ことのおこりは、午後もすぎた上忍待機室でだった。めずらしく、カカシの顔見知りの上忍たちが多くいて、カカシが腰を落ち着けてからしばらくして、イルカの話題がでたのだ。
 最初に、おもいだしたように言ったのがアンコ。

「そーいえばさ、最近、イルカがなーんか可愛いよねー」
「あらアンコもそう思う? 私もさ、思ってたの。色気っていうのかしらね、ああいうの」
「だね、おいしそーな感じだよね」
「アンコは甘党でしょ」
「ふふん」

 アンコは紅に笑いながら、舌なめずりをする。まるでカエルを狙う蛇のようで怖い。
 べつだんカカシにきかせる気もなかったようだったが、イルカの名前にカカシが反応しないわけがない。いまにも捕って食ってしまいそうなアンコの顔を、無意識のうちにじーっとみていた。

「ん? なによ、カカシ。なんか言いたいことでもあるわけ」
「いや…」

 カカシは考えた。
 はたして、彼女らのいうようにイルカは最近、「可愛い」かったり「色気」があったりするのだろうか。
 このごろはとくにイルカとよく時をすごすが、イルカにそんなことを感じた覚えは無い。ほんとうにイルカが艶めいてきたのなら、まっさきに自分が気づくはずだろう、とカカシは確信をもって考えた。
 だから、素直に言った。


「アンコと紅って目が悪かったんだね」


 と。
 そこから30分ほど、大変だった。なぜか、呆れ果ててどうしようもなく、どうしてやろうかコイツ的な視線を浴びせられ、はては千本が飛んできた。主に紅から。命を狙われるようなことはいったつもりはないのに。
 目が悪かったんだな、と同情までしたのに。
 そして女二人の攻撃がやむと、今度は女たちはぷりぷりと怒り始めた。これも、主に紅が。

「まったく、ただでさえイルカが嫌がらせされる原因がこいつだってのに、当の本人がこれじゃ腹がたつったら」
「だよねー。目ぇつけられて当然だしね。カカシは名が知れ渡ってるもんねえ、あっちにもそっちにも男にも女にも」
「鼻の下のばして人前でイルカに接触するからよ」
「イルカの周りがのん気なやつらばかりであることを祈るばかりなりー」

 いってアンコは巫戯けて宙にむかって祈るような仕草をする。
 無神論者からのありがたい祈りだが、聞き届けてくれる寛容な神がいるのかはカカシは知らない。
 それよりも、聞き捨てなら無いことを紅たちは言った。

「…そのさ、イルカさん、いま、嫌がらせされてるわけ? …俺のせいで」

 すこし弱気な口調になったのは、過去にきいた話で想像できなくもなかったからだ。上忍と中忍が深い仲になったとき、中忍のほうへと妬みと嫉妬が向かうことは珍しいことではない。
 それがイルカ自身で対処できるなら、カカシもサポートぐらいはしよう、と思ってはいたが、紅たちの会話をきいていれば、サポート程度で済むのか不安になった。
 カカシは自分の立場の影響を、すこしは自覚している。
 イルカへと妬みがいくことは想像できたが、それがどの程度か、とは想像していなかった。くわえて上忍であるという以外の、自分の名前の影響など、まぬけな話だが考慮していなかった。
 なにか詳しい話でも知っているのかと期待してきいみたが、返ってきたのは肩を竦めながらのそっけないアンコの返事。

「さあ?」
「―――さあ、って…」

 がくりとカカシは項垂れた。
 こういった話はイルカからは聞けないだろうと、カカシ自身も気にしているだけに、カカシの知らないことを知っているかと期待したのだが。

 カカシも少しならば知っている。
 芽は早いうちに摘むものだと、目立っていたよからぬ輩には一言いって釘をさしたつもりだった。これは紅が知る情報よりも昔の話だ。

 だが、現在の話として、イルカがうける被害がそんなレベルをとおりこして深刻になりそうならば、カカシも対策を考えなければいけない。
 それがどんな対策かといわれればすこし考えてしまうが、とりあえず思いつくところは、カカシが目を光らせ、できればイルカに好意的な知り合いにも目を光らせてもらえれば、それなりに牽制と対処ができそうだとは思うが。
 するとやや離れたところにいたゲンマが話をききつけたのか、コーヒーを片手に近くに座って話にまざってきた。

「イルカっていえば、表立って名はでないがひそかに人気の中忍らしいですよ」

 紅も口をだした。

「そうよね、今のところは、目をつけられてる程度だとおもうわ。はっきりした嫌がらせにはもう一歩かしら。もともと嫌われてるようでもないし、中忍の一部で浮き足立ってる奴がいるぐらいかしらね。でも、いつそれが違う方向に向かうかっていうのは、分からないわね。まあ、イルカにしてみれば、リンチされるのも押し倒されて圧し掛かられるのも、おなじようなものでしょ?」
「でしょ、って…。紅、詳しいね」
「教えてくれる子はたくさんいるわ」

