おでん。
気温が急激に下がった。
それが先日にやってきた嵐のせいか、それとも移り行く季節のせいなのかは判別がしにくかったが、ともかく例年よりもずっと急に、朝夕が涼しくなった。
朝、目が覚めれば跳ね飛ばしていた上掛けをしっかりと被っている自分がいたし、こうやって日が暮れかかっている夕方は、過ぎる風に肩が自然と縮こまってしまう。
う〜。
通りのはし、小さな身体をすくめてナルトが歩いていた。
ひとりの家に帰るところ。
先ほどまで、自主鍛錬をしていて身体はほかほかしていたのに、こんなに冷たい風のせいで、もう汗は引いてしまって反対に寒い。
ぎゅ〜っと身を縮めて、拳にした両手に息を吹きかけた。
まるで冬にする仕草だが、今夕は本当に風が涼しすぎた。
現に、通り過ぎる人々も一様に身体を竦めるようにして、道を急いでいる。なかにはもうマフラーをしている人もいた。
それほどに風が冷たいから、ナルトのように手に息をふきかけている人が居ないではない。夏の名残の半そで姿の里人などは、もう真冬の仕草で、両手で身体を堅く抱きしめながら前かがみで歩いている。ナルトの様子は、今夕に限っては珍しいものではないようだった。
あ、おでん、買って帰ろ!
良い事を思いついた。通りの少し向こう、赤い看板がもう光っている。夜遅くまで開いている便利なお店。お菓子や弁当、ジュースに雑誌、なんでも揃う。おでんだって。
早足になって店内に駆け込んだ。
ふわっ、と暖かい空気。
つい昨日まで冷房がきいていた店内は、今日はもう暖房をゆるく効かせていた。
意識せずに肩の力を抜いて、ナルトはおでんダネの寸胴へ足取りも軽く近づく。
美味しい匂い。
大根と、ちくわと、タマゴと、あ、やっぱ大根二つ、それから餅巾着!
矢継ぎ早に店員に言って、プラスティックのお持ち帰り箱に入れてもらった。
受け取ると、あったかくて、熱い。
ほくほくと嬉しくなった。
でも、お店をでるとまた冷たい風。
ひゃっ、とナルトは再び肩を竦める。
家までもうちょっと。
おでんが冷えないうちに帰ろうと、零さないように駆け出すといっそう頬をかすめる秋風が冷たくなった。
異常気象だってばよ!
思いつつ、ふと目が通りのスーパーの中を見てしまった。
見慣れた一つ結わいの黒髪。苦労性を思わせる肩のあたりの哀愁、貧乏臭さ。間違いなくイルカ先生だ、とナルトは知られたら拳骨をくらいそうなことを思う。手にはスーパーの黄色いカゴが握られていて余計に所帯じみていて、
イルカ先生、カノジョ、いねーのかなー。ま、できるわけねーか。
などと、今度は雷がおちそうなことを考えていると、イルカの俯いていた顔が上がって、違う場所を見た。なんだろ、と本格的に立ち止まってみていれば、見えたのは銀色の頭。
え、カカシ先生? なんで一緒にいんだろ。
しかもカカシは手に大根を一本、持っている。あんなに立派で大きな大根、一人じゃ食べきれないしナルトは買ったこと無い。するとカカシはその立派な白い大根を、イルカの手カゴにすっと入れてしまった。イルカは笑って、何かを言っている。
二人があんなに仲がいいなんて知らなかった。
ナルトは少し唇を尖らせた。
カカシがまた、こんどはおでんセットなる練り物のパックを持ってきてイルカのカゴに入れる。イルカは嬉しそうに目をくしゃりと細めて、そうして二人してナルトの見えない奥のほうへ移動してしまった。
残されたような感じでナルトは、とぼとぼと歩き出した。
早く帰らなくてはおでんが冷えるのに、足取りは重くなってしまった。
二人が仲が良いことはとても嬉しいことのはずなのに、胸がすーすーして何ともいえない気持ちがする。俯いて、尖らせた唇で、ちぇっ、と呟く。
羨ましいという前に、寂しい。
あの二人のどちらか片方だけなら、その傍らに自分の居場所は確かにあるのに、さっきのあの様子をみていると、あの間に自分の居場所はまったくない気がした。あの二人の間に入っていける気が、沸いてこない。
「ちぇ〜…」
重い足取りが、スーパーからさほど離れていない場所で、ぴたりと止まる。
歩くと、すーすーと風通しのよい感じが、いっそう強くなりそうで嫌で。
握り締めたおでんの袋はまだ暖かい。
これから急いで帰れば、ほくほくと舌をヤケドするぐらいあったかいタマゴだって大根だって食べられる。さっきまでは確かに魅力的だったその想像は、けれど今のナルトには少し褪せて思えた。
ひとりの家なんて当たり前だったのに、先生たちは違うんだ、と思ったら余計に、お店のおでんがつまらなく思えた。
いっそ自分で作ろうかな。
そんなことを珍しくも思っていたそのとき、声がした。
姿同様、聞き慣れた声。
叱るときは怖くて、驚くときは間抜けで、褒めるときはあったかい、大好きな声。
「ナルト! いま帰りか?」
「……イルカ先生!」
「メシ、食ったか?」
スーパーの袋を手に、近寄ってくる姿。夕闇が迫るなかで、ほんのりと街灯に照らされて姿が見える。その袋から大根がにょっきりと出ていた。
やっぱりどこか間抜けな姿に、出そうになっていた涙が引っ込んで、ナルトはすん、と鼻を鳴らしながら笑った。
「今からだってばよ! イルカ先生は、カカシ先生と食べんの?」
「え、あ、あぁ、見てたのか? ちょうど帰り道で会ってな…」
言い訳のようにイルカが鼻の傷をかいたが、それが照れ隠しや誤魔化すときの癖だと知っている。
イルカの後ろから、こちらもスーパーの袋をひとつ下げた姿がついて現れた。ひょっこりと、イルカの後ろ肩越しに、顔が覗いた。
「なーに、お前、おでん? 晩メシ?」
「そうだってばよ! 俺しってんもんねー! 先生たちの晩飯もおでんだろ!」
「よく知ってんねー」
「へっへーん」
「そうだ」
言って、イルカが笑った。
「ナルト、お前も食べに来いよ! カカシ先生のおでん、絶品だぞ!」
え、と呆気に取られてナルトはぽかんとカカシを仰いでしまった。
その鼻先を、カカシの人差し指がぴこっと弾く。
「ゆっとくけど、俺の料理を食べれる人はかなりの幸せもんだね」
「え〜!? カカシ先生が料理すんのかってばよー! 信じらんねー!」
「こらこら、ホント旨ぇぞ? 嘘だと思うなら食いに来いって。そんなコンビニのよりよ」
イルカの大きな掌が、ナルトの穂波色の髪をくしゃくしゃに撫で回す。
首を竦めてそれをやりすごして、ナルトはめいっぱいの嬉しさで笑った。
「しょーがねーってば! 食いにいってやるってばよ!」
生意気に大声でいったナルトに、再度、人差し指でデコピンをお見舞いしたのはカカシで、その二人を笑って家路を促したのはイルカ。
自然とナルトを挟むようにして歩き出す。
三人して皆が皆、袋を下げての帰り道。
冷たい風が、変わらず通りを吹き抜けていたが、もうナルトが肩を竦めることはなかった。
2003.9.23