おいしいカレーの作り方
まずオレは、帰るイルカ先生に深く頭を下げて見送りつつ、カレーというものについて考えていた。
美味しいカレー。
カレーというものについてはすぐにわかる。
ごくごく一般的な煮込み料理だ。
あまり料理をしないオレにだって作れるほど簡単な料理で、あえてそれをイルカ先生が指名したことの意味について考えていたのだ。
つまり、「おいしい」という部分に重要な意味が有るのではないだろうか、と
普段、食べなれている味よりも美味いもの、手の込んでいるもの、高級なもの、本格的なもの。
イルカ先生とメシや呑みに行ったことはあるけれどカレーの好みまでは知らなかったオレは、そこに活路を見出した。
味は普通でも本格的なカレーを作れば、きっと感心してくれるに違いない!
そしてあわよくば付き合ってくれるかもしれない!
オレはそう確信した。
晴れてお付き合いできることになったら手を繋いだり好きですって言ってもらったりキスしたりしてもらったり髪の毛触ったり指舐めたりそのさき色々できるんだうわぁっ、いう期待を拳に握りしめて、オレはとりあえず本屋さんへ向かった。
本格的なカレーについての料理本を仕入れるためだ。
ところが、残念なことに、木の葉の本屋には、ずらりとカレーの本はあっても、全て「男でもできる!」だとか「簡単!」とか「手抜きがバレない」とかの副題がついていた。
これじゃダメだろ。
手抜きなんかじゃイルカ先生の心は掴めない!
『美味い!』って笑顔になってもらえない!
そう考えたオレは、次に木の葉の誇る歓楽街に出向き、その付近の料理屋を食べ歩いてみた。
美味しいと思った店では天井裏に忍び込み、天井裏がなければ忍犬に活躍してもらい、レシピを克明に記録。
料理の盛り付け方や副菜の作り方に至るまで、ベストの状態を考え出す。
次にレシピに必要な材料の仕入先を観察、追跡。
そのうちの、いい加減だと思われる材料を使っている業者については候補から外し、他の店舗からの追跡調査も参考として、複数の業者から仕入れされている先を特定して入手する。
なお、それでも使用するに適わずとなった場合、さらにその仕入れ業者の帳簿を調査し、取引先を調べ調達すること。
もちろん、使用する予定の材料は最高級のものを用意することは当然のこと、鮮度や数も充分に備える。
愛するイルカ先生のために。
そんなオレの努力が実って、次の金曜の夜、イルカ先生を初めて自宅へお招きすることができた。
やった!
オレの用意したカレーは、チキンカレーという至って基本的なカレーだったが、材料も料理手順も盛り付け方も本格的なものに仕上がっている自信があった。
ひとつの皿の上に乗るのはまずバターライス、その外円を取り囲むように酢漬けのピクルスに千切りのキャベツ、人参の甘煮とポテトフライが並び、そして皿の右側には、米とわずかに被るようにこげ茶色のルゥが広がっている。
ルゥからはスパイシーな香りが広がっていて、写輪眼のおかげとはいえ、ちょっと自慢できるほどの出来だった。
イルカ先生も、きっと美味しいって笑顔になってくれるはずで、それを想像するだけでオレは幸せな気持ちになる。
仕事帰りで直接オレんちに寄ってくれたイルカ先生は、玄関入って鞄を肩から外しながら、何故か眉間にシワを寄せていて、でもオレは一刻も早くイルカ先生にこのカレーを食べてほしくて、そんなことに気づかずに飲み物やらを用意するのに懸命だった。
「イルカ先生、こっち、座ってください」
「……」
オレんちは上忍用住宅っていっても狭いところで、しかも自宅でメシなんて滅多に食わないもんだから、台所のある部屋の真ん中に、二人用の小さいテーブルがおいてある程度だ。
そのテーブルと一緒に買った古ぼけた椅子を引いて、オレはイルカ先生を促した。
イルカ先生が何も言わず座ってくれたので、オレは洗面台のほうですっかり小机状態になっていた、もうひとつの椅子を取ってきて、イルカ先生の向かい側に座った。
イルカ先生は、ちょっと難しそうな顔をして、なぜかカレー皿を睨んでいる。
「…? どうしたんですか? イルカ先生」
カレー皿の横にスプーンはもう置いている。
あとはイルカ先生が、いただきます、っていって食ってもらうのを待ってるだけだ。
オレはもうさっきからソワソワして、ワクワクして尻が落ち着かない。
「イルカ先生、ほら、冷めちゃいますよ、早く、食べ―――」
「―――いただきます!」
パン、と柏手がなった。
