運命を切り開け!

(中編)


 軍学校の生徒に与えられる長期休暇は、夏休みと冬休みの二回だ。
 そのどちらもが一週間という長さのため、長期休暇中に俺が実家へ戻ることはない。
 実家との往復だけで、休みが費やされてしまうからだ。

 俺と同じような境遇の人間は少なくないらしく、冬期休暇中に入った今日も、寮に人影は絶えない。
 同室のリードも実家が遠く、俺たちは部屋のベッドで寝転がっていた。

「リード、そっちの雑誌取ってくれ」

「あぁ。でも、先週号だぞ?」

 俺が指した雑誌を持ち上げて、リードがそう言ってきた。
 表紙に目を凝らすと、確かに見覚えのある表紙絵だ。

「それしかないのか」

「今からじゃ、外出許可は取れないぜ」

「しまったな……今日一日だけ外泊許可取っとけば良かったな」

 リードに雑誌は要らないという意味で手を振って、俺は寝返りを打った。
 背後で雑誌が床に置かれる音がして、リードが話しかけてくる。

「そう言えば、明日はクリスマスだな」

「そういう日だったな」

 最近はちらほらと雪も降り出しているが、今日の天候を見る限りは、今夜は微妙だろう。
 降ったところで明日の除雪作業があるのだから、降ったからといって嬉しいわけじゃない。
 むしろ無い方がいいくらいだ。

 外部に待たせている恋人がいる連中は、二日間程度の外泊許可を取っているのだろうか。
 そう言われてみると、今日は幾分騒がしさが足りない気がしないでもない。

「クリスマスと言えば、バジルール准尉の誕生日、今日らしいぞ」

「誰から聞いたんだ?」

「キッカだよ」

 チップスのレアチーズケーキ事件以来、バジルール准尉とはよく会うようになった。
 もちろん、彼女の休暇に入っている時が俺たちの休養日と重なっている日だけだが。

 よく会うようになって驚いたことは、准尉は噂のような鉄仮面ではないということだ。
 氷の女王の方は撤回させようもないが、少なくとも表情に乏しいわけじゃない。
 キッカのような奴と比べれば感情が読み取りにくいが、俺には気にならない。

「リード、そういうことは早く言えよ。何も用意出来なかっただろ」

「悪かった。今、思い出したところだったんだ」

 すまなそうに謝ってきたリードに、俺はベッドの上で身体を起こした。
 俺が起き上がったことに気付いたリードが、同じようにして起き上がる。

「購買部に行っても、間に合わないよなぁ」

「多分、無理じゃないか。手作りの品ぐらいだぞ、あとは」

 そうは言っても、気付いてしまうと何かしたくなるものだ。
 少なくとも、何か心の琴線に触れられるようなものを。

「……その様子じゃ、諦めそうにないか」

「まぁな」

 胡坐をかいている俺を見下ろしてきたリードにそう答えて、俺は胡坐をかいたまま左右に揺れた。
 じっとしているよりは、少し動いていたほうが思い付きそうだったから。

 すると、俺の動きを目で追っていたリードが、小さく肩をすくめた。

「メッセージカードじゃ不満か?」

「好きですって言ってるようなもんだろう。それじゃダメだな」

「今からだと、セーターも編めないと思うが」

「当たり前だろう。さりげなく、たまたま持っていたものでありながら、センスのあるものをあげたいんだよ」

「注文が多いぞ」

 ため息までついたリードを無視して、俺は手持ちの私物を片端から思い出した。

 ペン……ジュニアスクールじゃあるまいし。
 タオル……バカげてる。
 秘蔵の酒……持っていたことに叱られそうだな。
 フロッピーディスク……実用的だが、色気も素っ気もない。

「……何かないか?」

「クラシックのCDとかは持ってないか?」

「手持ちの物で、准尉の持ってない物はないだろうな」

 せっかくの案だが、准尉はクラシック愛好家だ。
 付け焼刃のような俺とは格が違う。

 リードは再び考えてくれたが、どれもたいした案ではなかった。

「無難なところで、花束しかないんじゃないか?」

「花言葉を添えてか……キザ過ぎるな」

 悪い考えではないが、どんな花を贈ればいい。
 それに購買部で売っているような花の種類じゃ、花言葉も選べやしない。

「それに、俺は花言葉なんて知らん」

「それもそうか」

 再び沈黙が訪れた。

 何とか状況を打開すべく、俺は立ち上がった。

「とりあえず、購買に行ってくる」

「あぁ」

 リードは、ついて来る気がないらしい。
 別に一人の方が何かと都合が良いのも事実だが、余裕っぷりが癪に障った。

「リード。お前は何かあるのか?」

「別にない。大体、准尉にあげる義理もないぞ」

「そうか。なら、いい」

 ひとまず、ライバルではなさそうだ。
 協力してくれそうにもないが、ここは誕生日だと教えてくれたことだけで許してやろう。

 

