母の日記

 静江さんがいなくなった!?
                   
       木村敏子

 私は整骨院に、夫と引継ぎ、11時から10分の間、静江さんは確かに部屋にいた。「コタツ入れましょうか」「いや結構です」と交わし、夫が早い食事をしていたときか・・・
彼は静江さんに声をかけ、昼寝は車の中(冬は一番暖かい)。12時にヘルパーさんがやって来たときはすでに居なかった。それにしても不思議な出来事である。後で静江さん、あの窓のしたの針金はあぶなかったねー」まさかあの植え込みの針金ガードをくぐって外出したとは・・わざわざ靴をもって・・・・
それから4時間の間、それぞれがどんな気持ちで探し回ったか、・・・折しも冬型気候に変わり、風と雨がちらついてきた。静江さんの服装を推し量ってみると、その日に限り寝まきにベスト。3時間経過したところで110番。
管轄警部がやってきて、とても実感して「実は私の父親も。その辺一回りしてみます」。
以前の経験と違ってはじめて警察官に親近感をもった。
 その間、しかたがないと思いながらも、このままわからなかったら・・、トイレはどうしているんだろうとか。あの淋しがりやの、寒がりやの静江さんどんな思いでいま居るのだろうかと、おもえばきりがない。救急車が通れば、もしやと思い、電話が鳴れば、ドキッとし、やっぱり生きたここちがしない。
 経過4時間、連絡の電話。「南署ですが、それらしき人をお預かりしています」
温かいお茶、上着3枚、証拠写真と証明書、持参して二人で迎えにいった。
ソファに座り毛布をかけて、泰然自若の静江さんの姿が目に飛び込んできた。
 土曜日の午後、誰も用事の人は居ない。南署も退屈そうな空気が感じる中、10人ぐらいの職員の目が一斉に迎えてくれた。「分かりますわ大変なの、実は我が身内にも」こんな声まで聞こえてきた。
 本人は何の不自由もなかった顔、夫と何度も礼を言って帰ろうとしても、例のごとく腰が上がらない。
「じゃぁホテル南署にお泊まりする
?     」「ああ、いやいや」
やっと腰をあげる。「もう警察にお世話になるのやめようね」。「わたし警察なんていやだよ」警察「ここ警察ですよ」。全員の笑声。なんでここに来てまで癒し系の存在なのか・・。身内には血の凍る思いをさせて。車の中でトイレを聞けば、「ふん、ちゃんとしたよ、でもあそこのトイレは汚かったねー、狭くてね、すそが汚れたかもしれないよ。」「だけどサービスのわるいとこだねー、毛布は貸してくれたけど、お茶も食事もでないんだよ、それにね、わたしのことを根掘り葉掘り聞くんだよ、お金もっているかとかね、だから言ってやったの、デイサービスにお金を持っていったらいけないことになっているから何にも持っていないよといってやったのよ。全く私のお金を狙っているんだから。」                                       
その経過といえば聞けば恐ろしい。26号線という車が一方で3斜線の行きかう道路で最も交通量の激しい車線をフラフラ。ある若者が歩道に誘導し、困っているところに、パトロール、保護となった次第。なんとついてる人なのか。
 怒る余裕もなく、途中でレストランにより、定食(寿司、天ぷら、そば、茶碗蒸し)をぺろりとたいらげた。家に帰って風呂に入り、「ああ極楽、やっぱり風呂は気持ちがいいね」。と寝床へ。無事に終わった我々は言葉もなく夫は黙々と明日に向けておでんづくりを、私はテレビも消して癒しのビールをあおるだけ。              
ああ、これが親孝行ということなのか・・・・・        

                         「母の日記」より

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