「あゆっこ村」からそのまま東へ行き、国道47号線に乗る。地図的には、県道28号線 が松尾芭蕉の「奥の細道」ゆかりの街道であり、とりわけ「山刀伐峠(なたぎりとうげ)」はかなり魅力的であるが、今回は見送ることにする。また、鳴子温泉街も楽しそうだし一度行ってみたかったところだが、いつになるか分からぬ次の楽しみにする。
国道47号線から国道457号線の分岐近くにある道の駅は 「あ・ら・伊 達な道の駅」である。(この道の駅の全容については、 道の駅をたずねて何千キロ−道の駅制覇し隊が楽しくてわかりやすい)立ち寄る。車で大変混みあっている。
空いたスペースに滑り込んで中を徘徊するが、とても活気があって、楽しい。気になっている会津若松の 健康ランドに電話する。料金は2,000円だと。OK。今朝のキャンプと同じである。
さて、国道457号線から国道398号線へと乗り継いで築館ICに乗る。築館IC付近では日章旗・チョッパーはんどる・前上方に突き出たカウルの奇形金魚のようなバイク群を初目撃。
淡々と東北自動車道を北上する。移動地図はこちら。平泉は中尊寺へ。駐車料50円と有料だが良心的。そしてきちんと案内してくれる。今日は土曜日であり観光客はますます多い。
拙者の中尊寺関連の知識はNHKの大河ドラマ「炎立つ」とその原作、高橋克彦『炎立つ』から得たものくらいしかない。
まずは土産物屋の下見である。蕎麦屋の比率高し。どうも値段が書いてなかったり、量が不明だったりで、今から坂を上るであろうこの中年の内臓に投入する蕎麦が少なすぎても多すぎても不味くても体調が悪くなるであろうから、食事はしない。みやげ物もどこかで見たような饅頭と干菓子である。ずんだ系のものが目新しいがやや高額である。
もう12時は過ぎていて腹が減っている。減っているが山門をくぐる。
長い登りである。ところどころに八幡堂だ弁慶堂だというお堂がある。いちいち立ち止まって正面まで行くけれど、よほど奇抜な建築でなければどれもこれも同じように見える。
中尊寺本堂に到着。 古いけれども庶民的な雰囲気が好ましい。逆に言うと建物が高くないせいか、あまり「寄せ付けない威厳や荘厳さ」というものがあまりないのだ。大きいものの親しみやすいという感じ。
つぎは
「さみだれの 降り残してや 光堂」
金色堂である。金色堂に入る前に資料館で説明と資料を見学。そして金色堂である。藤原三代(四代)の栄華である。金色堂はこの建物の中に保護されている。金色堂を保護するため、建物の中に移設してあるのだが、これは位置は異なるが頼朝の時代からそうしてあるらしい。
一般に関東以北の歴史はあまり知られておらず、重視もされておらず、教科書にも載っていない。
全面金で覆われた金色堂は間近で見ることができるとはいえ、金閣寺にはスケールにおいて劣ること歴然ではある。
しかし、源頼朝が夷(えびす)の地においてこれにまみえたとき、この文化の力、技能と余裕、生産力の剰余に対しては心底敬意と驚異、脅威とを同時に抱いたに相違ない。
むろん、東北の力は金色堂だけではないのである。
金色堂のあとは白山神社能楽堂(重文)などを見学。
それにしてもあっけなかった中尊寺。
みやげ物屋で欲しかった「いぶりがっこ」を買う。ご存知「たくあん」をいぶったものである。
中尊寺は高台にある。中尊寺の東北部に広がる河川に沿った平野部を眺める。
今日はこれからどうしたものか。