ジュン君救済企画(後編)


「―――ここだぜ。―――オヤジッ、奥借りっぞ」

「リョーコちゃんか。久しぶりだねぇ。つまみは何がいいんだい?」

「オレたちのボトル、まだ残ってるか?」

「あぁ! ツマミはシメサバでいいかい?」

「んにゃ。チーズにしてくれや」

「はいよ」

 リョーコはマスターと注文のやり取りを交わすと、やや呆気にとられていたジュンを奥の席へ引っ張り込んだ。

 マスターがボトルとツマミを持って現れると、リョーコはマスターをさっさと追い返して、ジュンの目の前に
置いたグラスに、なみなみとウイスキーを注いだ。

「ちっと古いけど、いいウイスキーなんだぜ」

「うん、そうみたいだね」

「だろ?」

 吹っ切れたように明るくなったリョーコは、一頻りこの店のことを話し終えると、襟を正した。

「……オレが、テンカワのことを好きだったのは知ってるだろ?」

「まぁ、ね」

「それが艦長のヤツとどっか行っちまった。まぁ、失恋は初めてじゃなかったけどな。その後で、イズミが
 消えた。イズミが消えてすぐ、ヒカルが漫画家になった」

「みんな、新しい自分を見つけた」

「だろうな。でも、オレには戦いしかなかった。戦うことしか知らない。戦うことしか出来ない。だから、オレは
 軍に残った」

「そう、思いたかった?」

「……あぁ。オレは、戦うことが楽しかったと勘違いしてたのかもな。本当は、アイツラと一緒にいることの方が
 楽しかったのにな」

「それは、正しくて、間違ってるよ」

「どこがだ?」

「僕は闘ってるリョーコさんしか知らない。それに、好きじゃなきゃ、戦い続けられないよ」

 リョーコがグラスを煽った。ジュンがすぐにウイスキーを注ぐ。

「何でだろうな……何で艦長は、お前を振ったんだ?」

 リョーコの言葉が、一瞬だけジュンを硬直させた。

「別に。僕よりもテンカワがよかった。それだけだよ」

「そうか? オレはお前の方がいい男だと思うけどな」

 リョーコの言葉は、ジュンの微笑みを消した。

「ハン、さすがのお前も、艦長のことはタブーか」

「……タブーじゃないよ。ただ、少し思い出しただけ」

 ジュンの反論は、アルコールの回ったリョーコの癪に触った。
 ボトルを叩き付け、その切っ先をジュンに突きつけるリョーコ。

「どうしてお前はそうなんだよッ。お前は何故、軍に残った? お前だって夢があったんだろう?何故追わ
 なかったんだッ? お前なら、別の道でも成功できたハズだ!」

「僕の仕事が軍にあったから」

「どこにだッ? 艦長の尻拭いかッ?」

「僕の仕事は、みんなの夢を守ること。ナデシコを離れるしかなかったみんなの夢を、僕は守らなきゃならない。
 みんなが考えている程、軍は甘くないよ。その為に、僕は軍に残った」

 リョーコには、ジュンの言葉を納得する気持ちはなかった。ウイスキーを煽り、顔をジュンへ近づける。

「何故、お前がしなくちゃならないッ」

「僕しか出来ないんだ。軍人の家の出で、成績優秀者。僕以外に、誰が上層部に潜り込める?」

「ルリなら、ルリなら可能だろッ?」

「だから、僕とルリちゃんは軍に残った。正直言うと、リョーコさんが残ったのは意外だったんだ。僕たち
 以外には、辛い思いをして欲しくなかった」


「―――アオイさん、話があります」

「何だい、ルリちゃん」

「私も、軍に残ります」

「ルリちゃん……どうして?」

「アオイさんだけに、残務処理は押し付けられませんから。私の仕事です」

 そう言ったルリの頭の上に手を置き、ジュンは首を横に振った。

「さすがルリちゃん。気付いてたんだね。でも、大丈夫。僕は弱くないよ」

「バカです、アオイさん……」

 いつもと違う「バカ」を聞いたジュンは、ルリの感情を見たような気がして、今までにもこのルリの感情を
見ていたアキトに嫉妬した。

「……それじゃ、待ってるよ。ルリちゃんにはまだ、与えられた時間を楽しむ義務があるんだ」

「義務、ですか?」

「そう、義務。僕はその義務を果たし終えているんだ。だから、戦わなきゃ」

「……私、絶対戻ります」

 ルリの真っ直ぐな瞳を見つめ返して、ジュンは頷いてみせた。

 ジュンの手がルリを離れ、ルリがジュンに背を向けて歩き出した。

 いつか、再び同じ戦場に立つまでの別れ。ジュンが環境を整える猶予期間。
 ルリは必ずやって来る。それまでに、ジュンは環境を整えなければならない。

 


「……バカなッ。何で、ルリとお前だけがッ」

「対抗できるのは僕達だけだ。人脈を使わなければならない派閥で戦えるのは、僕達だけだった」

「エリナやアカツキに任せれば」

「あの人達には、ネルガルを背負う義務があります」

「だったら、何でオレ達に言わなかったッ?」

「言えば、きっと残るから。それは、障害にしかならない」

 リョーコの手が震えた。

「輝きの消えたリョーコさんは見たくなかった。みんなにしてもそうです。輝きを消さない為に、僕は残った。
 それが僕の軍に残った理由」

 リョーコの手から、グラスが離れた。

 派手な音を立てて、ウイスキーの匂いが立ち上る。

 立ち上がったリョーコの手が、ジュンの頬を捉えた。

「……バカ」

「ンッ」

 リョーコの唇が、ジュンの唇を塞いでいた。

「バカだぜ、お前。何でオレに一言言わない…」

「言えばきっと、こうなるから」

「あぁ、オレも一枚噛む」

「だから、言いたくなかった」

「敵さえみえりゃ、戦える。オレを信じろ」

「……今、リョーコさんの背後は誰が守るんです? 僕には、余裕はない」

 共に戦って来た仲間はいない。リョーコの背後を守る者は、誰一人としていない。

「……お前の背後は、誰が守ってんだ?」

「ナデシコ全員の想い」

「誰か一人に守られるのも、いいもんだぜ?」

 二人の間を沈黙が流れる。

「……オレじゃ、頼りないのか?」

「……辛いよ」

「気にすんなよ、そこは。無茶は今までもして来てる」

「……僕は勘違いが多いかもしれないよ?」

「知ってるよ」

「僕は―――」

 

「お前のことを知りたい。オレのことを教えたい。それで、足りないか?」

「……反則かな」

 

「オレはシンデレラじゃない。魔法はとけないさ」

「リョーコさん……」

「リョーコでいい。な、ジュン……」

 


 翌日、出勤したリョーコの机には、何通ものハガキがあった。

「抜け駆け」 「酷いです、先輩」 「やるこたやるんですね」

 それを見たリョーコは、リョーコの方を見ようともしない部下に向けて、意地の悪い笑みを見せた。

「ほぉ……いい度胸だな、テメェたち」

 

 リョーコの輝きは、戦っている時しか見られない。

 乱暴でも、粗暴でもない。ただ、誰かを守っているということが、彼女を輝かせるのだろう。

 

「始末書なんてクソクラエだ!!」

 

<了>