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L E T T R E

皆さんからいただいたお便りをご紹介します。
お便りお待ちしています!(ウェブネームもお忘れなく)
 マークをクリックしてくださいね。

 [今までいただいたお便りのもくじ]

 1.いつ死んでもいい生き方をしたい/木下バリ (01.04.20)
 2.いつ誰に起こり得ることかもわからないもの/ごまぱん (01.04.20)
 3.最近、お墓に御縁がある/SAYO (01.04.20)
 4.さっそく、ブックマーク/ルシイド (01.04.23) 
 5.ちょびっと私には荷が重い/ULTRAB3 (01.04.24) 
 6.あんたらの好きにして、文句は言わん/SAYO (01.04.24) 
 7.脳死は人の死か&故人とお話しする /ルシイド (01.04.25) 
 8.アエラの記事、見たよ/ルシイド (01.04.28)
 9.バリはよいとこ/木下バリ (01.04.30) 
 10.石垣界隈には、「死」がある状態が当たり前/Takashi.N (01.04.30)
 11.誕生と死 その1/Takashi.N (01.05.05) 
 12.考えるのをやめようとしていた/MAX (01.05.05)
 13.草と草の間に「死」/okarin (01.05.08) 
 14.人も自然も世の中も、振り子のように/ルシイド (01.05.10) 
 15.誕生と死 その2/Takashi.N (01.05.10) 
 16.ごめんなさいでは終わらない/ルシイド (01.05.15) 

1.いつ死んでもいい生き方をしたい/木下バリ 

HP開設おめでとうございます。すごいパワーだなあと、ただひたすら、頭が下がる思
いです。全部読みました。

「お骨のゆくえ」
 ぜひ読んでみたいと思いました。
 ちなみに、天王寺の「一心寺」さんって、ご存じですか。宗教は問わず(どんな宗
教でもいいみたい)、そこにお骨をもっていけば、骨仏にしてくれます。(10年ごと
ぐらいに一回、何万人の人のお骨をくだいて、ひとつの仏さんを作ります)
 15年前になくなった私の母も、そこにおりまして、何年か前に骨仏になりました。
開眼法要はすごい人でした。(何万人という人の遺族が集まるわけですから、天王寺
の駅から大蛇の列でありました。)
今、たくさんある仏様の真ん中に鎮座しております。(ニューフェースの仏様は、真
ん中の一番いい位置に座らせてもらえます)ついでにいうと、祖父(亡くなった母の
父)も一心寺のちがう骨仏におります。
 私も、一心寺に入れてくれと、夫にいっております。夫の家も形式にとらわれない
家なので、特になにも言われたことはありません。
 ついでにいうと、「葬式もやめてくれ」と言ったのだけれど、それについては「困
る」と言われました。、まあ、ふつうの葬式をする方が、対外的にはラクではある。
 私の理想としましては、夫と娘2人だけで、見送られて、市の火葬場で焼いてもら
うのが、うれしいのですけど。そんでもって、友達なんかにもしらせないで、私の友
達から電話があったとき、夫や娘が「実は、2ヶ月前に亡くなって」なんて答え、友
人たちが「ええっ!」なんて驚いて、電話を切ったあと、空に向かって「葬式ぐらい
しろ!」なんて、私に怒るのが理想的だなあ。
 静かに去りたいですね。いつ死ぬかわからない人生(このおたよりを書いてあと、
会社の帰りに交通事故に会って死ぬ可能性だってあるわけですよ)20歳ごろには、
「いつ、死ぬかわからない人生」をもうすでにそう感じていて、そんな話を人にした
ら、「心配しすぎ」とか、言われたけど、けしてそうではないと、ずっと思ってきま
した。
 だから、いつも「いつ死んでもいい生き方をしたい」と思っています。今、楽しく
なくちゃ、いやですね。(次の瞬間、大地震が起こってしぬかもしれないから、美味
しいものは一番先にたべるとか、ハハハ)単なる快楽主義と思われていることもある
のだけれど、私的には、もうちょっと深いんだけど、まあ、よう似たもんでしょうか
(ぐわっはっは!)

