ジュン君救済企画(前編)


「……なぁ、マジでいいのか?」

 店内に入るなり、リョーコが自分のスーツの襟を持ち上げながらそう言った。

「正装してるじゃない。だったら、かまわないはずだよ」

「いや、かまわないとかの問題じゃなくてだな……パンツスタイルだぜ?」

 リョーコはそう言うと、やや余り部分の広いスラックスをつまんでみせた。

「ドレスで入りたいんなら、何か見繕う?」

 ジュンにそう言われて、リョーコは顔を赤くしながら、両手を顔の前で振った。

「じょ、冗談じゃねぇ。オレはその……お前がいいんなら、かまわねーけどな」

「だったら、そのままでいいよ。リョーコさんらしいじゃない」

「オレらしい?」

 やや寂しそうな表情を見せて呟いたリョーコに、ジュンが追い討ちをかけた。

「無理して男らしくするところがさ」

「へ?」

 気が抜けたように、間抜けな表情を見せているリョーコに背を向け、ジュンは近づいて来たウェイターに、
自分の名前を告げた。
 ウェイターは名前を確認すると、二人を予約席へと案内し始めた。

 ジュンがウェイターの後ろを歩き出してすぐ、リョーコは慌ててジュンの後ろを付いて行った。

「……高そうだな」

「これくらいの給料はもらってるよ」

 無遠慮に店内の装飾などを眺め回すリョーコに、ジュンは軽くそう言った。
 無論、ジュンとリョーコの給料では、実際の階級差以上の開きがある。それは、ひとえに二人の上役
からの評価の差であった。

 席についた二人は、ジュンにメニューの選定を任せ、リョーコは窓の外へと視線を向けた。
 窓一面に広がる夜景を見て、リョーコの顔に色気が宿る。

 ジュンが何も言わずにその色気を堪能していると、リョーコが気がついたかのように正面に向き直った。

「誕生日、おめでとう」

「ありがとう」

「まぁ、その……プレゼントだ。いろいろ聞いてみたんだが、コレと言ってなかったんでな」

 そう言って上着のポケットから飾りのない包みを取り出したリョーコは、頬を赤く染めながら、包みを
ジュンに渡した。

 微笑ながらそれを受け取ったジュンは、目顔で開けていいのかを尋ねた。

「あぁ、開けてくれ」

「じゃ、遠慮なく―――これは……」

 プレゼントの中身を見たジュンは、言葉を失った。

「その、なんだ。いつもお前が大変そうなんでな……コイツでリラックスというか……」

 ブツブツと呟くように言い訳を始めたリョーコの言葉を遮るように、ジュンは微笑んだ。

「ありがとう、リョーコさん。付き合ってもらった上に、プレゼントまで用意してくれて」

「あ、いや、気にすんな」

 ジュン笑顔に慌てて言葉を繋いだリョーコ。その顔は、今にも火が飛び出るほどに赤かった。

 

 

 食事が始まると、リョーコも普段のペースを取り戻したのか、やや慣れない料理に舌鼓を打ちながら、
ジュンとの会食を楽しんだ。

「……しかしなぁ、いつもこんなトコで飯食ってんのか?」

 ワインを口に運びながら、リョーコはそう尋ねた。

「まさか。たまに来る程度だよ。いつもいつもこんなところで食べれる程、給料はないからね」

 同じくワイングラスを軽やかに傾けて、ジュンが答えた。
 いつもは存在感のあるリョーコが霞んで見えるほど、ジュンの存在は輝いていた。
 リョーコにも、それは肌で感じ取れていた。

「なんか、場違いだな、オレ」

「このレストランで、終わりじゃないよね?」

 吐息をついたリョーコに、ジュンが食べる手を止めて尋ねた。

「ん? あぁ。今日は一日中付き合うぜ」

「よかった。それからさ、全然場違いじゃないよ、リョーコさん。輝いて見えるもの」

「オレは逆に浮いてるように感じるけどな」

「ドレスを着たリョーコさんも見てみたい……なんて言ったら、怒られるかな」

「バーカ、当然だろ……と、言いたいところだけどな、いいぜ、別に」

「えッ?」

 最後には消え入りそうな声で答えたリョーコは、その恥かしさから逃れるためか、目の前に残っている
料理に専念し始めた。
 そんなリョーコを見て、ジュンは元々優しい顔の、額の力を抜いた。


 食事を終えて外に出た二人は、ジュンの提案で歩くことにした。

「別に歩かなくても、タクシー代くらいはあるぜ?」

「何言ってるの。少しは歩いて酔いを覚まさなきゃ」

「ま、いいけどな」

 ジュンの言葉にも一理あると感じたリョーコは、ジュンの後に続いて歩き始めた。
 ワインで火照った顔に、夜風は心地よい。
 リョーコはいつの間にか、言われるままにジュンの後ろを歩いていた。

