夜の先生
正直、勘弁してくれよと思っていた。
この年になって飲み比べで負けたうえに、罰ゲームなんて、アカデミー生レベルだ。それを木の葉の上忍レベルにもってこないでほしい。
これで負けたのがいつものガイなら、あいつのことだから暑苦しい修行だとか自分ルールをだしてくるから、まだ良いんだ。問題なのは、昨日の面子が悪ふざけが大好きなアンコを筆頭に、ノリの軽いヤツラばっかりだったってことだ。
オレは、おっきなため息を付くと、覚悟を決めて、アカデミーの廊下を歩き出した。
さっきまで待ち伏せていたのだ。
イルカ先生を。
彼とは、ここ数年の付き合いになる。
付き合いといっても、ナルトをはじめアカデミーからの情報を引き継ぎして、挨拶を交わしたり、まあ中忍試験の件で衝突もあったが、それも仕事上のことで今もいがみあってる、なんてことは全然ない。いたって大人の付き合い、ってやつだ。表面上の。
べつにオレとしては、彼のような人間を甘いとは思うが嫌いではないし、木の葉の里らしいと思う。オレみたいな冷たいのが居て、彼みたいな甘いのが居ないと、世の中釣り合わない。そうだろ?
だから、仲良くなるきっかけがあれば、一度話してみたいなあ、ぐらいは思っていたのだが―――きっと、今回のことで、嫌われる。
なぜなら、罰ゲームの内容が、イルカ先生に嘘の告白をすること、だからだ。
せめてこれが女の先生ならなあ、とボヤかずにいられない。
そしたら、嘘ですよ、って誤魔化せるのに。
イルカ先生、真面目そうだからなあ。
男から告られた、なんていう事態に、頭で茶が煮えそうになるんじゃないだろうか。
しかもそのあとに、実は罰ゲームで、なんていったら余計に、上忍がバカバカしいことしてるなって言われそうだ。ナルトたちから聞いた先生像は、簡単にそんな図を想像させた。だって、ナルトの女体化で鼻血拭くようなお堅い人だろ?
ビックリドッキリ罰ゲームでしょ、なんて切り返してくれたら良いんだけど。
は〜、憂鬱〜。
嫌われたくないな〜。
オレはイルカ先生が入って行った職員室の扉に手をかける。
周囲を探ると、アンコたちの落ち着かない気配が察知できた。
ったく、ヒマ人どもめ。
オレはイルカ先生と思わしき気配しか、職員室にないことを再三確認し、誰も入ってこれないように結界を張った。ちなみに、破ろうと思えば下忍でも解けるもので、上忍連中にはフスマ程度の壁にもならない。たんに、オレがイルカ先生に告ってる間、だれかが入ってきて、万が一にもイルカ先生に迷惑がかからないようにだ。
オレは意を決して扉をあけた。
案の定、イルカ先生だけが部屋の中にいて、机からなにか分厚い写真集のようなものをとり上げていたところだった。イルカ先生が、きょとんと、真剣なオレを見る。
うわー、ごめんなさい。
心底そう思いながら、オレはイルカ先生に近づいていき、挨拶もなしに切り出した。
「イルカ先生、じつはオレ、あなたのことが好きなんです」
できるだけ棒読みになるように言った。
オレの察知する周囲で、やったー、とか、マジで言いやがった、とか騒いでる連中がいる。くそ、あいつら、今度驕らせてやる。
それはともかく、問題は、この後始末だ。
なぜかイルカ先生は、オレが予想した図、顔を真っ赤にするでもなく、怒るでもなく、俺をきょとんと見ている。まるでオレが言った言葉がわかりません、という風に。
それでオレは、なーんて嘘ですよ、と言う以前に彼の様子がおかしくて怪訝に思い、つい、手のひらを彼の前で数回振って、イルカせんせーい、と呼びかけてしまった。
「あのー、大丈夫ですか? てか、今の―――」
いいかけたオレの目の前。
ちょっとオレは、ぽかんとしてしまった。
イルカ先生がいきなり首から耳まで、顔を真っ赤に染め上げたからだ。
「今の。あ! 好き! あ、そっか、わ、わ、あ、あの、せんせに、いいます、おれ、すき、いいます。じゃ、じゃ、あの、さよなら!」