 笑みをうかべる紅は、裏を考えるとすこし怖かったが、ありがたいことはありがたい。情報には変わりない。

「それにイルカが可愛いって話になってるのは最近だけど、けっこう前からイルカについては聞いたことがあったのよね」
「どんなことだよ」
「聞いたときは変なはなしだとおもって忘れてたんだけど、あれってやっぱりそういうことだったんだとおもうわ」
「だから何だよ、あれとかそれとか、よく分かんないよ」
「大したことじゃないわよ。ただイルカっていう中忍がやけにもててるって後輩のくの一から教えてもらったことがあるのよ」
「くの一っ?」

 それは大したことだった。
 おもわず変な声が出てしまった。
 昔、カカシが気にしていたのは男ばかりで、そういえばくの一は考えていなかった。
 落とせない的を落とすのがくの一だ。やめてほしい、心臓に悪い。イルカがくの一に狙われたあげく、女と深い仲になって、カカシから離れていくことは想像したくない未来だ。ゲンマがなぜか納得したように頷いているのが目の端にみえて、さらに胸のあたりがもやもやとした。

「それ、今もって話?」

 少なからず焦りをもって尋ねると、紅はちらっとカカシをみて、唇を悠然としならせた。
 う、とカカシは内心臍を噛んだ。
 失敗した。
 喰いついてはいけないネタに喰いついてしまったようだ。
 案の定、笑みながら

「知りたい?」

 と紅はきいてきた。
 カカシはしばらくためらってから、不承ながら頷いた。危ないネタだろうが気になるのは確かだ。
 すると紅は悠然と唇を開いた。

「ただでは駄目よ」
「どうしてよ」
「だって、その教えてくれた後輩の個人情報もコミだもの」

 ということは、詳しい話をきけると思っていいのだろうか。それとも紅のひっかけなのだろうか。判別は難しい。カカシは上忍のくの一ならばまだ知る手はあるものの、中忍だろうくの一たちの、しかも他の男への恋話とくれば男の自分では収集しにくい。
 だが、紅のこの様子では、頷くことは躊躇われるが。
 しかし、情報は得たい。
 結局カカシは頷いた。
 紅は満足のいった顔で笑んだ。

「じゃあ、ぬ地区に出来た『ゑびす蔵』っていう店を奢りなさい」
「ゑびす蔵? 知らないねえ。食った分は違う形でちゃんと返してもらうよ、俺は」
「あら、飲んだ分は別ね。いいわよ、それで」
「ゑびす蔵は高いですよ、カカシさん」
「ゲンマは黙ってなさい」

 ふう、とカカシはため息をついた。高い情報量になりそうだが、仕方が無いと思うことにした。紅は言うことは厳しいが、約束を違えるようなたちではない。
 そうおもって、「じゃあいつにする?」という言葉は、ところが紅によって阻まれた。紅が、隣に座るアンコへと話をふったのだ。

「今晩とかどうかしら。そうだ、アンコもくれば? イルカも誘ってさ」
「な…っ」
「いいねー。イルカとは一回話ししたいなーと思ってたんだよね」
「何言ってんだよ、ダメ! ダメだよ、あんたみたいなのイルカさんに近づけられるわけないじゃない!」

 おもわず言った本音に、千本がカカシの首すれすれに返ってきた。カカシだから口布も裂けずに避けれたものの、並みの忍びなら皮一枚切れている。恐ろしい女だ。
 だからそんなアンコをイルカに近づけさせるなんてとんでもない!

「だいいち、俺アンコに奢る筋合い、ないし」
「あ、そーいうこというか。このコガネムシ。じゃあいいよ。あんたは紅と二人っきりで飲んでなさいよ。私はイルカと二人っきりで飲もうかなー。心配しなくていいよ。私がちゃあんと、イルカに、あんたは紅と深刻な相談事をしてるから、って伝えといてやるから、まったく、ぜんぜん、心配しなくていいから。ね?」
「…アンコ、お前は酷いやつだ」

 がっくりとカカシは首をたれた。アンコはやるといったらやるだろう。しかも、計らずとも騒ぎを大きくできるタイプの人間だ。アンコがイルカにそんなことを吹き込んだ次の日には、イルカが別れを切り出しても不思議じゃない。

「じゃあいいよ、お前もおいでよ。好きなだけ飲んで食ってくれ。そのかわり、イルカさん苛めたり変なちょっかいかけたりしないでよね。それから、イルカさんが困ってたら助けてやってよね」

 イルカが困っていたら、と続けたのは、先ほどの紅からの話があったからだ。紅はイルカに好意的であるようだから、頼まなくてもイルカに良いようにしてくれるとは思えるが、アンコは微妙なところだ。どうせ奢るなら、約束ぐらい取り付けておきたい。
 アンコはにんまりと笑った。