「……リョーコさん、こっち」

「何だよ、一体」

「ほら、こっち、こっち」

 ジュンに手を引かれるようにしてリョーコが入った店は、婦人服専門のブティックだった。

「おい、どういうことだよ」

「お返し。さっき、プレゼントもらったからね」

「いや、あれは誕生日だからでだな……」

「つべこべ言わないでよ。ま、ドレス姿のリョーコさんが見たいだけなんだけどね」

 ジュンがそう言って微笑んだとき、丁度、店員が二人に声を掛けた。

「いらっしゃいませ、アオイ様」

「やぁ。この女性に似合いそうなドレス、ある?」

「おいッ」

 リョーコの声を無視してリョーコの体を眺め回した店員は、ジュンの方を向いた。

「とてもお似合いのスーツですけど」

「ドレス姿を見たいんだよ。用意できる?」

「そうですねぇ……あぁ、いいのがあります。しばらくお待ち下さい」

 一旦奥に引っ込んだ店員が、一着のドレスを手にして戻って来た。

「こちらはいかがでしょう?」

「うーん……いいと思うな。リョーコさん、試着して見せてよ」

「え? オレがこのドレスを?」

「他に誰が着るの?」

「いや、それは……おいッ」

 リョーコの言葉を無視して、店員がリョーコを試着室に、ドレスと一緒に閉じ込めた。
 試着室の中に閉じ込められたリョーコは、溜息をついて鏡に映る自分に向かって話し掛けた。

「なぁ……これ、着るのか?」

 

 紅いドレスを来たリョーコが試着室のカーテンを開くと、店員がハッとして息を飲んだ。

 まるでリョーコの為に作られたドレスのように、ドレスはピッタリとリョーコの身体に吸い付いている。
そればかりでなく、女性のラインが控えめながらも主張され、スレンダーなリョーコの魅力をさらに
引き出していた。

「……うわぁ、これほどとは」

「見てんなよ」

 リョーコが居心地悪そうに髪に手をやると、ようやく正気に戻った店員がジュンに感想を求めた。

「正直に言うと、さっきとは別人みたい」

「オレも、そう思ったよ」

 リョーコは素っ気無く答えたが、一人で着替え終わって鏡を見た時に、自分の頬に手を当てて確認する
ほど、その姿に驚いていた。

「……いつまで見てんだよ」

 やや不機嫌そうにそう言ったリョーコを微笑で封じておいて、ジュンは代金を店員に支払った。

 店員がすぐさま値札を外す。

 リョーコが、若干の恥かしさを隠しながら、ジュンの隣に立つ。
 元々が軍屈指の優男のジュンに、スレンダーで女らしい体形のリョーコ。
 二人が並び立つ姿は、絵画の一シーンよりも美的感覚に溢れていた。

 

 

「……サンキュな、このドレス」

 店をでたリョーコは、ドレスの裾を気にしながら、ジュンに礼を述べた。

「ドレスも嬉しがってるよ。ここまで似合う人に着られてるんだから」

 ジュンの言葉に、リョーコが珍しくはにかんだ表情を見せる。

「今、ちょっと後悔してるぜ。……メイク、してくりゃよかった」

「そのままのリョーコさんが好きだよ」

「え?」

 リョーコが思わず振り返ったジュンの顔は、赤かった。

「……オレ、自信もっていいのかな」

「どうして?」

「いやな、オレだって一応女だし、いろいろ噂は聞くんだよ。その、お前がどういう風に見られてるとかさ」

「それで?」

「バレンタインの時もさ、お前に本命を渡すって奴が少なくなかったろ。まぁ、オレはそんなこと全然関係
 なかったから、話してくれたんだけどさ。やっぱ、顔はいいし、将来有望だし、狙い目なんだとよ」

 リョーコの口調が、ジュンを喜ばせた。
 ナデシコにいた時のリョーコを、思い出させる口調だったのだ。

「そんな僕に誘われたから、自信が持てる?」

「……」

「違うと思うな。ここで誤魔化してたら、リョーコさんの輝きは取り戻せないよ」

「俺の、輝き?」

「リョーコさんが、本当のリョーコさんでいられればそれでいいんだよ。誰にも支配されない、誰も支配しない。
 自分が輝いていられたら、それでいいと思わない?」

「……」

 ジュンの問いかけに、リョーコは沈黙でもって答えた。

 しばらくそのまま歩いて、ジュンが地下への階段の前で立ち止まる。

「僕は、輝いている女性が素敵だと思う」

「……オレ、無理してたか?」

「多分。僕は、ナデシコにいた時のリョーコさんと、今のリョーコさんしか知らないから」

「ナデシコにいた時のオレは、マジでよかったぜ」

 リョーコの表情を見て、ジュンが微笑んだ。

「多分、一番輝いてたよ。ヒカルもイズミもいたしな。一番バカやってたよ。何でもできた。アイツラと
 一緒なら、どんなことでもできる。いや、やってたんだよな、実際に」

「随分、苦労させられたけどね」

「ハハハ、そうだよな。苦情処理係クン」

 リョーコが笑う。
 カラッとした笑い声が、地下に反響して二人を包んだ。

「ハハハッ……ハハッ…ハッ、オレ、何してたんだろ」

「探してたんだよ、きっと。一人で歩くための自分を」

「そう、なのかな。ヒカルもイズミもいねーけど、オレはオレだもんな」

 リョーコが、スッとジュンの手を掴んだ。

「アオイ、付き合えよ。いい店知ってんだ」

 リョーコが覗き込むようにしてジュンの顔を覗き込む。

「お付き合いしますよ」