これから始まるだけだ!
(前編)


 見上げる必要がないほど遠くに小さく見える司令部の建物。
 今まで彼が目にしてきたような、入り口からすぐそばにある司令部の建物とはまったくの別物である。
 さらには絶えず離発着を繰り返す飛行機の数は、彼が今まで見てきた飛行機の数を全て足したような数に匹敵する。

「うわー、初めて来たよ、前線基地は。それにしても、デカイ基地だなぁ」

 サンドバッグ形の荷物を肩から背負い、トノムラが出向命令を受けた基地に降り立つ。
 軍からの出向命令である筈だが、彼は何故か民間の交通手段を利用して基地へ辿り着いたことには無頓着だ。
 基地の出入り口でボディチェックを受けている時も、ぼんやりと周囲を見回す余裕すら見せていた。

「通行を許可します」

「ありがとう。それで、出頭はどこに行けばいいの」

 同じくチェックを受けていた荷物を引き取りながら、トノムラが見張りの兵士に尋ねる。
 しかし、特務扱いであるトノムラの出頭場所を彼が知るわけもなく、無言のままトノムラの背中を押した。

 背中を押されるままに基地の中へ足を踏み入れたトノムラは、盛大に首をひねると、真っ直ぐに歩くことに決めた。
 目の前にある建物の中に入れば、とりあえずは基地内の見取り図ぐらいあるだろうという考えである。

「新人には、やっぱり厳しいのかな」

 まったく見当違いのことを呟きながら、トノムラは周囲に愛想を振りまきながら、建物の中へと入っていった。
 当然、見取り図のようなものはなく、仕方なく、周囲にいた兵士を捕まえて、受付の場所を尋ねる。

 そうして受付の場所を確認して、トノムラは駆け足で基地内を受付へと走っていく。
 荷物を背負っていることすら気付かせないほどの速さで受付へと辿り着いた彼は、受付でも邪険に扱われた。

 それもその筈で、彼はいまだに彼自身が特務についていることに気付いていないのである。

「……どうなってんのかな。んー、配属ミスかなぁ」

 頭をかきながら途方にくれて、基地の片隅に座り込んだトノムラの周囲を、エアカーが走り抜けて行く。
 ボンヤリと空を見上げていた彼に、突然、聞き覚えのある声が聞こえてきた。

「准尉、お迎えに上がりました」

「ご苦労。着任まではまだ時間があるというのに、熱心なことだな」

「准尉の着任がないと、こっちも居場所がありませんから」

 無駄に高いと揶揄される背を目一杯に伸ばして、トノムラは声のした方角を見つめる。
 視線の先に捉えたのは、同じ基地にいた操舵士である。
 それほど仲が良かったとは言い難いが、今の彼にとっては神様よりもありがたい救世主だ。

「ノ、ノイマンさーん」

「ん」

 オリンピック選手も真っ青になりそうな速度でノイマンに飛びついていったトノムラを、ノイマンがあっさりとかわす。
 アスファルトにダイブする羽目になったトノムラは、それでも、涙と笑顔の入り混じった表情で、ノイマンを見上げていた。

「ノイマンさん……オレ、オレです。電子戦科のトノムラですッ」

「泣くな。お前みたいなデク、他にいないだろう」

「オレ、オレ。もう、どうしたらいいかわかんなくって。どこに行っても知らないって言われるし、配属ミスかもって」

 泣き顔のまま足にしがみついてくるトノムラに、ノイマンがしかめっ面で足を引く。
 ズルズルと引き摺られながらも足を放そうとしないトノムラに、遂にナタルが声を荒げた。