私の「理想的終わり方」を実現するため、(夫が困らないように)、このあいだも松
原淳子さんの一人暮らしの本を読み、「葬式」のいろいろな問い合わせ先とか読んで
おりましたが、まだ、しっくりこない。法律的には、葬式しなくても、死亡証明書だ
けもらえばいいわけで、それだけでいいんだけれど。
 誰か、葬儀実行委員長ならぬ、葬儀しない実行委員長になってくれたら、私もうれ
しいし、夫も納得するのではと密かに、人選を考えております。
 残された家族は、いろいろたいへんでしょう。任すとラクですよね。葬儀屋さんは、
よけいなことを言わず、それはシステム化されていて見事だと、父親を見送った友人
が言っていました。それでも、決めなければいけないことが、いっぱいで、何も手に
つかない母親の代わりに喪主みたいに動いて、4日間で4キロ痩せたって言ってまし
た。
 実は、母はお骨になってから、3,4年父の手元に置いてたんですよね。一心寺は
そうしてから、父が決めました。父というのは、元養父であって、私の両親は離婚し
て、私が高校生の時、母が家を出て再婚して、私が大学の時、3人娘の中で、形式上、
私だけが母の籍に入り、養女になりました。
 それも、母の頼みであったので、元父の方はどうでもよかったのですが。再婚し
て8年たって母が急死し、13回忌の時、父から言い出して、養子縁組を解消しました。
 私は私が結婚した時点で、養子縁組というのは関係なくなると思ってたんですが、
法律上、そうはならないみたい。母が亡くなっても、私が年に何回かは遊びにいって
いて、それで、元父は養子縁組というシステムが私を縛り付けている考えたのかもし
れません。でも、変わらず、年に何回かは、遊びにいってます。夫も娘2人も一緒に。
下の子なんかは「おじいちゃん、3人いてるねん」って対外的にしゃべっております。

母は養父に抱かれて亡くなったそうです。ロマンチックやなあ。
シアワセだったと思います。だから、私は養父に非常に感謝しております。

前置きが長くなりました。だから、骨は別にそばにおいてあげてもいいかなとも思い
ます。私は夫が先にいったら、一心寺にも入れるけど、一部はお骨は私の手元に置い
ておきたい。散骨なんか、せえへんもんね!
(てなこといって、熟年離婚なんかしてたりして、「人生、一寸先は闇」でございま
す)

一心寺はいいですよ。天王寺動物園のすぐそばなので、先月もお墓参りと称して、ちょ
っと母の骨仏に手をあわせて、すぐに動物園なんか行って、ビール持ち込んで(アル
コール禁止なんやけど、誰も守っていない)、シマウマのセクシーなおしりなんぞ、
ながめておりました。(カバのテツオ君もお茶目でスキスキ)子供も喜びます、お墓
参りが楽しくなるというのは、お墓の立地条件として最適でしょ。

宗教を問わないっていいですよ。でも戒名がなくてもいいのかな、ちょっとわかりま
せん。

まだ、もうちょっと生きていたいし、生きていられると思うので、もっと自分の終わ
り方を考えたいと思います。

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2.いつ誰に起こり得ることかもわからないもの/ごまぱん

HP、教えていただいてどうもありがとう。興味深く読みました.
そして、私の興味と似通っていることに驚くと共にうれしく思いました。
どこが似ているか?
1)私も常々「死」を意識していること
2)フランスに興味があること
です。

1)は、話せば長くなるのですが、私の母をちょうど3年前の夏に亡くして以来
、ずっと「死」とは何か?どういうことなのか?を考えています。
登山での滑落死であったため、突然の死をどう受け止めたらいいのかわからず、
混乱の日々を送ったことを思い出します。「死」は決して他人事ではなく、
とても身近な出来事です。また、いつ誰に起こり得ることかもわからないものだ
と思っています。また、残された人々は、愛する人の死をどのように受け止め、
生きていくのか?この手の話は、万人に通じるものではないので、そうそう他の
人にはあまり話さないことですけどね。やはり、身近な人を亡くした友人や、
妹などとよく話しをします。

 やまきさんの話の中にも出てましたが、「死とは、不在ではなく、ただ見えな
いことである」というフレーズがとても気に入りました。私もいつもそう思って
います。よく身近な人を亡くした人が、「きっと、○○は天国から見守ってくれ
ている」と話をするのを聞きます。母の死までは、なんとなくわかったようなわ
からないような感じで聞いていましたが、今ではその意味が本当によくわかりま
す。そういうことなんですよね。

 それから、「死」に関する本も結構読みました。
柳田邦夫さんの本などは結構面白かったです。「脳死」関連の本とかご自身の息
子さんが自殺された件にかかわる本とか。会社の行きかえりの電車の中で人目を
はばからず泣いてしまったこともあります。

 人生には、自分の考えていることや悩んでいることとは別のペースで進んで
いくこともあります。他人から見たらとても楽しそうで幸せそうな人でも、もし
かしたらどこかで深い悲しみを経験し、それでも顔を上げて生きているのかもし
れないなと思います。


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3.最近、お墓に御縁がある/SAYO

ホームページ開設おめでとうございます。
「お墓」への思い、面白く読ませていただきました。
先日、娘がスペインでのお墓の面白さを話してました。
昨年、亡くなった母の名前をどうお墓に書き込むか、等々
最近、お墓に御縁があるようです。
そこで、一つヒントをもらいました。
いつか「お墓」をテーマにした人形劇やったら
おもしろいだろうなあって。