「おー、いいよいいよ。イルカが困ってたら助けるよ。そんで飲み食いタダね! やった! あそこの甘味、けっこう品揃えいいのよねー。で、イルカは誘っていいわけ?」
「ダメに決まってんでしょー。イルカさんのこと聞くのに、どうやって…―――」

 ふと思いついて、カカシは言葉をきった。
 メシでアンコを釣ってイルカのことを頼めるなら、他のものはどうだろう?
 同じようにメシで釣れるとは思わないが、多少気心のしれたアスマやゲンマなどは、よろしく頼むのほかに酒がつけばなお良い気はする。
 ほかにも繋がりのある知り合いなどにイルカの顔を知ってもらっておけば、いざカカシの居ない任務にでていても、安心のしようもある。
 思いつけば名案のように思えた。

「うん、イルカさん、誘おうか」
「へ? どういう心境の変化よ。いきなり。どうしたわけ」
「別に。ただみんなにイルカさんを知ってもらってても良いかなって思っただけ。よし。紅、アスマは今日は?」
「なんで私に聞くわけ。知ってるけど。夕方には里に着くわ」

 カカシさん善は急げってやつですか、とゲンマが呟いた。

「うん、悪いけど紅の話はまた今度聞かせてよ。今晩、ゲンマはどう?」
「かまいませんよ。相伴預かってもいいんで?」
「いいよ。むしろ来てくれると有難いかな。ほかの奴はどうかなあ」
「アオバとライドウに声をかけておきましょうか。つかまるかは定かじゃありませんが」
「うん。アオバとライドウなら大丈夫かな。俺が全部もつから、イルカさん見に来て、って伝えてくれる」
「了解」

 ゲンマの察しの良さに手伝われて、事がすみやかに進んでいく。

「じゃあイルカにも俺のほうから話をしておきましょうか。たんに飲み会、ってことで」

 少し考えてから、カカシは頷いた。

「そうだね。俺からいうとあとあと大げさになるかもしれないし、ゲンマ、頼まれてくれる?」
「お安い御用で」
「助かる。迎えは俺が行くから、一緒にイルカさんと行くよ。先に食ってていいよ」

 言って、じゃあ予約でもしにいこうかと腰をあげかけたとき、とつぜん罵声がカカシの耳に飛んできた。

「ちょっとー! なに男二人で分かり合ってるわけ!? どーしてイルカを誘う話からアオバとかライドウまで混ざってくんのよ!」

 アンコが眉をつりあげて怒っていた。内心、すぐにでも起爆符がとんできそうな剣幕に汗がでたが、見た目にださずにカカシは言った。

「だからさ、さっき紅が言ってたでしょ? 最近、イルカさんがひそかに目をつけられてるって」
「それは私も言ったわよ」
「で、それが何の関係があるの」
「だから、この際、イルカさんと一緒にお前らや俺が居るところをさ、目をつけてるらしいやつらに見せ付ければ良い牽制になるじゃない。お前らはイルカさんの顔がみれて良いし、俺はイルカさんの安全に保険をかけれて良いし、一挙両得でしょ」

 ね? と小首を傾げればとたんに女二人の協和音で「可愛ぶるな」と文句がとんできたが、文句があるのはカカシの動作だけで、発言のほうにはとくには文句がない様子。
 カカシは目をきゅっと細める。

「じゃあ、今晩六時。ゑびす蔵で予約しとくから。あと、イルカさんにはこっちの事情は内緒の方向でお願いね。あ、紅、ついでにお前が掴んでる怪しい連中にも、話、流しておいてくれない?」
「内緒って…しかも面倒くさいわね」
「―――俺、じつはアスマを兄貴って慕ってる下忍集団の頭をしってるんだけどなあ」

 渋っていた紅の面が、ぐるん! とカカシを向いた。その後ろでは、ブッとゲンマが楊枝を激しく吹き出していた。
 それはそうだ。カカシもこれはとっておきの情報だ。
 アスマを密かに暑苦しく熱烈に慕っているあの集団は、存在さえしらない者のほうが多い。主な活動内容は、アスマの投げ捨てたタバコの吸殻を、灰まで残さず回収することだ。

「…分かったわ、流しといてあげる。そのかわり」
「んー。定時集会の会合場所ぐらいは教えてあげるよ」
「出し惜しみしないでよ」
「俺は奴らに直接的な恨みはないからねー、可哀想でしょー?」

 言うと、紅はしきりに「なにがデショーよ、デショーって可愛ぶるなっていうの! 人事だとおもって。自分だってイルカに…」などと小声で呟いていたが、納得したようで、待機所を出て行った。
 ゲンマもアンコも了解したようで、カカシはアンコの含みのありそうな笑いが気になりはしたものの、予約のために通りへ向かったのだった。




 ――――――そして、冒頭に戻る。






2005.08.30