「いつまで愚図愚図しているつもりだ、トノムラ上等兵」

「あぅ」

 抱きつくのを防ごうとするノイマンの手に顔面をつかまれていたトノムラは、ようやくナタルを視界に納めた。

「軍人が一人で行動できぬとは、どういう教育を受けてきたのだ」

「え、あ……その、すみません」

 ナタルの鋭い眼光にさらされ、トノムラは慌てて立ち上がり、敬礼の姿勢をとった。

「えと、その……家無し子のジャッキー=トノムラ上等兵であります」

「ナタル=バジルール特尉だ。本日付で、貴様の上官でもある」

「え……じゃあ、オレ、家無し子じゃないッ」

 ナタルの言葉に顔色を明るくさせたトノムラに、ナタルが深くため息をつく。

「まったく、大佐もロクでもない者を厄介払いしてくれたようだな」

「アハハ、そうかもしれませんね」

「貴様のことだッ」

 もう一度深くため息をつき、ナタルが手にしていた荷物をノイマンへ渡す。
 荷物を受け取ったノイマンがエアカーに荷物を積み込み、トノムラを助手席へと押し込んだ。

「うわぁ、オレ、エアカーなんて初めて乗りますよ」

「准尉のおまけだ。お前が来るとは思ってもいなかったがな」

「ノイマンさんのためなら、たとえ火の中水の中ですから」

「そう思うなら、向こうの基地で大人しくしておいてくれ」

「いやです。もう、離れませんからね。あ、准尉、音楽流しましょうか」

 先程までの家無し子状態のときとは打って変わって明るくなったトノムラの様子に、ナタルが気圧されながら頷く。
 すると、トノムラはあっさりとエアカーの中からコードを取り出し、指先だけで接続をいじり始めた。
 数秒のうちに有線の周波数を捉えたのか、車内にゆったりとした曲が流れ始める。

「……凄いな」

 ナタルがその腕に感嘆の声を漏らすと、トノムラは得意げに笑って見せた。

「朝飯前です。何なら、軍の周波数もすぐに流せますよ」

「暗記しているのか」

「まぁ、エアカーの修理はしたことありますから。さっきも言いましたけど、電子科です、オレ」

「それは聞いているが、よくもまぁ、お前みたいな者が後方の部隊に残っていたものだな」

「軍に入って、まだ一年目です。カレッジ卒ですから」

「意外だな」

「ノイマンさんより、一つ下ですよ。ノイマンさん、童顔ですから見えないですけど」

「……着きましたよ、准尉。トノムラ、荷物持ちだ」

 エアカーを停めたノイマンの声は、あからさまに不機嫌だった。

 

 


 

 ナタルに与えられていた執務室は、倉庫を無理やり改造したような小さなものであった。
 元々、今回の作戦のためにだけ使用するその場しのぎの部屋なので、与えられただけマシと言うものだろう。
 一つだけある窓の下に置かれていたデスクをノイマンに移動させ、ナタルはようやく一息入れた。

「狭いですね」

 男二人と女一人がいるだけで、部屋の温度が上がりそうな狭さである。
 特にトノムラにしてみれば、やけに天井が低くも感じられる。

 ナタルはトノムラの言葉を無視し、デスクに腰を下ろすと、二人をデスクの前に並ばせた。

「さて、今日から君たちの上官となる、ナタル=バジルール准尉だ。辞令書を提出してもらおう」

 ナタルの言葉に、ようやくトノムラが自分の荷物の中を漁り始める。
 素早く提出したノイマンの書類がシワ一つないのに比べ、彼のものは、見事に折り目がつけられていた。

「あー、折れ曲がってますが、コレです」

「……これからは縦に荷物の中にしまうこと」

 ナタルは二人の書類を自らのファイルの中に納めると、二人に向かって別の書類を提示する。

「我が隊の任務は、あるテロ組織の殲滅である。その後、予定では正規任務に復帰することになっている。
 諸君らは今回の特務を完遂し、正規任務に復帰する際に、特務での実績が考慮される手筈である。
 くれぐれも特務であることを肝に銘じ、万難を排し、任務の完遂と生還を果たすことが諸君らの手柄となる」

