そばの歴史   <  サイトへ
ラーメンの歴史  
 そばやうどんからは横道にそれるが、明治時代の文献には「ラーメンらしき麺」は見つかっていないのだそうだ。したがってラーメンの初登場は大正の初めか中頃になってからで、しかも爆発的な普及となるのはもっと後の昭和の終戦後ということになる。
まだ街々には戦争の傷跡が残り、裸電球に傘の掛かった街灯しかない夜の街に現れた屋台の明かりとあの懐かしいチャルメラが全国で一斉に活躍した。
地域によっては大正や昭和初期に端を発する屋台やラーメン店の伝説が残り、または、終戦後の屋台がルーツになる店もあって、それぞれが現在につながる地方色豊かな郷土ラーメンとなっているのである。

 有名な札幌ラーメンも、戦後のススキノではじまった屋台の店からで、名の通った店もせいぜい昭和22・3年頃からの歴史であるし、味噌ラーメンは昭和30年頃の発売である。
「週刊朝日」が「札幌・ラーメンの町」を掲載し、森繁久弥が羅臼で作詞作曲したという「知床旅情」が世に広がり始め、西田佐知子の「アカシアの雨が止む時」が流行、低音の魅力でならした札幌出身の声優・若山弦造など一連の北海道ブームが訪れて、ラーメンもともに全国規模で宣伝されていった。

 白濁豚骨スープの博多ラーメンも、年代的には札幌と同じ頃からの歴史で、昭和30年頃、福岡の魚市場が長浜に移設されたことから長浜ラーメンが有名になり紅生姜を乗せ、「替え玉」の仕組みも出来ていった。

屋台といえばかつてどこにでもあったあのラーメン屋台のイメージが一般的であるが、博多の観光名所となっている屋台はほとんど動かず大型である。長浜地区や中州・天神の繁華街を中心に約200軒が並び、それぞれ扱うメニューもさまざまで、天ぷら・魚介類・ピザ・居酒屋風・・などのなかにラーメン屋台もあるといった感じである。

 東北・関東地区を中心に、全国的にも名の通った喜多方ラーメンの場合は、福島県喜多方市にも昭和の初め頃から屋台から始まったラーメン屋があった。しかしなんといっても、NHKが昭和50年に「新日本紀行・蔵住まいの町喜多方」を放映し、同じく昭和57年にも「東北の麺」で紹介したことが「蔵の町喜多方」とともに「喜多方のラーメン」を有名にした原動力である。今では至るところに蔵とラーメン屋があり、それらを旅行者が行き交う町になっている。
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