アワアワするイルカ先生は、意味無く横を見たり手をばたつかせて、そんな意味不明のことを言いながら体を90度に折り曲げて礼をした。呆気にとられるオレ。意味が分からない。しかも、彼はさらに訳のわからないことをした。そのまま、扉からじゃなく、裏庭がみえる職員室の窓わくに足をかけ、本を宝のように胸に抱えて、飛び降りたのだ。
「は!?」
オレは吃驚してしまって、おもわず彼の出て行った窓に飛びついて、その後姿を見送った。彼は中忍とは思えない足運びで、ヨタヨタと一生懸命裏庭のなかへ走っていく途中だった。
「……」
呆然と見送ってから、ハッと我に返る。
とりあえず結界を解いて、周りの気配に声を張り上げた。
「これでいーでしょ〜。いまからフォロー行くけど、もし付いてきたら十倍返しのうえ、承知しなーいよ」
罰ゲームなんて恥ずかしいことをやらされたんだ、フォローくらいはプライバシーを主張したい。まあ周りの悪ノリしたヤツラも、そのあたりはオレの堪忍袋ぐあいをある程度承知してるから、サッと気配が散った。あとで顛末を強請られるだろうけど、これで野次馬はないようだ。
オレは一安心して、窓わくから滑り降りた。
イルカ先生の向かったさきは裏庭の奥。
いまは夏の真っ盛りで、あたりは木々が青々と繁っている。そのなかに突っ込んでいったわけだから、すぐに彼の姿は枝葉で隠れて見えなくなり、俺はホントに忍びか? と疑いたくなるようなハデな音をたてながら移動している彼の、その音を頼りに追っていった。
意外と裏庭は、庭のくせに林のようになっていて、オレは少しばかり手こずりながら垣根を避けたりして追いかけていたわけだが、ふいに視界が開けた。
林は変わらずに広がっていたが、なぜかそこだけ木が切り倒されてベンチになり、自販機まで備え付けてあった。隠れた野外休憩室、といったところだ。
そこに、オレの追いかける姿が呑気に座っていた。
あの―――、と声をかけようとしたオレ。
それが止まった。
「イ、イルカせんせ、あのね、あの、いまね、あっちのハコでね」
「こらこら、三左衛門、教えただろ? あれはアカデミーってんだ。ほら、言ってみ、あ、か、で、み、ぃ」
「あ、あか、か、で、みみ」
「よし、上手いぞ! ほらもういっぺん、あかでみぃ」
「あか、でみぃ」
「よーし! 三左衛門、お前は偉いなあ! それで、ちゃんと俺の用意した図鑑、とってこれたか? どっかに落としてきたか?」
呆気にとられて、忍びの耳でそれまでの会話を聞いていたオレだったが、首をめぐらすと、少し離れた茂みの下辺りに、本らしき、自然には無い色味の四角いものが落ちているのを見つけた。
いや、それよりも、問題は本ではなく。
イルカと話しているのが。
小さな茶色の物体が。
「あ、あのね、もって来たよ! イルカせんせのつくえ、分かったよ、匂い、したもん。あかで、みぃの段々あがってお山のほうむかっていったら、イルカせんせの、匂い、したよ! さんざ、ちゃんと、取ってきた!」
「そっか。そんでどこに取ってきたんだ? 俺と一緒に図鑑、見れたら三左衛門は合格だけど、持ってこれなかったら…」
「も、持ってこれなかったら…?」
「ふごーうかーく! だな!」
「ええぇぇ〜!? やだよ! さんざ、ちゃんと持って来たよ!」
「だってお前、持ってないだろ。ていうか、ちゃんとここに来るまで化けてろっていったろ? 先生のいうこと、ちゃんと聞きなさい」
「きいた! ちゃんと化けてた! 化けてたら、あのね!」
埒があかない。
オレは、戦場と同じぐらいの勇気を振り絞って、図鑑だというそのカラー表紙の『このはのどうぶつずかん』という薄い本を拾い、二人に声をかけた。
いや、イルカ先生と、一生懸命喋る小タヌキに。
「あー…、その本ってコレ、かなあ…?」
話しかけたとたん、今まで意識して気配を消していたわけでもないのに、二人、いや一人と一匹は、驚いた! と顔にデカデカとかいてあるような顔をしてオレを振り返った。よっつの目がまるでどんぐりのようだと思った。
「ええぇ!? カカシ先生、どうしてここに! あ、これは、ちょっと違うんですよ、腹話術です、そう腹話術。俺、宴会芸をいまから仕込んどこうと思いまして!」
「ふく、つ? イルカせんせ、なに、ふくつーって?」