「はい」

「今回の作戦は、我々は常に前線での行動が要求される。本隊にはもう一名、操舵士が配属されることになっている。
 旗艦に乗り込み、標的組織に先制攻撃をしかけ、敵戦力の削減を済ませ、陸戦部隊にて標的組織の殲滅戦を行う。
 その際にも、我々は前線で指揮を執ることになっている」

 ナタルの簡単な状況説明に、トノムラが目を丸くして隣に並んでいるノイマンを盗み見る。
 しかし、ノイマンにしてみれば事前に知らされていることでもあり、何の表情も浮かべてはいなかった。

「これより、我が隊着任につき、軍令部より諸君らの昇進の指示を受けている」

 そこで言葉を切り、ナタルは荷物の中から真新しい階級章を取り出した。

「アーノルド=ノイマン軍曹」

「はい」

「本日付で、貴官を特務曹長に任命する」

 ノイマンが、無言で敬礼をする。
 慌てて敬礼に続いたトノムラに心の中でため息をつき、ナタルはトノムラに対しても辞令を下した。

「ジャッキー=トノムラ上等兵は、本日付で伍長に任命する」

「はい、頑張りますッ」

「さて、残り一名だが」

 ナタルがそう言った時、新たな人影が三人の背後から姿を現した。
 人影は入り口のところで敬礼をすると、ナタルの許可を待って、室内へと入ってくる。

「菊鹿=草薙、ただいま着任報告に参りました」

「待っていたぞ、草薙。どこかのバカと違い、迷わなかったようだな」

「はい……て、誰か迷ったんですか」

「お前の隣にいる大男だ」

 ナタルの言葉に、ノイマンがこらえ切れずに吹き出していた。
 トノムラにしても微妙な表情を浮かべ、新たな仲間を見下ろしている。

「ついでだ。草薙、貴官を特士に任命する。今回の作戦、正操舵士を勤めてもらうぞ」

「了解。でも、アーニィはサブですか」

「いや、今回は陸戦部隊の指揮も執るのでな。手元に置いておくためには、操舵士に就けられんのだ」

「陸戦はお留守番ですか、私だけ」

「すまない。今回はこの男の実力も測りたいのでな。まずは砲撃戦で、仇を討ってくれ」

「了解。陸戦の出番がなくなるくらい、やってやりますよ」

 自信のある表情を浮かべる草薙に、ナタルが大きく頷く。
 一人だけ蚊帳の外に置かれたような感じになったトノムラが、再びノイマンの袖をつかんでいた。

「あの、仇って」

「仲間をやられてるんだ。そのテロ組織の連中にな」

「それで、わざわざやり返しに行くんですか」

「トノムラ伍長」

 ナタルにはしっかりと聞こえていたようで、トノムラがビクッと肩を震わせた。

「貴官はそのようなことを考えずとも良い。敵勢力の殲滅と生還のみを考えろ」

「は、はい」

「なお、既に知っているとは思うが、敵勢力に何があろうと、決して動揺はするな。くれぐれも、何であろうと、な」

「はい」

 ナタルが言葉を切り、既に説明を受けていたノイマンが、細かな作戦を説明する。
 それぞれの役割分担を明確にさせたところで、ナタルはその日の作戦会議を打ち切った。

「では、各自宿舎にて明日からの作戦に備えろ。ノイマン、伍長の面倒を頼むぞ。腕は確かなようだが、どうも間抜けだ」

「はい。行くぞ、間抜け」

「え、あ、そりゃないですよ。ノイマンさーん」

 飼い主に擦り寄る犬のようにトノムラが退出して行くと、残った女性二人から、失笑が洩れた。

「彼が新しいメンバーですか」

「電子戦のスペシャリストらしい。他にも、白兵戦の技術も大したものだそうだ」

「リードの代わりになりますか」

「そうなってもらわねば困る。私たちの戦いは、先の長いものだからな。隊の結束が必要不可欠だ」

「そうですね。まずはリードの仇、絶対にとりましょう」

「当然だ」

 そう言い放つナタルの視線は、真っ直ぐに前を見つめていた。

 

 


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