ねぎぼうずSAYO
http://homepage2.nifty.com/negibozu/
http://www.madyan.co.jp/ningyou

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4.さっそく、ブックマーク/ルシイド 

祝開設!
力仕事ですね。

最近、「来たバスに乗れ」という金言を得たのだけど、
バスを自分でチャーターしましたね、さすがです。

私のために作ってくれたページでもあるかな。ありがとう。
昨年の12月に母をガンでなくしました。
9月に末期ガンと判明。長くて短い3ヶ月でした。
結局、入院しなかったので、寝たきりにはなりませんでした。
逝く前の晩まで、お風呂もトイレもなんとか自力でできました。
最期を迎えたのは(それが最後だとはその時まで思わなかったけど)私の腕の中。
「息を引き取る」というのは間違いだと何かで読んだことあるけど、そうでした。
小さく息を吐いて、それで、次に息を吸わなかった。
気功の達人の言葉だったか、
「息を吐ききったら、あとは吸うか、死ぬかだ」
母は、死ぬ方を選んだ。

母の死で、わたしはいろんな宿題を抱えることになりました。
お墓問題もその一つ。
面白そうな本を紹介して貰ったので、読んでみることにする。
お便りにもあったけど、
「死とは、不在ではなく、ただ見えないことである」というフレーズは
何よりの収穫でした。確かにそうだよね。
古今東西、宗教者も哲学者も市井の名もない人も、
同じ様なことを繰り返し言ってきてるのかもしれない。

当たり前と言えば、当たり前だけで、「生」と「死」はつながっている。
対局にあるものでは、決してない。
時間の経過におけるつながり、次の生に向けてのつながり・・・。

「人はなぜ死ぬのか」ということがわからない。
「死」という言葉に付随する、悲しみとか、諦念とか、恐怖とかでなく。
死は、人生の幕引きであり、別れであり、敗北であり、罠であり、
隠蔽であり、リアイアであり、旅立ちであり、昇華であり、祝福ですらあり・・・。
私にとっては、母の死は敗北の要素が濃いんだけど。
(それについてはまた機会を改めて)

いずれにしても、人生も半ば(あるいは最終章かもしれないけど)。
それぞれのグリーンマイルを着実に歩いていることは確かだね。

『コンタクト』がとても好き。映画が原作に劣らなかった数少ない例だと思う。
お墓のシーンはなかったけど(お葬式はあったね)。
「もしこの広い宇宙に地球人しかいなかったら、スペースがもったいない」
というセリフ(by パパ&パーマー)は、「愛」というものの本質ではないか。
お金も土地も化石燃料も、ありとあらうるモノはゼロサムゲームであるのに。
愛と宇宙については、どんなにシェアしても枯渇しないということにおいて。
それは神様が創ったものだから?

科学的に証明できないものを信ずるわけにはいかないと、
神の存在に懐疑的なエリーに、パーマーが問いかける。
「パパを愛してた?」
「ええ、とても」と怪訝に答えるエリー。
「証拠は?」
このやりとりは、後半、エリーがベガに行ってきたことの真偽をめぐって
査問委員会で窮地に立つシーンの伏線でもある。
感動的な墓碑銘の応用例:
真実が証明できないからといって、それは真実の不在ではなく、
ただ見えないだけなのかもしれない。

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5.ちょびっと私には荷が重い/ULTRAB3

意外なテーマでした。愛と死まではわかるんだけど、お墓っていうと、なんでカワナ
ミチュウベエの世界なの…と思ってしまったけど。どうなんだろう。私としては、決
しておもしろいと言えるテーマではないスね。病気と死がつながっている病院づとめ
をしているのでね。やっぱ、いやです。老いること、それに伴う、多々あるおそろし
い過程、転記。できればそんなことを見つめず、まるで、そんなことがないような顔
して、あほらしいギャグのひとつでも言うて生きてたい。結局、意気地なしです。し
かし、そういうのを見つめて、よりよく生きていくことの価値は、大いにあると思っ
てます。でも、直視するのは怖すぎる。

医学というのは、ある意味、当たるもハッケあたらぬもハッケで(病気と寿命はまっ
たく別物)何ともいいようのない、ある意味ええかげんな世界です(人間のやること
やからね)。余命はいかほどですか…てなことを聞く人がいるけど、そんなもん予想
できるわけがないのが人間でございます。去年の夏、おばがガンでOPすることにな
り、おじは、あと半年と先生が言ったって、親戚に言うてたんやけど、私は違うと
思ったね。医者は、半年なんて具体的な数字を出すことはできない。で、おばが退院
して、一週間もせんうちに、おじが突然心臓発作で亡くなったのよね。それから、半
年以上たっておばは生き続け、悲嘆していたおじが、精神的苦痛から逃れるかのよう
に先に逝った不思議の中、喪失体験というには、あまりにあっけなくて、なくしたん
だかなくしてないんだか、まだよくわからんでいます。おっちゃん、つらいからって
先に逝って汚いで、もっと生きてほしかったでっていう気持ち、これが、ちゃんとし
た喪失体験だったら、病院の視点を忘れて、SOTAIKIの世界にすっと入り込め
たかも。なんか中途半端な体験やな〜。けど、意識的に中途半端にしてるのかもね。

