作業所活動による生きがいづくり
社会福祉法人
麦の会理事 木村敏子
はじめに
《麦の会作業所のあゆみ》
1985年卒中友の会である患者会「むぎの会」が結成された。会の活動の中から「働きたい、働く場がほしい」という声が高まり、病院の一室を借りて軽作業や自主活動を行いながら、関わる医療関係者の応援を受けつつ行政との交渉を重ね、1987 年堺市の助成を受けて、中途障害者の作業所である「麦の会共同作業所」が開設された。患者自身が自ら立ち上げた画期的な成果であった。当時はまだ中途障害者という言葉も耳慣れないものであり、地域で適切な通所施設もなかった。
参加者は脳卒中患者中心であったが、障害者制度利用の観点から60 歳までの障害者全般に対象を広げ、現在は多様な障害を持つ人達が70 余名通所している。その内 脳卒中患者の占める割合は68 % である。 現在は地域の人達の協力を得て、作業所として新築した本部と空き家2件を借りて3箇所の作業所で活動している。
1988年に後援会を結成。イベントやバザーを行いながら中途障害者への理解と協力を社会に向けて訴え、作業所への資金援助を行っている。また、地域に根差す作業所を目標に夏祭りなど地域自治会活動に参加したり、地域の小中学校の学外研修や看護学校の研修の場として作業所を解放している。
2003年社会福祉法人開設と同時に、家族会、職員組合を再編成し、新たに通所者自治会を発足させ、運営への参画を目指している。
《作業所の活動内容 》
開所当初は単純な内職(紙袋の紐付け、100円商品の組み立て、パッキングなど)程度であったが、やがて自主製品開発の取り組みに重点を置き、無添加のクッキー類、パウンドケーキ類、廃油石鹸、押し花ハガキや牛乳パック利用の手芸製品、オリジナル注文のタオルやTシャツのスクリーン印刷、環境浄化の為の有効微生物利用製品の各種を手がけている。 自主製品により力が入るのは、販売に向けてより良い製品開発のために創意工夫ができること、自分たちが作った物が商品として評価されてそれが収益を生み出す喜びである。これは他の作業にはない達成感が得られるのである。
さらに、後片付け、大掃除、給食つくり、器具洗浄、家庭菜園の作業等、作業所内ではできるだけ人の手を借りずに身の回りのことは自分でするようにしている。各自が作業の中で片手でも作業しやすい工夫をすることで、結果的にはADL の改善にもつながっている。
その他の活動としては毎月のニュース発行・バス旅行・スポーツ大会・バザー・イベント・福祉関係の催しへの参加・街頭募金・対市交渉・通所者自治会・合同会議などがあり、そこでは活発な意見を交わして誰もが発言できる機会をつくっている。これらの行事をこなすにはかなりのスピードとエネルギーを要するが、集団だからできるという効果が大きい。通所者の主治医から「患者の方が作業所のことばかり話し、忙しい忙しいと言って帰る。人間忙しいうちは元気な証拠」との意見を聞いたことがある。
《作業所活動による効果》
脳血管障害者には肢体不自由に加えて高次機能障害や失語症がともなっている人が多い。退院後、長期間在宅で孤独な生活を続けていると うつ的症状や失語症、肢体の機能低下につながるようである。作業所入所当初の人や長期欠席の人にそれを感じることがある。
通所者が作業所に通ってから自分が変化したと思うことを以下に挙げた。
・自分の中で人と地域を見る目が変わった。同じ障害をもつ者同士で気軽に話ができるようになった。
・過去を振り返ることをやめた。
・社会に積極的に参加できるようになり、将棋クラブにも参加するようになった。
・作業中は働いているという実感がある。
・毎日の通所で 生活のリズムができ、張りあいもできて元気になった。
・いろんな社会福祉サービスのことも教えてもらえて助かった。
・作業の中で、体をより上手に使えるようになった。
・作業所で働くことで、受動的なリハビリから、自分からするという気持ちになれ、失語症であるが左手での筆記やワープロができるようになり、さらに嚥下障害も自分でストローや吸い飲みを携帯して克服し、外出できるようになった。
・以前は障害を負った姿を写真に撮られるのがいやだったが、みんなと一緒なら平気になった。
同じ痛みを持つ仲間同士という共感から安心感や相手を思いやる優しさが生まれ、一緒に頑張ろうという積極性が引き出されるようである。作業所に見学に来られた人たちは異口同音に 明るい雰囲気にびっくりしたと言われる。失語症の人も慣れると支障なく会話ができ、筆談を交えて冗談にも加わっている。
後援会主催のイベントでは通所者からのアイディアで若者からお年寄りまで、障害を越えて誰もが楽しめる「Lets Dance Together」 を成功させた。街頭募金では自分の障害を克服した記録を載せたビラを元気よく手渡すとまず拒否する人はいない。誰もがなり得る病気や事故。自分の体験を通して社会に一石を投じる役割を自覚すると積極的になれる。
《地域生活を整えるための課題》