 

 購買に行ってみると、数人の下士官がたむろしていた。
 そのほとんどは夕食後の嗜好品を買い漁っているようで、俺は少し離れた場所で書籍を眺めることにした。

「……こんなものもあったんだな」

 今まで書籍の棚なんてまともに見る機会がなかっただけなのかも知れないが、予想以上に面白い。
 やたら小難しい学術書だけでなく、娯楽小説も数は豊富だ。
 学術書と違って、色々な言語での小説が置いてあることも、初めて知った。

「ノイマン。お前も書籍探しか?」

「あ、バジルール准尉」

 夢中になって書籍の棚を眺めていた俺の背後から、准尉はいきなり姿を現した。
 いつの間にか、俺より先にたむろしていた連中の姿が消えている。

 俺は照れを紛らわすために、手近にあった小説を棚から抜き取っていた。

「……お前は、その手の物が趣味なのか?」

「は?」

「いや、その、お前が手にしている小説がだな……」

 准尉に言われて、俺は手元の小説を見た。
 カバーに描かれているイラストは、どう贔屓目に見てもお堅い小説じゃない。
 むしろ、美少女然としたこのイラストから察するに、恋愛小説か、それ以上に危険な代物だ。

「別に他人の趣味をとやかく言うつもりはないが、その……意外だな」

 あからさまに視線を外さないで下さい、准尉。
 何も知らない人間が見たら、知られたくなかった秘密を見られた悲しい軍学生に見えるじゃないですか。

「意外と言われましても……」

 たまたま手にとってみましたなんて言い訳が、通用するとも思えない。
 この場はしのげても、長い禍根となりそうな気がする。

「その、准尉はこの手の小説、いかがです?」

 こうなったら、破れかぶれだ。

「わ、私か? いや、別によく読むほうだぞ。シェイクスピアなどは愛読している方だ」

 シェイクスピアとこの手の小説を、同類にするのもどうかと思いますが。
 しかし、恋愛小説を読んでいる准尉。

 うーん……考えられなくもない。

「その、今日、誕生日ですよね?」

「え、あ。誰から聞いたんだ?」

 俺の質問に答える准尉の頬が、桜色に染まった。
 この他愛ない会話で頬を染める彼女だから、俺は気になっているのかもしれない。

 ここでひっかかってはいけないのは、この仕草だけで彼女の真意を測ることはできないのだ。
 噂によると、この表情に騙された人間が、強烈な肘鉄を食らっているらしい。

「キッカです。だから、准尉に何か贈り物をと思って」

「そ、そうか。別に気を使わなくてもいいぞ。軍学校の生徒では、金銭的な余裕もないだろう」

「えぇ。それで、書籍でもと思ったのですが」

「そ、そうか」

 ここで、より一層、准尉が頬を染めた。
 だが、今の会話のどこにその要素があったのかは全くの謎だ。

 俺が戸惑っていると、蚊の泣き声のような声で、准尉が俺に尋ねてきた。

「その、お前は……私にこの小説が似合うと思ったのか?」

 ……かわいい。

 ここが基地内でなく、俺と准尉が恋人同士だったなら、迷わず抱きしめているところだ。
 軍帽を被っていないせいか、いつもよりも若く見える顔。
 うつむき加減の顔からわずかに見える視線。バラ色の頬。
 これでもかと言うくらいのフルコースだ。

 だが、残念ながらここは軍の購買部。
 お節介で噂好きなオバチャンが陣取っている購買部だ。

「いえ、女性が何を読んでいるかは、ほとんどわからなかったもので」

「そうか。まぁ、そうだろうな。私も男の読む小説などは気にした事がない」

 准尉はそう言うと、本棚の中から一冊の本を取り出した。
 ちらりとタイトルを盗み見ようとする前に、彼女の方から題名を示してくれた。

「”ショート・ショート”ですか」

「あぁ。長編を読むほどの暇がないからな。短編集は少ない時間で読める」

「それは、准尉が普段読んでいるものですよね」

「あ……」

 俺の言わんとしていることに気付いた准尉が、再び赤面して視線をそらす。
 しかし、この勘違いは俺にとって、思いもかけない偶然だ。
 向こうからテストの解答が飛んできたようなものだ。