書いてて、う〜ん、なんか違うなと自分でも思ってます。ごめんね、うまく表現でき
ないわ。それほど予想もつかなかったテーマのHPで、動揺してしまったのかもしれな
い。うん。はっきり言うてちょびっと私には荷が重いテーマで動揺してるわ。ただで
さえ、重すぎる人生(重くないっすか?私は35過ぎてから本当に重いです)。見な
いふりして生きてることを、見ちゃったらちょっとつらいけど、これからのSOTA
IKIと、それを読む私のなりゆきに、期待しておりま。

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6.あんたらの好きにして、文句は言わん/SAYO

さっそくLETTERの掲載してくださってありがとうございます。
皆様の「お墓」や「葬式」に関するお話、面白く拝読してます。
私も葬式をせずにいて欲しい口だったんですが、
最近「儀式」に関して少し思いが新展開をみせています。
見送る者(こらからも生きていく者)にとっての「儀式」としての「葬式」。
そういう観点が出てきています。だとすれば今の私は近親者に
『あんたらの好きにして、文句は言わん』と言い置くのがいいかなあ・・と。
ま、死ぬんですから、いずれにせよ文句は言えないですが(^^;
実は「お墓」がテーマではないのですが「葬式」を代表した「儀式」
をテーマにした人形劇を12月にやりたいと思索中だったので
このホームページも話題は、とても興味深いです。
これからも時々お邪魔して管理人さんや皆様の御意見をうかがいたい
と、思っております。
どうぞヨロシク御願いします。    

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7.脳死は人の死か&故人とお話しする /ルシイド

●「脳死は人の死か」
ノーだと思います。理由は、脳死移植を推進するに当たって、
医師が殺人の訴追を受けないためのつじつま合わせにすぎないと思う。
私はドナーカードをもっていない。
できれば他の事で人様の役に立てたらと願う。
よく臓器移植を「命のリレー」と言うが、この表現には首をかしげる。
私の解釈はあまのじゃくだと嫌悪されるかもしれないが、
心臓死をもって「死」を定義するのなら「命のリレー」たりうるが、
脳死が「死」なら、リサイクルに近いじゃないかと思う。
妊婦が脳死と判定されても、出産が可能なケースもある。
生まれてきた子どもは「ゲゲゲの鬼太郎」状態ではないか。
もっともこういうケースは脳死判定をしないのだろうけど。

臓器移植そのものが、まだまだ過渡期の医療にすぎないということ。
「おまえの子どもが臓器移植しか助からないと言われたらどうすんだ」と
いう指摘はあるだろう。これが問題。解釈と行動のズレに見るエゴ。
でも、西洋医学は絶対じゃないようだ。
「代替医療」とか「自然療法」と「癒し」と称される分野に関心を高めている。
このジャンルは、大学病院などの「権威筋」および、
怪しげな健康食品や宗教まがいに当たった人には敬遠されますが、
「生と死」や「病の意味」「生きることの意味」などに導いてくれる要素が
少なからずあるようです。

●故人とお話しする
私達日本人は、お墓参りにおいて
「おばあちゃん、ほら(孫の)○○ですよ、大きくなったでしょ」とか
故人の好きな食べ物などをお供えしたりするけれど、
フランス人は、亡くなった人に何か語りかけたりするの?
私は、母の写真に向かってしゃべりかけることはあるけど、
今でも父や私の周辺に魂とかがいると思うよりも、
既に新しい人生の舞台に立っているとしたら、そっちの方がいいな。
いろんな意味で「今度はがんばって!」と言ってやりたい。
これは旅立った側と見送った側の関係性や年齢によって違うと思う。
葬送のやり方やお墓の問題もここに根ざすのかもしれないけれど
いろんな人の考えを聞いてみたいと思っています。

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8.アエラの記事、見たよ/ルシイド

 アエラ、私も読んだ。(8割ヤンキー説も面白かった)
例えば、今日、出先で事故にあって死んだら、洗濯かごの中の昨日の下着とか・・・
ってふと考えることは誰でもあると思う。雑多なドメスティックな問題も含めて、「
準備万端整ったし、桜も散ってきたし、ほな、さいなら」って逝けたらどんなにか安
心だろう。葬儀のディテールも、決めておけたらなおいい。

