夕暮れ時のブラス城、 サロンでは職務を終えたクリスがソファに腰掛けている。 いつもの騎士としてのきりりとした表情は消え失せて、”普段着”ともいうべきリラックスしたものになっていた。 そしてそこへいつものようにサロメがティーサーバーの一式を運んでくる。 それを見てクリスの表情がほころぶ。 「本当にクリス様は紅茶がお好きですな」 クリスの喜ぶ様がうれしくて、サロメは微笑む。 「…ふふ、そうだな…」 まさか紅茶以上に”サロメが紅茶を淹れる”、ということがクリスのお気に入りなのだとは思いもよらないサロメである。 ちょっと、ちがうんだけどな と思いながらも、クリスはサロメの言葉に相槌を打つ。 「では…少し、お待ちください」 そう言ってサロメはテキパキと紅茶を淹れる用意をはじめる。 「ああ。ありがとう。」 クリスはサロメの手さばきを感心しながら眺める。 職務を終えた後に何も考えずにこうやって見ていることがとても好きだった。 ほんとうに、 何度見ても飽きないものだな… 茶葉が湯の中を舞い、芳香が漂う。 その香りに鼻腔をくすぐられながらそんなことを思う。 しばしの心地よい沈黙の後… 「クリス様、明日はお茶の時間を開けておいてください」 サロメがふと思い出したようにクリスに話す。 「ん?いつもどおり仕事が終わったらお茶にするのではないのか?」 クリスは首をかしげる。 このお茶の時間は仕事を終えた後の休息に、とよほどの急務や出張などがない限りは設けられ、 時にはルイスたちや他の騎士達も交じったりと、 紅茶に目がないクリス以外にも楽しみにしているものも多かった。 それゆえクリスの疑問は至極当然のものだった。 「まあ、そうなのですが…。」 と、語尾をにごらせ、少し言いにくそうにするサロメである。 それを見てクリスが思案する。 「何か、………」 何かあっただろうかと考え、そしてはたと気づく。 「…あっ。」 そういえば… 明日はホワイトデー わたしはサロメに手作りのチョコを渡したんだった…… ”義理”という名目で渡したのだけれど… そのときのことを思い起こすと自然と頬が赤くなってしまうクリスである。 それはサロメも同じで、 思い出しては、うろたえてテレまくるという 傍から見ればそれは気味の悪いものだったに違いない行動を、 今まで幾度となく繰り返している。 そして、今現在二人して顔を赤くしてうつむいているのである。 「…それで、ですね…」 沈黙を破ったのはサロメだった。 「ささやかではありますがお礼の品をと考えておりますのでよろしければそのときに、と」 「あ、うん。わかった。」 小さく頷いて、サロメの提案を快諾するクリスであった。 「ありがとうございます。」 サロメが軽く礼をする。 「では明日は早めに仕事を切りあげなくてはなv」 せっかくのホワイトデーである、楽しまなければ損とばかりに軽やかな口調でクリスが話す。 「そうですな。今日中に片付く仕事は私が片付けておきましょう」 サロメもそれに同意する。 一見、仕事第一に見えるサロメだがクリスと共にすごす時間に比べると仕事は二の次のようである。 「お前にばかりさせられない。私も手伝うよ。」 当然のように申し出るクリス。 「構いませんよ。クリス様はお休みになってください。」 そしてまた、当然のようにクリスを気遣うサロメ。 「そうはいかない。さあ何をすればいい?」 クリスはすっかりやる気で今にも立ち上がらん勢いである。 サロメはそんなクリスの気遣いに心から感謝する。 「ありがとうございます。 ……ですが、クリス様…。」 「何だ?」 「とりあえずは今おいれした紅茶を楽しみませんか?」 サロメの進言はもっともで、 目の前には香り立つ紅茶。これを放って置くのはあまりにももったいない。 「あ、ああ。そ、そうだな」 少しでも仕事を片付けたいとはやる気持ちを抑えつつ、クリスは今一度いすに深く腰掛ける。 そして ようやく本日のティータイムとなった。 そして翌日、ホワイトデー。 クリスは何となくそわそわして仕事に身が入らない。 サロメは一見するといつもどおり仕事をこなしているようだが、 時折同じ書類ばかりに目を通してはあわてて次の書類へとりかかる …といういつもらしからぬ仕事振りである。 