黄金の月
紅のいったとおり、足をはやめて道を急ぐうち、昼より薄暗く曇り始めた空から、ちらりちらりと牡丹雪が降り始めた。水気の多い、大粒の雪だ。
街の大門が見えたときには、カカシたちの肩は冷たく濡れ、よくみればうっすらと雪片が積もっていたりもした。この気温の冷え込みと雪が続けば、明日の朝には雪が積もっているかも知れなかった。遠目からもみえる、街の背後にそびえたつ岩壁と、それより流れ落ちる大滝の白い流れは、いっそう寒々しくみえた。
街に入り、依頼主である新しい大名と職人たちに面通しを済ませれば、もう夕刻も遅く、日も暮れていた。外の雪は一時、やんでいるようだ。
「それでは今夜より準備に入らせていただきます。明日の昼ごろ、仕度が終わる予定ですが、術をお見せする時刻はそちらでお決めいただきたい」
おおよそ十人ほど並んだ職人たちの前で、カカシはそう切り出した。
「いつでも構わんのかな」
もっとも年嵩にみえる初老の男が尋ねた。先ほどの紹介では、職工組合の年寄株の持ち主だそうだが、みたところみなの取り纏め役といった様子だ。
「仕度が終わり次第、お約束いただいております日数が五日。そのうちでしたら、お選びいただけましょう。それ以上、日が延びれば延長ということで別途、料金をいただきます」
「この時期は雪が多くての、できれば見通しの良い晴れの昼間にしてもらいたいとおもっとる。しかし、どうも天気の見通しが悪い。もし仕度が終わってから寒波で滝壷が凍るようなことがあっても、溶けるまで延長料金はかかるのかな、銀髪さんよ」
カカシはわずかに目線をさげて返した。
「木の葉はそう了見の狭い里ではありません。お話をいただきました際に、滝の凍るまえとお聞きしておりますれば、もし天候が不順のまま日が繰り延べになれば、また日の良い時期を選んで仕切りなおしとなりましょう。料金については、そちらと木の葉の里との交渉によると存じます」
「ふむ、そうか。なら、龍をみせてもらうのは明日の午後がよさそうかの。天気があまり良くはないが、また明日になれば止むかもしれん。曇っていても、この時期であることだ。仕方あるまいな」
みんなも良いか、と初老の男は周囲を見渡し、ばらばらと周りをかためる男たちも頷いた。
「では用意が成り次第、そちら様にお知らせすればよろしいですね」
「うむ、こちらにもいろいろ用意があるしの、知らせをもらってから一刻は待ってもらいたいが」
「分かりました」
カカシが一礼し、それを潮に職人たちとの打ち合わせは終わった。カカシたちはこれから宿を決め、その後に街の三方に散って術を仕込んでいく。日の暮れた今からなら、夜中までかければ、明日の昼に間に合うだろう。
それぞれに場を去る職人たちのなかで、ひとり、あの初老の男が残り、宿を決めようと話すカカシたちに声をかけた。
「今夜の宿は決まったのかね」
カカシは男に向き直り、答える。
「いえ、これからですが」
「上の方々は気のきかんお方じゃな、わざわざ来てもらっておるのに」
「歓待を受けるのは忍びの役目ではありませんので」
内々には、大名の手配で宿を取れだの宴に出ろだのと話はあった。だが任務を受ける段階で、里を通して断りを入れてあった。カカシが面倒だと思ったこともあるが、宴や歓待といった外交事は、男にいったとおりに忍びの役目のうちではないと思ったからだ。
「そうか、そうじゃったな。いや失礼した」
男は朗らかに顔をほころばせ、ついで「よければ宿を用意しよう。せっかくのお客人だ、大いにもてなそうと言いたいが、わしの工房だ。狭くて何にも無いが遠慮はいらん」といった。
カカシはしばらく考え、
「今夜は遅くまで作業をします。ご迷惑では」
と言うと、男は背中を返して、
「迷惑というもんがおったらわしが叱ろう。では着いてきなさい」
男のしわがれた声は、もう親方のような響きになっていた。
