そばの文化   <  サイトへ
 そば屋と通し言葉  

 「符丁」とか「通し言葉」というのがあり、例えば寿司屋には寿司屋の店内だけで通用する独特の言葉があって、ひと昔前まではこれを自由に使えなければ一人前と言われなかった。

 「符丁」は客など第三者には分からないように値段や合図などを「隠語」にしたものであり、「通し言葉」は店内用語を符丁も交えながら簡略化して客の注文を調理場や作業場に伝達する役割を持っている。
 大坂で有名なのは、江戸時代の大坂・魚市場「雑喉場(ざこば)」や市井の魚屋が使った符丁で、一説に豊臣秀吉から教わったとされる「1から9」までの数の符丁である。雑喉場のセリにはすべて「さ り と わ お も し ろ い」の符丁が使われた。一方、青物市場の場合は梅桜松竹で、「む め さ く ら ま つ た け」であったという。

 時代とともに忘れられていく符丁や通し言葉ではあるが、一般用語化したものもあって「アガリ、ムラサキ、ネタ、シャリ、ギョク、ヅケ、ガリ、オアイソ(お茶、醤油、すしの具・種、すし飯、玉子焼、マグロの醤油漬け、生姜、お勘定)・・・など」は寿司屋の通し言葉のごく一部が広く知られるようになった例であろう。

 そば屋にもそば屋の通し言葉があって、現在でも使われていて実際に聞くことの出来る老舗の店もまだすこしは残っている。
例えば:「天つき三杯のかけ」と言うと「天ぷらそば一杯とかけそばが二杯」の意味で、「つき:つく」が「ひとつ:一杯」で、その後の数「三杯」は合計の数、したがって「かけは3−1で二杯」となる。
「まじり」は「ふたつ」で「天まじり三枚もり」だと天そばが二杯ともり一枚。
大盛りは「きん」だから、「もり一枚きん」で大盛り一枚。
小盛りだと「さくら」。桜はきれい:少なめにで「もり一枚 台はさくら」。
「もり・せいろ」は枚で数え「つゆもの」は杯で数えている。
「熱盛り」の場合はというと「土用・寒・もり二枚(どよかんで、もり二枚)」となって、「土用は夏の土用で暑い・即ち 熱盛り」のことで「熱盛りと冷たい盛り各一枚」となる。

 最近行った大阪のそば屋で、ほんのわずかではあったがその名残の一端を聞くことができた。西区京町堀にある手打ちそば処「ながた」である。
二人で行ってざる大盛りを注文したところ「ざる きん二枚」と通された。「きん」すなわち「大盛り」である。

 東京のそば屋にはいまでもこの通し言葉を常に使っている老舗の店がある。
昼時の盛りも過ぎて比較的客の空いた時刻、そばが来るまでのひとときをそば前の酒をやりながらそれを観察するとしよう。
客は「いらっしゃいぃ〜〜」「いらっしゃいぃ〜〜」の声で迎えられている。
注文を聞いたり、お茶を出したりする「はなばん(花番)」が客の注文を帳場に伝える。
これを受けて、「せいろ二枚 お一人さん 猪口二杯つきぃ〜」、「天ぷら二枚ぃ〜」など語尾を長く延ばし、良くとおる澄んだ声で唱えるように帳場から調理場に通されている。どこかで、せいろの追加が出て「せいろ一枚 猪口付き お急ぎで願います!」と語尾を延ばさずに調理場へ伝える。
きわめて合理的で、無駄な言葉がなく声の響きもきわめて良い。
聴くともなしに耳にしながら、少しの酒で蕎麦を楽しんでいると一昔前のモノクロの時間にいるような錯覚に浸ることができる。
東京は神田淡路町にある薮蕎麦本店の看板をあげる「かんだやぶそば」である。
 この界隈は江戸からの伝統を守る味の老舗が多いが、そば屋では明治初期創業である東京下町の神田「まつや」もある。 割り箸ほどの太打ちの蕎麦(いまは予約)も有名で、文人達にも愛された。
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