オレは急にイルカ先生が言ったものだから、少し驚いていたんだけど、スプーンを鷲掴んだイルカ先生は猛然とカレーを食べ始めた。
凄い勢いで、しかも難しい顔のままでだ。
オレはその迫力に首を傾げつつ、
「どう…ですか? 美味いですか?」
と訊いてみた。
でもイルカ先生は一心にカレーを食べていて、返事をくれない。
難しい顔のままだから、美味しいのかマズイのかも分からないし、そもそもどうして難しい顔をしてるのか、どうして早食い競争みたいにカレーを食べているのかも、オレにはさっぱり分からなくて、途方にくれてしまった。
結局、イルカ先生は、皿の上のものを全て胃におさめて、用意したサラダや飲み物も飲み干してから、オレに向かって口を開いてくれた。
タン、と小気味良い音で空のコップが置かれた。
「――――――美味かったです」
「ホント!?」
オレの心が、ぱああぁぁぁ、と明るくなった。
「じゃ、じゃあ、オレと付き合ってくれるって…」
言ってましたよね、と言いかけたオレに、イルカ先生の手のひらが、止まれ、のようにかざされた。
「? どうしたんですか?」
「美味かったです、ごちそうさまでした」
「はぁ…お粗末サマでした。えぇと、だから、その」
「だから、今度は俺がカカシさんにご馳走します」
「―――へ?」
オレの目の前には、空になったカレー皿。
そして、眉間にぎっちりとシワの入ったイルカ先生が、オレを睨んでいた。
えぇぇぇぇぇぇ?
なにその急展開。
聞いてないよそんな話!
オレはもう、美味かったっていってもらって、頬染めたイルカ先生が頷いてくれて、そんでちゅうまでする予定だったのに!
「だだだって、美味しいの作ったら付き合ってくれるって…!」
思わずそう言ったら、イルカ先生、オレを見つめたまんま、
「美味いですけど付き合うって言ってません。だから、今度は俺が作るんで、食ってください」
ええぇ〜?
オレはもう、イルカ先生の言ってることがワケ分かんなくて、なんだそれって脱力状態だったけど、ふと、イルカ先生の揺るがない眼光に、ちょっと昔を思い出した。
そういえば、最初のころ、初対面のときはそうじゃなかったと思うんだけど、オレがイルカ先生を好きになってアレコレ誘うようになったころ、イルカ先生はよくこんな感じで、機嫌悪そうにオレを見てた気がする。
そのときは、仕事の邪魔する上忍が迷惑なんだろうなあ、とか、ヘラヘラしてて腰の低いとこが見苦しいとか思われてんだろうなあ、とか推測してたんだ。
でも、今はどうしてだろう。
せっかく美味しいカレーを作ったのに、至極不満げに見られる理由が分からない。
「そ、そりゃイルカ先生が作ってくれるんなら、喜んで食べますけど…」
付き合うとかいう条件云々の話は、じゃあオレの勘違いなんだろうか。イルカ先生の手料理ならなんだって嬉しいわけだから、ご馳走になるってことには、全く不満はないんだけど。
不安がありありと顔に出てたんだろう。
イルカ先生が、オレの情けない顔を吹き飛ばすような勢いで椅子から立ち上がり、フンッと鼻を鳴らした。
こ、怖い。
「いいからっ、とにかく、俺もカレー作りますから!」
なぜだか凄ぇ怒ってるようだ、イルカ先生は。
混乱しながらもようやく分かってきた。
逆らわないように、素直にコクコクと頷くオレを、イルカ先生はまるで憎らしいとでもいうような激しい視線で睨んでから、食べた皿を流しに持っていき、オレが慌てて止めたのに、さっさと汚れ物を洗って、きっちりと、
「お邪魔しました。ご馳走さまでした」
とお辞儀をして帰ってしまったのだった。
残されたオレは、しばらく呆然としてたけど、我に返って、とりあえず残ったカレーを食べてみた。
少し辛口でスパイスが効いてるけど、食べれない味じゃないし、なにより里で一番美味いカレー屋の味とそっくりだ。
いったい何が、イルカ先生をあんなに怒らせたんだろう。
「おいしいカレー、作ったのにな…」
あんなに気合入れて努力したのに報われなくて、でも報われないからって怒るより、イルカ先生が嬉しそうに美味い、って言ってくれなかったのがなにより悲しくて、オレは一人の部屋で項垂れる。
イルカ先生の前じゃ、あんなに美味しそうに輝いてたカレーも、一人じゃ全然美味そうにみえなかった。
「…どうしよう、これ」
鍋に残った、あと三人分はあるカレー。
気分が沈んで美味しそうにも見えないし、イルカ先生を怒らせたものだってことで食べる気もしなくて、オレはそのカレーを全部、ナルトにやることにしたのだった。
一体、何が悪かったんだろう?
2009.4.23