ついた先は、町屋の並ぶ通りを入った、大きな平屋建ての建物だった。築何十年かというような古い木造の平屋で、つくりつけの格子窓からはにぎやかな声と明かりが漏れ出でている。屋根の上をみれば細い煙突から、曇天の空へと淡い煙が立ち昇っていた。
「いま帰ったぞ」
「おかえりなさい、親方!」
引き戸をあけて入った先は土間で、元気な声が飛んできた。そのあとに連続して「おかえりなさい!」と年いった声や若々しい声が聞こえ、奥のほうで皆がいる気配があった。
いちばん真っ先に出迎えた声の主が、奥の廊下からぴょこんと顔をみせ、カカシたちに気が付いた。少年といえる年頃。
「こちらは今回、龍を見せてくださる方々じゃ、離れを使ってもらいなさい」
「はい! よろしくお願いします! すぐに足桶もってきます、ちょっと待っててくださいね!」
まるで跳ねるような元気さで、止める間もなく少年は言って廊下の奥へ走っていった。
これからすぐに仕度にかかるから、部屋に上がっている間はないと言う隙がなかった。男は笑い、
「落ち着きが足りんで申し訳ない」
と謝った。そして離れの場所の説明をし、食事の世話や風呂もあの少年に頼むが良いと言った。カカシはそれに戸惑いをみせ、断りをいれる。
「これから出かけますが、こちらに戻る時刻は深夜でしょう。それから頼むというのももったいない話ですので、お気を使われることはありません。どうぞ休ませてやってください」
カカシたちはいざとなれば一昼夜食事を抜くこともできる。もちろん、いまは非常時というわけではないから、どこかの飯屋にでも行き、飯を食えば良い話だ。わざわざ工房の者を下働きに使うことは気がひける。
だが男も工房の主として譲れないところだと思ったのか、カカシの言葉に渋い顔をみせた。
「お客人の世話を立派にできるかというのも修行のうちだ。一日やそこらの寝不足でふらふらしとるようでは鍛え方が足りんのですよ」
「そうはいっても…」
この男は存外に厳しい師匠であるらしい。どうやって「お構いなく」というたったそれだけのことを了承してもらえるか、とカカシが思案していれば、廊下のむこうからぱたぱたと元気な足音が聞こえてきた。姿をあらわした少年はたらいを三つと大きなやかんを手に下げていた。やかんは重いらしく、足取りはときどき乱れていた。
「お待たせしました!」
「いや、悪いんだけど―――」
と言いかけたカカシをさえぎって、男が大きな声で言った。
「まあいいではないですか、銀髪さんよ。飯もすぐに用意させましょう、腹が減っては忍びの方といえどもお辛いでしょう。それで、厨のほうへは」
「はい! さっきお願いしてきたので、取りにいけばすぐにでも!」
師匠に目を向けられて、はきはきと少年が答える。目はきらきらと輝いていて、嫌々ながらに役目を頼まれた、といった風ではまったくなく、カカシとしても断りにくくなった。イルカと紅を見返ってどうするかと伺ってみたが、無理に断ろうとする雰囲気でもなく、戸惑った風。
けっきょく、夕飯だけでもという師弟におされ、三人は飯をとることになった。いったん、用があるとかで男は席をはずしたが、膳を運び椀を注いでくれるなど、少年はこまごまとよく働いてくれた。しかもよく喋る。
適当に相槌をうちながらきいた話で驚いたことには、この工房は彫金、鍛金を主としているという話だった。カカシはてっきり、タペストリーを作るというから織物工房かと思っていた。
それをいうと、少年は師匠の男と同じように朗らかに笑い、こう言った。
「この街はもともと、金銀の細工物を作り出してきたんです。水が豊富ですから。最近は温泉も沸いたって話しですけど。もちろん染物も盛んですが、この街の細工はちょっとしたものなんですよ。歴史も古いですし、職工組合では半分ぐらいがうちのような細工中心の工房ですね」
そこから少年の話は飛んで、今回の龍から新しい細工物をつくるために親方は参加しているのだ、とか以前にも滝になぞらえた細工物はあったが、龍の造作ではなくおもに蛇の形であったことなどを話した。