 母の時は「湯かんの儀」とかいうやつに閉口した。全身洗い清めてくれるのはいいん
だけど、シャンプーまで始めるから「ああ、美容師さんなんだ」と感心してたら、ド
ライヤーで乾かして適当に後になでつけておわり。母は数日前に車椅子で美容院に行
った。きれいにカットしてたのに、パッとしない髪型になった。目立ってきた白髪も
染めたかったけど、長時間座ってるのがしんどくて諦めた。だから、多くの人に見送
って貰う前に何とかしてやろうと、叔母(母の妹)にコンビニでマスカラみたいのを
買ってきてもらった。でも、スプレーでゴワゴワに固めてあるので、ブラシが引っか
かって染まらないばかりか、鬢の辺りがほつれてくる。ちょっと泣けた。いくつにな
っても、人に見られるときは小綺麗にしていたいではないか。

 レディース葬儀社。ご予約の歳には、メイクや髪型のご相談も承ります。お身内の方
、ご指定の美容師・当社の契約美容師が念入りにお別れの準備をさせていただきます
。とかね。結婚しない人、子供を持たない人も増えてきたから、ニーズは高くなると
思うけどなあ。
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9.バリはよいとこ/木下バリ

 この4月最初、結婚15周年(口の悪い友人に「15執念や」、とも言われたが)バリ島
に行ってまいりました。
外国では宗教を聞かれたら、「仏教」と言えと教えられていたのですが、(無宗教っ
ていうと、警戒されるんだそうですね)バリのガイドさんとなぜか、宗教の話になっ
て、「自分はヒンドゥー教で、イスラム教の人とも仲がいいけれど、宗教の対立があるぐ
らいなら、私は宗教なんかないほうがいいと思う」と熱く語っていました。
バリはヒンドゥー教が多いんです。
 旅の途中、隣のジャワにも行ってたんですが、あそこはイスラム教の人が目立つ(服
装でわかります)。やっぱり、何か対立があるんですね。

 日本人は無宗教が多いですが、インドネシアの若い世代にも、そういう人が増えてい
るのかな、彼が特別なのかな。

 バリもいいですけれど、ジャワのジョクジャカルタも非常によかったです。ボロブドー
ル遺跡のある街です。すごくせつなくて、とても楽しい旅でした。
40歳にして、いい経験をしました。中3の長女も「せつなさと楽しさ」を
感じていました。よかったと思っています。
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10.石垣界隈では、「死」のある状態が当たり前/Takashi.N

 いやぁ、面白いですね、愛と死と墓とは。ほんとの話、HPにも感激いたしました。
俺、好きなんです、死に纏わる事象が。
プロローグじゃないけど、死に纏わる話が好きだなんて言うとアングラで根暗な
奴に思われそうですがそうじゃないんです。(いや、アングラで根暗な奴なのかも)
 拙文 八重山見聞録にも書いたかどうか一寸忘れてしましましたが、先進国に暮ら
す現代人なる方々は日常から「死」を遠ざけすぎなんです。その点、此処(石垣島界
隈)はまだまだ「死」が日常の中のあちこちにあって面白いですけどね。札幌や東京
で暮らしていて犬や猫の死ですら滅多に目の当たりにするものじゃなかったけど此処
だと死体がごろごろ転がってるんです。犬猫の白骨死体なんかしょっちゅう見てま
す。「ごろごろ」とか「しょっちゅう」は一寸大袈裟かな。ま、とにかくそういう土
地に在って俺の頭の中には「死」がある状態が当たり前になっていて、それこそ死を
想いながら飯を喰らい、猫の死体を求めて道を行くような私ですから容子さんのHPに
はホント感激いたしました。また近いうちに改めて投稿します。

「八重山見聞録 驚愕せしめられた日々」
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Suzuran/2520/                          
                                     
