泣けない心。
泣けば良いじゃない、と言われた。
イルカはムッと眉根を寄せて、酔った口調のまま言い返した。
「そんな真似、できるわけないでしょ」
「そう?」
納得できない様子で、さらに店主へ銚子を追加したのは、カカシ。
こぢんまりとした居酒屋のカウンターで、二人で飲んでいる様子はいかにも仲が良さそうにみえるが、実はそうでもない。誘ったのはカカシで、イルカは言うなればそう、ノリだ。断わりきれなかった、と言い換えてもいいが。
話が、つい仕事を含めての私生活の物思いその他色々、へ発展してしまったのも、まぁ、ノリということで。
「でも、やりきれないんでしょ?」
「そりゃそうですが、だからって…」
カカシが頼んだ冷酒が運ばれてきた。
何気にカカシの頼むものはイルカがいつも慣れているものより、一段上の品であることが多い。酒などもそうで、こういった場所で飲むときも、カカシは並列されている酒瓶から、これ、といった美味い酒を選ぶ。たとえそれが店で一等高いというわけではない酒であっても、美味いと知っているのか、迷わず頼んだりすることがよくあった。
そういう物慣れている様子が悔しいのと、自分がいつも飲んでいるものより美味い酒ということもあって、イルカのペースは普段より少し速い。
今も、干してしまった杯へ、すかさずカカシが注いでくる。
それへ返杯しながら、イルカは続けた。
「泣いたって何の解決にもならないし…そりゃすっきりはするでしょうが。それに…もう随分泣いてないし……」
最後は独白の色が濃かった。
酔いが自覚するよりずいぶん回っているのだろう。
本当は思うだけに留めようとしていた言葉だった。
「え? ナルトから聞きましたけど、卒業試験のとき、あなた泣いたって…」
「ぅわ! なんでそんなこと聞いてんですか! 恥ずかしい、忘れなさい!」
「忘れろったって…イルカ先生、けっこう酔ってるなぁ」
カカシが笑う。
嬉しそうだ。
いつも硬い態度のイルカが、乱暴に砕けたことへ、嬉しくて笑っている。
「だから、イルカ先生、最近ちゃんと泣いてるじゃないですか」
「ぅ〜」
「なに唸ってるんですか?」
「唸ってません!」
がう、とイルカは吠えた。
ますます可笑しげにカカシは笑う。
「―――…あれはっ、…なんというか、別物ですし」
「別物、なんてあるんですか」
「俺にとっては」
「ふぅん」
そう相槌をうち、笑みに目を細めているカカシへ、イルカは杯を持ったまま、じろりと視線を向ける。少しばかり不信気な色。しかし酔いも手伝い、普段よりずっと軽くなった口がぽろりと言葉を零した。
「自分のためにね、泣くのなんてもうしんどくて」
泣くことは体力を消耗する。
泣くことは精神的な倦みを流してくれる。
泣くことは、―――…寂しい。
「ありゃりゃ、お年寄りな」
「悪かったですね、若年寄で」
「まあ年齢的にはね、若年寄」
これで年齢まで老けていたら目もあてられない、と言いたいのかとイルカは視線をきつくした。だがそれに、この口辛い上忍は怯む様子もない。むしろ、いっそう楽しげだ。
「心まで枯れちゃったらアレですけどねー」
あまつさえ、そうのたまった。
機嫌よく酒がすすむ上忍へ、イルカはむっつりとカカシの杯へ注いだ。
人は悪くないのに、どうしてこうも吐く言葉がいちいち勘に触るのか、小一時間ほど説教したくなるのは毎度のことだ。
カカシはちっとも済まなさそうな様子ですいませんと言い、銚子を受け、そして笑む。
「でもあなたは心ん中で泣いてるのに、それが出せないなんて、寂しい人だね」
イルカの傾ける銚子と、カカシが受ける杯が、カチリと鳴った。
「――――――…そりゃ、どうも」
「ふふ」
変わらずのイルカの眉間のしわに、カカシはご機嫌だ。
イルカはまた説教したくなる。
どうしてそう、たまに、偶然かと思いたいようなタイミングで、イルカの中へ―――イルカの心の中へ染み入るような言葉を吐くのか、吐けるのかと、言いたくなる。
親友でもないくせに。
ただの知り合いのくせに。
上忍の洞察力かよ。
俺の中に、入って来るなよ。
「…カカシ先生もけっこう、酔ってますよね」
「まあね〜」
悔し紛れに指摘すると、さらにカカシは機嫌よさ気に笑ったのだった。
2003.09.10