主に医療面について。福祉職員の意見では、退院後すぐの患者を預かるのは不安が大きい。医療機関は退院後の生活環境について注意を払い、福祉サービスや介護保険などの利用を具体的に紹介、指導してあげてほしい。
日常生活でのリハビリの場でもある作業所にもアドバイスがほしい。
医療機関は退院後の患者の生活環境を理解して、患者がより安全に快適に生活できるように、家族や福祉サービスなど患者に関わる人達との連携を深めてほしい。作業中に頭痛やめまいなどを訴えても医師との連絡がつかず病院へ搬送することもある。
《通所者実態調査から見えてきた課題》
中途障害者の問題は、当事者が生計中心者であり、家族が家計を補うために時間的余裕もなく、運動の遅れが制度の遅れとなっている。堺市においては、脳卒中患者の実態が不明であったので、当作業所で独自の調査を行うこととし現在実施中である。中間報告ではあるが次のようなことが挙げられる。
・脳卒中になる誘因としては体質に加えて過重労働、健康管理の不徹底さがみえる。
・脳卒中で労災認定が適用されることは少ない。
・若年脳卒中患者の再就職の道が閉ざされている。(両手が動くように見えても精密な仕事ができない、集中持続できない、疲れやすい、スピードについて行けない)
・退院後の不安が強い(自宅での生活、リハビリ、社会参加、再就職、経済面)
・福祉制度の利用の仕方がわからない。退院時に困らないようにしてほしい。
・障害発生後に家族構成の変化や転居を余儀なくされた例が多く見られた。(住居環境の不備、通院通所の便宜、家庭崩壊、その他)
・独居の不安が多い。介護保険利用で多少は解消されているが限界がある(転倒、生活維持、孤独死)。家族同居の場合も介護者の高齢化に伴い健康不安がある。
・再発や事故による障害悪化への不安・経済的問題(低年金者が入退院を繰り返すと生活困窮に陥る)
・若年者にとっては親から離れての生活不安、将来の不安が大きく占める。
《作業所運営とニーズからみた課題》
・本来の地域ケアの意味あいからは重度な人こそ戸外へ出る機会をつくり、作業所にも迎え入れたいが、人員や設備が不十分なため、現状は 身辺自立可能な人のみを受け入れている。
・小規模法人制度では公的補助で運営を賄うには限界がある。一般法人施設への発展が必要であるが、資金不足である。
・中途障害者に向けての支援や制度が少ないために地域で自分に合ったサービスを選ぶことが出来ない。当作業所も地域全体から通所可能な場所を考慮して設置したために 本人の機能に適した作業や希望に応じきれない。
・年齢や障害に応じた就労の斡旋、就労の場の提供。作業所の収入は家計を補うほどのものではないので 、せめて月数万円の収入を目標としたい。
・中途障害者全般に向けた医療とリハビリの学習と連携。脳卒中者は実にまじめにリハビリ通院をしているが、作業所や家でできるリハビリを知りたい。作業後の疲れも癒したい。
・障害を負った人に対して、医療から福祉へのわかりやすい情報提供を望む。糖尿病、テンカン、心臓病、腎臓病、アル中等本人からの情報だけでは不確かで対応に困ることがある。
・単身障害者が安心して暮らせる地域づくりと住宅環境の整備が急務。住居での転倒や死亡の発見が数日後になった例が数件ある。
《まとめ》
作業所に通う脳卒中者の生活と意識の実態からみると、何らかの後遺症を伴って退院することになるのでその後の生活に非常に不安感と孤独感があると考えられる。心身が永い時間にわたると努力によって治癒していくその過程において、家族以外に支援する多くの人たちの関わりが必要条件となる。
地域の中で自分もその住人の一人であるという一体感や何らかの役割が与えられることによって 人は生きがいを見いだすのである。当作業所中では当番や自治会の役員、旅行の下見、名刺を持っての自主製品の営業回り、また代表者には法人の理事にもなってもらっている。役割に対して誰も拒否する人はいない。
一患者に関わる機関やその立場にある人達が その人を総合的に見られるようなシステムづくりが必要と思われる。不安になった時、困った時にすぐに相談に行ける場所や人が居り、痛みを分かち合える仲間が居ると落ち着きを取り戻し、今の自分を受容出来るようになる。 やがて自分の中からエネルギーが湧き出し、いつしか人を励ます立場に変わっている。元気になった通所者に若い職員が叱咤激励されているほほえましい光景もみられる。
作業所は障害者が主体であるから特別な見方はしない。不自由な所を他者が補えば普通の生活意識で過ごせるので、あまり障害を意識していないようである。ひとたび家に戻ると不自由さと孤独の生活に入ることになる。ややもすると隣の住人が分からない地域において、障害者が生き生きと生活出来るためには、生活を補う人々の関わりが欠かせない。そのためにも医療、福祉、地域のボランティア等のきめ細かな連携がより必要だと思われる。
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