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11.誕生と死 その1/Takashi.N

 本日分(5/2分)の日記など読んでいて改めて思ったのですが、この世には『死』な
どという忌まわしきものは存在せぬかのごとき現代人の生活観に、私は非常に疑問を
感じており、容子さんが日記の文面に抜き出した社会的変容(種種の殺人事件の増加
などなにやら好ましくない変容)の根っこも実はそこにあるのでは、とさえ私は考え
ている次第です。
 簡潔に言えば、死を遠ざけたが為に生の意味が希薄になってしまったのではないか
と言うことです。ま、こんな考え方は別に私のオリジナルでもなんでもなく、似たよ
うなことを言っている方は大勢おるのでしょうが、あえて独自性を強調するならば
『死』の前に『誕生』を加えて‘誕生と死を遠ざけたが為に〜’と言う事になりまし
ょうか。
 これ、拙文-八重山見聞録でも書きましたが私の妻は長男の出生にあたって自宅出産
を選んだがために、へその緒がついた長男をとりあげると言う大役をおおせつかったの
は私でした。それは、今や安っぽさの代名詞と化した感動なんて言葉では到底言い表す
ことができない、まさに未知なる意識の突然の去来でした。くしゃくしゃのちっぽけな
我が子が私の両の手のひらの上にポトリと落ちてきた瞬間、「あ…命のかたまりが俺
の手のひらの上に…」と一瞬思ったあとは殆ど明瞭なる記憶がありません。もう次の
瞬間には、まばゆいばかりの閃光をともなった衝撃波が頭を貫通し、髪の毛は逆立
ち、瞳孔は開き、顔面全身紅潮し、丸一日近く思考不調に陥ったほどでした。「あ…
命のかたまりが俺の手のひらの上に…」「あ…命のかたまりが俺の手のひらの上
に…」「あ…命のかたまりが俺の手のひらの上に…」こればっかりだったのです、丸
一日。
 ま、同じことをやっても人それぞれ感じ方には差異があるものでしょうが、私の場
合、誕生とは、ほとんど誇張抜きにそれほど衝撃的な体験でした。実際の話、私はも
うこれで我が子を殺せません。なにせ自分の手のひらに生まれてきた子です、どう
やって殺せましょう。それでも世の中には可愛さ余って〜なんて言葉もありますから
私がそうならないとは限りませんが、あえて言うならこの場合なんかは可愛さとは一
寸違うのです。自分の体内に子を宿す母の感覚を男が理解し得ないように、我が子が
手のひらにポトリと落ちてきた感覚も実際にやった人でなければわからないんです、
きっと。愛しさ可愛さとは一寸違います。ほんとなんです。
 何を言いたいのかは以下のとおりです。私のようなこの「誕生の感覚」を昔はもっ
と多くの人が持っていたはずなんです。なにせ私の言っている昔とは自宅出産が当た
り前の出産方法だった時分のことを言っているのですから。出産に立ち会う場合もあ
っただろうし、隣の部屋に待機している場合もあったでしょう。どっちにせよ、
たいして広くもなく音声筒抜けの日本式家屋の中でのことです。妊産婦の息づかいや
苦悶の声や出産に纏わるあらゆる物音や空気が家屋内に充満し、家族の誰もがそれを
肌で感じ取ることが出来たはずです。女性が多産であった当時なら尚更です。第一子
ならそれを父親や母親と共に何度も経験するのですから「誕生の感覚」がわからない
わけがありません。
 それと同様、死も畳の上で迎えるのが当たり前だった昔があります。現代のように
病人はなんでもかんでも病院に突っ込んでしまえと言うちょっと無責任で思考停止型
の風潮が一般に支持されている時代には理解し得ない事象かもしれませんが、大抵の
臨終は家族に見守られ、可愛い孫から手のひとつも握ってもらい、バカでも阿呆でも
臨終の言葉の一つや二つ残すことのできる昔が確かにありました。それは多分、それ
ほど遠くない昔のはずです。それに昔は天寿を全うする遥か以前に死を迎えなければ
ならない者の割合も非常に高かったことでしょう。つまり、コミュニティーの大小を
問わず、そこの構成員の死を日常の只中に見詰めながら生きていれば嫌でも生の意味
を考えるはずです。でも現代はどうです。誕生は産婦人科で秘密裏に、もしくは見立
ての悪い産婦人科医の私的都合で副作用の強い妊娠促進剤を打ち込まれた上で行われ
ます。死もまったく同様でしょう。抗ガン剤で意識は朦朧とし、穴と言う穴全部に
チューブを突っ込まれ、家族ではなく医者に見守られて絶命するのです。それが今
じゃどうです。チューブ突っ込まれた口では遺言も臨終の言葉もコメントを残せず、
やがて重篤な病人は医者からも家族からも見離されてしまうから、いつ死んだかのし
ばらく解らなかったりするのです。そんな環境の中で生も死もへったくれもないので
す。
 現代の変容を引き起こしているのは、おそらく一つきりの要因ではないでしょう。
でも今申し上げた「誕生と死」の塔の傾斜がこれ以上大きくならないよう願うばかり
です。長くなったのでこのへんで。そのうち続きも書きます。
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12.考えるのをやめようとしていた/MAX
 
 ホームページ見させていただきました。
最初”お墓もホームページを作った”って聞いた時はあまりピンとこなかったん
ですが、実際見てみるとあ〜こういうことなんだな。って何か自分自身の中で少
し理解できたような気がします。
 私は自分の表現したい事を言葉に置き換えるのは苦手なので、どういっていい
のか分からないのですが、普段忘れてた事(考えるのをやめようとしてたこと)
を少し考えさせられるような気がしました。

 そういえば最近映画みてないな〜。昔は結構一人でも行ってたんだけど。最近自
分が楽しめることもやってないような気もしてきました。
なんかしてみようかなって。

ではこの先も頑張ってホームページ更新してくださいね。

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13.草と草の間に「死」/okarin       
「テーマが少し変わっていて面白いョ」というお知らせメールを貰いまして、
早速拝見させていただきました。