「あ、こら三左衛門、いつもの姿でほかの人の前じゃ喋っちゃダメって先生なんどもいったろうが!」
「あ、ごめんなさい。イルカせんせ、ごめんなさい」
「うん、人の社会では、悪いことしたらごめんなさいだ。この間のはなし、よく覚えてるな、偉い偉い」
「えらい? さんざ、イルカ先生、好き?」
「好きだぞー。三左衛門はよくがんばっててえらいこだ」
「えへへー」
オイ、といつ突っ込もうかと躊躇うほどに、話しがどんどんずれていく。しかもオレを無視して。結局、そのさんざこと三左衛門らしきタヌキが、
「じゃあイルカせんせもよくがんばっててえらいこ」
「お? 先生を褒めてくれるのか? 嬉しいなあ」
「ほめる? じゃなくて、あのにんげんさん、イルカせんせ、すきって―――」
黒い毛並みの小さい前肢が、オレを指すに至って、オレはやっとここまできた目的を思い出した。なんだこの一人と一匹は! ていうか喋るタヌキって! 忍タヌ? 犬猫ナメクジが使役できるんだから、別に喋ってもいいんだけど、いくら木の葉が忍びの里っていったって、普通のタヌキは、喋らない。喋らないったら喋らない。
オレはずかずかと近寄っていって、本物のイルカ先生の膝の上にちょこんと鎮座している、偽イルカ先生だったらしき小ダヌキの首根っこを引っ掴んだ。きゅう、とタヌキらしからぬ可愛らしき鳴き声がした。
イルカ先生がぎょっとしてオレを見る。
「カカシ先生!? あの、どうかしましたか。三左衛門がなにかいけないことでもしましたか。いかんせんこの子はまだ子どもで、どうか大目にみてやってください。だからその手を離して…」
いやいやいや。
タヌキが喋ってるのはスルーさせといて、子どもだから放免しろって、ちょっと違うんじゃない? イルカ先生ってこんな天然な人だったっけ?
まあ表面上の付き合いであんまり喋ったこともなかったしなあ。
なんて内心首を傾げつつ、オレはにっこりと笑った。
たいして重くも無いタヌキをぶらさげつつ、
「いーえ! 別に悪さなんてなんにもしてませーんよ! ただちょっとした誤解があるので、このタヌ吉に話があるだけです」
「え? 誤解、ですか? この子がいったいなにか」
「いやー、どうも様子が変だと思いました。話してたら誤解してしまったみたいで、様子もおかしいし、走り出すから追いかけてきたんですよ」
オレはタヌ吉の首根っこを持つ手をくるりと回して、そのどんぐりまなこをオレに向けさせる。きょとんとオレを見るタヌは、タヌゆえにちょっと間抜けだ。
「ねー、タヌ吉? さっき言ったこと、間違い。勘違い。分かる? イルカ先生にいわなくていいんだーよ」
というか、絶対言うな、な心意気でにっこり笑ってやったんだけど、所詮タヌ吉。小さな脳みそは、ハテナマークを連発したらしい。
たしっと黒い毛並みの前肢がオレのベストをひっかいた。
「さんざ、タヌ吉、ちがう。さんざ、えもん、ていう。イルカせんせ、ちゃんとさんざぇもん、よんでくれる。いいにんげんさん。おまえ、わるいにんげんさん?」
うーん、タヌキが舌っ足らずに喋っているのをきくと、まるで三歳児と話しているみたいだ。とはいえ腹の下をみると人間にしてみると立派な玉が二個ついてるし、こしゃくな。
オレはため息をつくと、ぽいっとタヌ吉をイルカ先生の膝に返した。
「はいはい、さんざでも三左衛門でもいいから。とにかく、イルカ先生?」
「はい、なんでしょう、カカシ先生」
「話の途中だったんで勘違いしてるんですよ、こいつ。気にしないで下さいね」
「はあ…わかりました。そうします」
ひどーい、とタヌ吉が言っているが、イルカ先生はよしよしと宥めている。やっぱり三歳児対応だ。忍タヌ訓練だとしても、ちょっと甘すぎるし幼すぎるんじゃないかな、とオレは思ったが、余計な口をだすのはやめておいた。
せっかく、このタヌ吉のおかげで、イルカ先生に怒られることもなく済んだんだ。
このちょっとおかしな主従関係にも目を瞑ろう。オレが迷惑こうむるわけじゃないしね。
というわけで、オレは「じゃ」と言い残して、その場を去ったのだった。
2007.9.2