「い、いや、多分、一般的だと思うが……」

「構いませんよ。俺が知りたかったのは、准尉が読む本ですから」

「い、いや、これは私が買う。お前にプレゼントされる謂れもない」

 そう言って本を背中へ隠そうとした准尉の手から本を取り上げて、俺は微笑んでみせた。

「いいじゃないですか。日頃からお世話になっているお礼です」

「べ、別に世話などしたつもりはないぞ」

「じゃ、俺の気持ちです」

 背中で准尉がぶつぶつ文句を言っているが、俺はそれを無視して会計を済ませた。
 横から准尉が財布を取り出そうとしているのを素早くブロックして、包装の終わった書籍を受け取る。

 憮然とした表情で購買部の外まで付いてきた准尉に、俺は本を手渡した。
 もちろん、購買部のオバチャンからは見えないように。

「Happy Birth Day」

「……この借りは返す。お前の誕生日にな」

「俺も、楽しみにしてていいですか?」

「ッ」

 何故だろう。
 今日は何でも出来てしまいそうな気がする。

 俺の切り返しに言葉に詰まった准尉が、無言で足を速めた。
 慌てて追いついた俺に、准尉が無言で扉の上のプレートを指す。

 ”士官居住区”

「立ち入りの許可はないな」

「……そうですね」

「さっさと宿舎に戻れ。せっかくの好成績、無駄にするな」

「そうします」

 居住区に逃げ込む准尉の背中が、扉の向こうに消えた。

「焦ったかな」

 性急にことを進め過ぎたのかもしれない。
 でも、またとないチャンスだったことも事実ではある。

「軍属だからな。ここで上手くいったって、残された時間はないか」

 改めて、自分が軍学生だと言うことを思い知る。
 彼女は数年間この基地にいるだろうが、俺はここを出ていく身だ。
 操舵士を目指す俺が、宇宙港もないこの基地に配置されるわけもない。

「でも、可能性はあるからな」

 誰もいなくなった扉に向けてそう言って、俺は宿舎へと戻り始めた。
 外の気温は、いよいよ雪が降りそうな気配を見せていた。

 

 

 


 ……これが胸騒ぎというヤツだろうか。
 どうにも目が覚めてしまった。

「何だよ……まだ夜中じゃないか」

 起き上がって時計を確認すると、時計の針は二時を指している。
 窓の外の明るさからみても、午前二時で間違いないだろう。

 どうして起きてしまったのかはわからないが、とにかく寒さが身にしみる。
 俺は身体を震わせると、トイレへ向かって歩き出した。

 トイレを済ませた、その直後。

 大きな爆発音と共に、俺の身体は廊下へ投げ出されていた。
 とっさに受身を取ったせいか、思ったほどダメージはなさそうだ。

「何だ、いきなり」

 煙と炎が全身の毛を刺激する。
 声も上げずに煙から離れるように身体をずらす。
 軽快な音と共に、俺の目の前の壁に銃弾が突き刺さっていく。

「襲撃かよッ」

 ようやく回転し始めた頭で、俺は一度だけそう叫ぶと、体勢を低くして一気に走り出した。
 本当は走ってはいけないのだが、頭よりも先に身体の方が反応していた。

 背後の銃撃音が止み、再び大きな爆発音が起きる。
 火災報知機がけたたましいほどサイレンを鳴らすはずだが、何故かそれがない。
 しかし、軍にテロを仕掛けるような連中だ。用意周到にサイレンの電線を切っているのだろう。

「とりあえず、どこに行けばいい」

 自問してみるが、答えは出てこない。
 本来なら寮にいる当直のところへ行けばいいんだが、残念ながら煙の向こうだ。
 どう言われようとも、またあの煙の中へ引き返すのはゴメンだ。

「うわっ」

 再び、頭上を銃弾が通過した。
 窓ガラスが割れ、細かな破片が窓の下に落ちる。
 無意識のうちに廊下の中央を走っていたせいか、俺に被害はない。

 だが、完全に俺の脚は止まっていた。
 逃げられると思っていた方角での銃弾。
 あちこちから聞こえてくる窓ガラスの割れる音。

 丸腰で彼らの中を潜り抜けるのか?
 それも、どこへ逃げればいいのかもわからずに?

「そう、武器だ。武器があればいい」

 落ち着け。落ち着くんだ。
 武器だ。武器があれば、少なくとも牽制にはなる。

 どこにある、武器は。

「……当直室。戻れるか」

 いや、格納庫だ。
 格納庫の戦艦になら、武器と弾薬がある。

 格納庫へ行くのなら、鍵のコピーがキッカの部屋だ。
 キッカの部屋は……まだ煙の外にある!

