黄金の月
言えない言葉が増えていく。
まるで満ちる月のように、それは膨らんで朽ちることはない。
胸の途中で途切れた言葉を飲み込めば、黄金の月が笑っていた。
「どうぞ」
ひやりと、疲れきったイルカの頬に冷水の入ったグラスがあてられた。
もう身を竦ませる力もなく、イルカはただカカシを見上げる。明かりのつけない寝室で、台所からの明かりが、一条の線になって、カカシの銀色の髪をてらしていた。その表情は柔らかだ。
「要りませんか?」
言って、カカシはグラスから一口、水を含むとゆっくりとイルカに覆い被さってきた。暖かい唇。舌と一緒に、温い水が流れ込んできた。イルカは息を止め、気道に入らないように水を受け入れる。枯れた喉に、それでも水は心地よかった。
受け入れきれずに、イルカの口端から漏れた水を、カカシはシーツで拭う。ぼんやりとカカシを見上げるだけで、されるがままといった風情のイルカに、カカシは訊いた。
「風呂、入りたいですか?」
ここで頷けば、カカシが自分を抱えて風呂に入れてくれることを、イルカは知っている。前回、なぜ訊くのかと思いながら頷いてそんな目にあった。だから、首を横に動かした。もう、あんな居た堪れない格好で風呂に入るのだけはごめんだ。
「そうですか」
カカシは、汗ではりついた額の黒髪を、指で梳いていった。かすかに感じる、指の感触と掌の温度が心地よく、イルカは目を眇める。あれだけ身体を繋げあってもまだ足りないように、イルカはカカシの温度に安心する。
それは言葉にできずにいること。
伝えることのない想いを飲みこみ、喉を鳴らすと、咥内にのこった水が身体の奥へ流れ落ちていった。
翌朝、目が覚めたとき、カカシはいなかった。
最初の朝、帰りを促したこともあるのだろう、イルカはカカシと共に目を覚ましたことはない。何度か、起床とともに一人を確認することが重なれば、そういうことにしたんだとイルカも了解して、以来、カカシの手を煩わせないようにと事が終わればすぐに寝入るようにした。
全裸のまま、ベッドから降りれば内腿を伝うものがある。ひとり、眉をしかめて汚れたシーツを身体に巻きつけた。そのまま風呂場へと直行する。
それはイルカが望んだことだった。カカシが行為後も、暖かな指先で触れてくることに耐えられなかった。触れられれば、降積もる言葉が、ただ溜まるだけ。そう考えて、あえてカカシに放っておいてくれるよう頼んだのは、三度目のときだったか。
カカシがあれほど気を使う人為でなければ。
あれほど優しげでなければ、こんな思いもせずにすむのに、と考えるときもある。それはしばしば、夜明け前、熱い湯を全身に感じているときだったりする。
頭皮を流れていく湯が心地よく、イルカは流れる滴とともに髪の毛をかきあげた。湯が飛沫を撒き散らしたが、それも身体を打つ熱い滴に紛れていく。
自分の柔らかくもない、筋肉ばかりの身体を見下ろした。胸元、腹のヘソの上、いくつかの赤い痕。
「……――――――」
タイルに片足の膝を押し当てて、イルカは内股を確認した。やはりそこにも鬱血がみあたる。舌打ちしたいような気分に襲われながら、イルカは赤い痕をかすめて、さらにその奥に自らの指を伸ばす。
尻の肉を割り開いて、人差し指を窄まった後口へ差し入れた。
「…―――…ぅ、……」
自然、身体が前のめりになり、額を冷たく感じるタイルへと押し付けた。
指を内壁、奥へと進めて、擦り、ときに引っかくように洗浄する。
まだ静かな明け方。熱いシャワーの下、一人で行う行為。
は、と吐いた息も熱い。
浅ましく半ば立ち上がった自身を、イルカは引き抜いた指で絡めとった。そのまま性急に扱き上げる。
「ぅ、…く……っ」
硬くなったそれの先端を、カカシの指がよくするようにごりごりと擦りつけ、ぎゅうっと握り締めた。流れ続ける湯滴のなか、イルカは簡単に精を吐き出した。
どきどきと、つかのま高鳴った心音を感じながら、イルカは湯に、手の内の濁りを晒した。それはいくぶんねっとりとしていたが、すぐに湯と見分けがつかなくなり洗い流れていった。
その様子をじっと見ていながら、イルカの目はどこか、違う場所を見つめていた。
2003.6.11