イルカは相槌をうたずに聞いていたようだったが、カカシには興味深かった。もしかするとイルカは雑誌などでもう知っていることだったのかもしれない。
飯も終わり、休む間もとらずに外へ出る際に、おおきく開け放している屋敷の中心部分がみえた。土壁の広い部屋作りで、中央にふたつ竃があり、金銀鋼を打つのだろう、台座などがいくつもある。もう一日の仕事は終わっているのか、仕事場の蝋燭は絞られそれ以上は見えなかった。
「あそこで作ってるの?」
カカシたちのあとに付くように廊下を進んでいた少年が「はい!」と元気よく答える。
「いまは明かりが消えていますけど、竃の火はぜったいに落とさないんです。竃の火を落とすと、天神様がお怒りになるらしいです」
「へぇ、天神様か」
「はい。蛇はその化身だっていわれてて、うちでもたくさん、蛇でお守りを作っています! 病気平癒に商売繁盛、旅行安全や恋愛成就もご利益ありですよ!」
まるでセールストークのような言葉にカカシは苦笑した。長い廊下を進みながら話す。
「ずいぶん色んなことにきくんだな、その神様は」
「天神様はご利益高いんですよ! 大滝にいらっしゃる女の神様だっていわれてて、ここらでは天神様の指輪を結婚の約束に渡したら、ぜったいに夫婦仲も上手くいくって昔から言われてるんですよ!」
カカシがからかう様に言ったためか、むきになって少年は主張してきた。その一心さが好ましく、カカシは反論せずに訊いてみた。
「結婚の約束に蛇の指輪を渡すのか?」
「はい! 末永くひとつでいられますように、って二匹の蛇がお互いの尻尾をくわえてる、っていう指輪なんです。銀で作られてて凄く綺麗なんです! 胴が長いから、末永く、ってかけてるっていう話で…えと、違ったかな。尻尾を食べてるからいつか一つになるっていう話だったかな…」
おそらく指輪の造作なら容易に思い出せるのだろうが、その由来となると、見習の少年には不確かな記憶らしかった。いいよ、とカカシが言おうとすると、そのまえに落ち着いた声が笑みを含んでかけられた。
「どちらもだ。胴が長くその滑りの良いことから、末永くつつがなく暮らせるように。また指輪の形で、二人がいつもひとつであるとも示している。まあ、こちらの形自体はこの工房の独案ですので、あまりご利益は保障できませんがな」
最後はカカシにむかっての言葉だった。
「これからですかな、忍びの方にいうことでもないだろうがお気をつけて」
「ありがとうございます。日の変わる前には戻ってきますので、申し訳ないが扉だけお願いします」
「ああ、これが扉番をするから心配はいらんよ」
これ、というのは少年のことだ。師匠とカカシに視線を向けられて、背筋をぴんと伸ばした。
「はい! ご心配なく!」
「悪いがよろしく頼むよ」
言って、カカシたちは通りへ出た。屋内はやはり暖かかったようで、通りを吹き抜ける寒風は厳しく、身を切られるような寒さだった。吐く息が白く、それさえ木枯らしがさらていく。雪は降っていなかった。
「じゃあ術を仕掛ける場所と分担だけど、街の東西と大滝の上で…」
言いながら、ふと耳を傾けるイルカを見た。寒さで肩をわずかにすくめているが、目立った不調もなさそうだ。食事をとったあとでもあるし、頬に赤みが指していて、カカシはすこし安心する。落ちついて屋内で食事をとって良かったと、いまになって思った。
そういえば、あの少年が言っていた指輪は、そのご利益を発揮してくれないだろうか。イルカと自分の間に。いつまでも、というのは忍びの身では過ぎた願いだろうが、せめてイルカとカカシのあいだにある距離が縮まれば良い。
ひとつになるほどに近しくはなくても、手をのばせば届くところにイルカが居て欲しい。イルカの温もりに触れることができるように、イルカの心の温かな部分にも触れることができるように。
「じゃ、それぞれよろしく」
見あげると、闇にそまった雪雲が空を覆っていた。
2004.08.5