「お墓」をテーマとした内容を拝見して、しばらく母親の墓参をしていないことを
思い出してしまいました。30年ほど前に他界した私の母の墓は四国の徳島にあり、
前回墓参したのは昨年の8月でもう一年近く参っていません。
私の場合、父親も大阪に居り、墓参だけに帰郷するのも随分体力のいるものだなぁ
と思っている昨今です。

ある事情があって引越しの回数も10回を遥かに越え、今年で1人暮らし歴通算
20周年を迎える私ですが、母の位牌だけはいつも身近に置いてきました。
それは神道形式の白木で作られた極めて質素な位牌ですが、
自分の身近に置くことで随分心の支えになってくれたと感謝しています。
私自身は、お墓も同様に身近にある方がベターだと考えているのですが
徳島には母親の両親(私にとってはじいさんばあさん)も、まだ健在のため
動かす訳にはいかないのが実情です。

私の好きな古代中国では、死者は草原に運ばれた後草の上に横たえられ
さらに草で覆ったといいます。
草と草の間に死が入っている「葬」という字の由来ですが、個人的には、
その様な大陸的な方法で葬られたいものだと漠然と憧れています。
先日も中国の東北地方を旅しましたが、360度見渡せど遥かな地平線で
まったく何も無い場所に立ってみてより強く感じました。
でも現実問題として実現しませんよね。

これから掃苔記をお気に入りに登録して
定期的に拝見させて頂きますのでがんばってください。

http://www2u.biglobe.ne.jp/~okarin/

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14.人も自然も世の中も、振り子のように/ルシイド

「葬」という字の由来を教えていただいて、感激した。そういう風に、地層みたいに
死が順番に折り込まれていくっていうのもいいなあ。
一つの魂が、何度も何度も課題を持って生まれてくるという考え方でいけば、死は生
と生の間のつかの間の休憩なのかもしれない。

 母が私を妊娠しているとき、靴下を編んでいて、かかとのところがどうしても思い出
せない。仕方なく床に就いたら、少し前に亡くなった祖母(その葬儀の時からつわり
があったそうな)が夢枕に現れ、かかとの編み方をレクチャーしてくれたという。
そのテの話が、けっこう好き。「おじいさんの古時計」みたいな話とか。

 今月末は息子の誕生日。初夏になると、まだどこかで赤ちゃんのいが恋しかったりす
る。助産院での出産だったので、私の夫もへその緒を切った。次のチャンスがあれば
、夫と一緒にその体験をさせてもいいなと思っていたが、三度流産した。赤ちゃんが
私というバスに乗る。「しまった、いきさきがちがってた。うんてんしゅさーん、こ
こでおりますう」ってことだろう。
 それにしても開業助産婦さんは、すごい。逆子だって「これこれ、寝相が悪いよ」と
か言って簡単に直しちゃうし、超音波に頼らず男女の別も分かる人がいる。息子を取
り上げて貰った先生がそうだった。「なんでかわからんけど、だいたいわかる」んだ
そうだ(昔のお医者は聴診器一つでいろんな病気がわかったのといっしょかな)。
母乳マッサージがつらいという話はよく聞くが、この先生にしてもらう夜のマッサー
ジタイムは至福の時間だった。新生児医療や母乳育児の権威だった故山内逸郎教授に
乞われて週1回、国立病院に出張してた人だもの。おっぱいをほぐしていくうちに「
なんでかわからんけど」大抵のお母さんはおなかがグーッと鳴り、やがてウトウト夢
見心地。で、胸の両側に置いたバスタオルがグッショリ。彼女は一人でお産を介助し
ながら妊産婦の食事をつくり、洗濯もし、そんでもって、主婦の仕事も当たり前にし
ていた。
 火曜日に一番多い病院出産。そして行き着く先の見えにくい生殖医療の一方で、出産
を自分の生活の一部に取り戻そうという動きは、80年代から徐々に高まってきている
ように思える。
 人も自然も世の中も、振り子のようにバランスを求めている。ジャニーズ系の演歌歌
手はさらに増え、若者の政治参加も徐々に増え、環境とか安保なんかに関する「教養
」もトレンドになるかな、と思うのだけど。

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15.誕生と死 その2/Takashi.N 
 本欄へ投稿したメールは後半部が崩壊していなかったでしょうか。実は半ばあたり
から抗いがたいほど絶大な睡眠欲求が私の大脳皮質を支配し、以降は何を書いている
のかもほとんどわからなくなり、思考内にホワイトノイズが入るに至って遂に書き続
けるのを諦め、無理矢理に文章を締めようとするのですが時すでに遅く、朦朧となっ
た思考を正常値には補整できず動かぬ指先でなんとか発信したような有様でして、変
なものを送りつけたりしていなかったでしょうか。心配です。