長い長い、職務の時間が終わり、ようやく鐘が定時を告げる。 「クリス様それではボクは失礼しますね。」 「あ?…ああ。ご苦労様。」 察しのいいルイスがクリスの執務室を後にする。 仕事が終わると、いつもはすぐにサロンに向かうのだが、今日のクリスはそうしなかった。 しかし用事があるというわけではなく、所在無げに部屋のなかをうろうろしては 汚れてもいないテーブルの上を片付けてみたり、花瓶の位置を整えたりしている。 もう、遅いな!!一体何時だと… 余裕なところをみせたいという女心といったところなのだろうが、 ちょっと焦らすつもりがすっかり焦らされているクリスである。 数分の後 コンコン 「クリス様」 ノックと共にクリスを呼ぶ声がする。 クリスは慌てていすに腰掛け、コホンと咳払いをしたのち、 「ど、どうぞ」 と応答した。 その答えを確認し、サロメが部屋へと入ってくる。 「お茶の用意ができましたが?」 「う、うん。…今日はここでもらおうかな。」 「ではお持ちいたしましょう」 「これは…」 紅茶と共に差し出されたのは様々な種類のクッキーであった。 それはもう美味しそうである。 「ええ、お口に合いますかどうか。」 紅茶をいれ終わり、サロメはクリスの向かいへと腰掛ける。 「作ってくれたのか?」 料理はたしなみと言っていたがまさか菓子まで、と驚くクリス。 「そういうことになりますな、あまり自身はありませんが…」 その言葉から、自分のためになれぬ菓子作りをしたのだということが伺える。 毎日、仕事で忙しいのにその合間を縫って… クリスはサロメの心遣いに胸が暖かくなる。 「ではありがたくいただくよ。」 クリスはやわらかく微笑み、クッキーの山に手を伸ばす。 そして、その微笑みを見ることができただけで既に大満足のサロメである。 欲を言えば、さらに自分の作ったクッキーの味が気に入ってもらえたらもう言うことなしである。 サロメはじっとクリスがクッキーを口に運ぶさまをみつめる。 「ん!おいしい」 目を輝かせ、サロメを見るクリス。 「そうですか。」 ほんとうによかった… サロメの胸に安堵とうれしさが広がる。 「サロメも食べてみる?」 ふいにクリスが持ちかける 「そうですな…では失礼して」 そう言って、サロメは手を伸ばしクッキーの山から一枚を掴む。 しかし、 クリスはその手を押さえて止める。 「クリス様?」 一体何を…? 「”味見”…だ」 クリスはサロメをじっと見つめる。 その言葉に1ヶ月前の出来事が思い起こされて その眼差しに、クリスの言わんとしていることがわかってしまい… サロメは言葉をなくし、手にしたクッキーを落としてしまう、 そして、ぱたぱたとクッキーの山が崩れる音だけが妙に耳に入る。 一欠片のクッキーを口にして、クリスがそっと目を伏せる。 そして つかの間の逡巡の後 目を閉じているクリスの、僅かばかり震えているかのごとく見えるその唇に触れるように サロメはそっと”味見”をした。 「どう、だ?」 高鳴る鼓動を抑えつつ、クリスはサロメに聞く。 「少し、甘く作りすぎましたかな…」 口許に手をやり、サロメは分析する。 「そうだったか?」 ちょうどいい甘さだと思ったけど… と首をひねるクリス。 「自分で味見していたときはそうでもなかったのですが」 「え?」 「味見の仕方が…その、甘かったようですな…」 「なっ、なっ……」 自分から誘っておきながらいざサロメから口にされると自分のした行動に赤面し、言葉に窮するクリスである とてもとても甘い味だったけれど… 「まあ、癖になるような味かもしれませんな」 クリスに聞かせるつもりはなかったがつい思っていたことが口に出てしまった。 そんな言葉を聞かされて、クリスが黙っているわけはない。 「もっと…味見したいのか?」 クリスはテーブルに頬杖をついて、誘うような不敵な笑みを浮かべてみせる。 「え、あ…いえ…その」 今度はサロメのほうがしどろもどろになってしまう。 ともあれ、二人にとってはチョコよりもクッキーよりも甘い甘いバレンタインデーとホワイトデーとなった。 |
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