のくずし字は難解で、正しく解読できていない可能性があるが、 本草医学では、植物の性質は「寒 涼 平 熱 温」に分かれ、味覚(薬味)は「辛 酸 甘 鹸 苦 淡」があって、それぞれが五臓と関連するとしている。 『御膳本草』にみる「蕎麦」は「気味 甘 平 寒 毒なし」であるとし、禁忌(食い合わせ)や多食による疾病や害についても書いている。このような書き方は古典医書に多く見られ、益と害双方向からの記述である。
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結論 これまで見たように蕎麦は琉球の産出穀物であり、その蕎麦を粉にして作った蕎麦切であるといえる。 これによってかつての琉球国では蕎麦が栽培されていたことと、蕎麦切が庶民の家庭料理にまでひろく普及していたとまではいえなくても、すくなくとも著者(注)と同じような士族層のあいだでは食べられていた料理として、さらには宮廷料理のなかの「御膳」や「振舞」のなかに蕎麦切も入っていたとするのが自然であると考える。 注: 著者の正式名は、渡嘉敷親雲上通寛(とかしきペーチンつうかん)で、ペーチンは上級士族の下位。 御膳本草によって、かつての沖縄にもソバが栽培され、蕎麦切りが食べられていたという実録に出会えたといえる。
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