 と、言うわけですからそれはそれであきらめ、記憶があるところから続きを書こう
ではありませんか。誕生と死です。それを遠ざけた時代を一般に「近代」と呼び倣わ
すわけで、近代を語るときに必ずついて回るのが「人間性の喪失」とか言うわかった
ようなわからないような理屈でして、喪失した喪失したと叫んでみても喪失したもの
は戻ってこないし、我々がそれを喪失したのは誰の目にも明らかでしょうから詮もな
い話はいたしません。人間性の喪失なる表現は、我々の現状を見誤らせることになり
かねない主格不明の言い回しなので私は好みません。わたしがここでこだわりたいの
はやはり誕生と死です。

 先のメールに「変容」という言葉を使いました。人間性の喪失も同様ですが、変容
したり喪失したりしているのは誰なのか。その言葉の主格はなんなのか。世間一般的
(文化人やニュースキャスターや各種評論家や市井の老若男女)に言われるところで
は、その主格は人間のようです。ちょっと古いところでは新人類なんて言い回しはそ
の最たるものでしょう。新しい人類ってことは古い人類に対置させてこその表現であ
ることを考えれば疑問の余地はありません。昨今の様々な凶悪事件を語るときにも同
様の構造を持った表現が使われます。
 曰く。テレビゲームと現実の区別が付かなくなった若者が。
 曰く。感情の抑制がきかぬ若者による短絡的犯行の増加が増加の一途を。
 曰く。ひきこもるようになった現代人に特徴的な。
 曰く。子育てできぬ若い母親がまた我が子を。
 曰く。今の若い選手は簡単に海外へ出るようになり。

 いくらでも続けられますがこのへんでやめておきましょう。つまりこれらの表現で
言うところの変容の主格は若い人たちの考え方や行動に他ならないとなるわけですが
、私はそうは考えません。変容の主格は若い人ではなく、環境なのだと私は考えてい
るわけです。若い人が変わったのではなく、それを取り巻く環境が変容したからこそ
変容に対応すべく若い人があるのだと考えるわけです。じじいの多くは身も心も硬直
しているから変容する環境に対応できません。だからじじいは変容しているように見
えないのです。

 更に言うならじじいこそが環境を変容させた主体でもあります。若い人が時代を作
っていくなんて言い方がありますが詭弁です。じじいが自分たちの責任を回避するた
めに持ち出した耳障りがいいだけの中身のない言葉です。どんな社会体制だって、ど
んな時代だって、実権を握っているのは常に爺さんです。爺さんたちが無責任に変容
させた世の中で、いつも若い人たちはもがきながら生きているのであって、責任のな
いほうに変容の責任をなすりつけるとはまさに無責任。爺さんたちが蛇蝎のごとく嫌
う「無責任」が実は自己投影であり、近親憎悪であり、醜い本当の姿を映した鏡を打
ち壊してしまう白雪姫の継母のようであります。

 だから爺さんたちは「死」を遠ざけたのです。病院のベッドの上で薬漬けになって
でも生きながらえることを選んだ近代の爺さんたちは死を怖れ、死を隔離し、死から
目を背けたのです。もちろんただの悪あがきでしかないのに。

 死も誕生も病院のなかに隔離されて、生のみに目を奪われた我々のまわりを今一度
見渡して欲しいものです。男も女も若いのも老いたのも生きているのか死んでいるの
かわからない奴ばかりです。夢だの、感動だの、中身のないことにはしゃぐ前にまず
死を考えろよ、と私は言いたい。SO-TAI-KI 頑張って、ちょっとテーゲーで(沖縄
の方言=てきとう)これからも続けてください。

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16.ごめんなさいでは終わらない/ルシイド
            
 ハンセン病勝訴の件は、きっと日記で取り上げられると思ってた。

 一連の報道で、はじめて知ったことがある。隔離政策の推進にあたって、ご近所からの通報
(あの家にはどうやららい病患者がいる)を奨励していた時期があるということ。
密告という行為は、普通の人間を用意に悪魔に変える魔力がある。
民族問題や政治・思想問題でも、多くの国の歴史が繰り返し証明している。

 その運命の過酷さや、国の無策に対して「お気の毒に」「なんて理不尽な」
という感情を持つことはたやすいが、フツー人間のダークサイドっちゅうやつは何より怖い。

 断種や中絶についても、あそこまでえげつないものでなくても、精神病患者に対しては今でも
似たようなことがないとは言えないし、多くの産婦人科で一般的に行われている各種の検査も
「その子、やばい可能性ありますけど、産むんですか?」
のソフトな恫喝に他ならなず、中には、どういう意味を持つ検査なのか知らされずに検査を受
けている妊婦も少なくないという。
 国がハンセン病の患者さんに対してやってきたことを希釈したような行為・考え方は今も根絶
してはいないような気がする。
 国は、国民の鏡なのだ。
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