 既に割れている窓を飛び越え、より奥の宿舎へと走った。
 躊躇すれば見つかる。派手に走れば見つかる。
 静かに、素早く走ればいいんだ。

 幸い、奥の方の宿舎は電気が消えており、窓ガラスも開いていた。

 ついてる!
 俺はついてる。生き残れる!

 火事場のクソ力と言うべきか、俺は一瞬で窓によじ登り、宿舎の廊下に身を伏せた。
 後はキッカの部屋を暗がりの中で探せばいい。
 俺の宿舎が燃えている分、かすかな明かりには事欠かない。

「……ノイマンか?」

 暗闇の中から聞こえた囁き声に、俺は思わず廊下に伏せ直した。
 その俺を安心させるように、声の主は俺の視界の中に姿を現した。

「バジルール准尉……」

「こちらの宿舎は全員無事だ。今、各コースに別れて作戦を与えたところだ」

 よくわからない。
 だが、非常に心強かった。
 准尉は俺の同級生ではなく、上役だからだろうか。

「お前も私と来い。格納庫へ向かうぞ」

「は、はいッ」

「草薙、前を行け。ノイマン、お前は後ろだ」

 バジルール准尉を中心に、キッカと数人の女子学生と一緒になって走る。
 キッカの運動能力の高さは知っていたのだが、さすがに普段ほどの速さはない。
 自然とゆっくりと走っている間に、徐々に周囲が見えてくる。

 軍学生の宿舎は壊滅。警報は何処からも鳴ってはいない。
 銃弾の音がしているのは、二方向から。
 総勢はそれほど多くないのかもしれないが、どちらかと言えば内通者がいるような感じだ。

「……准尉」

 バラバラになり始めた集団の合間を縫って、准尉の隣に並ぶ。
 准尉の表情は、まだ不安に襲われているようには見えなかった。

「襲撃者の数が少なくありませんか?」

「私も気付いていた。考えたくはないのだが、内通者の可能性もある」

「その場合、首謀者の心当たりは?」

「わからん。一体、誰が内通者なのか」

 先頭を走っているキッカがスピードを落とし、俺たちの方を手で招く。
 俺と准尉がキッカのそばで腰を落とすと、キッカが静かに格納庫の見張りを指した。

「見たところ、一人だけですが」

「様子を見るか。見えない位置に配置されているのかもしれん」

 准尉がそう言っている間に、遅れていた残りの生徒が追いついてくる。
 息の上がっているのが数名いるようだが、すぐさま行動に移れるだろう。

「いえ、すぐに格納庫内に入りましょう」

 そう進言した俺を、准尉が正面からにらみ返してくる。
 しかし、その視線は決して拒絶ではない。

「現在の基地内の状況からして、襲撃者の数は少ないと思われます。確かに、宿舎へは人数をかけていたようですが、
 何か理由があったものと推測できます。襲撃者の数が少ないなら、わざわざ格納庫へ複数の人員を配置する余裕も、
 わざと隠れた位置に配置することもないでしょう」

「……一理あるな」

 准尉の視線が見張りへと注がれる。
 俺たち二人の間に割り込んできたのは、キッカだった。

「それよりも、裏の窓から格納庫の中に入って、戦艦を動かしてしまえばよくない?」

「戦艦をか。しかし、戦艦では地上兵に対する威圧にはならんぞ」

 キッカの意見にも、准尉は冷静に判断を下す。
 まわりで周囲に視線を巡らせている他の生徒たちも、准尉の判断を待っているようだ。

「……准尉、お願いします」

 意見を言うだけ言って、キッカは准尉に下駄を預けた。
 准尉の方もそれを当然として受け止めているのか、しばらくの間、考え込む仕草を見せると、スッと立ち上がった。

「裏口から進入し、戦艦を発艦させる。ノイマン、キッカ、やれるな?」

「もちろん」

「任せてください」

 操舵士コースは俺たち二人しかいない。
 さすがに二人で全てをやるには厳しいものがあるが、そうも言っていられないだろう。

 俺たち二人の返事を聞いて、准尉は更に細かな指示を与えていく。

「オペレーターコースの者は私と一緒に来い。その他の者は、陸戦コースの者を中心にこの場で待機だ」

「了解。突入はしますか?」

「いや、戦艦の主砲で格納庫を破壊する。収容はその後に決定する。決して無茶はするな」

「はい」

 その場にいる全員に指示を与えて、准尉は先頭に立って格納庫の裏へとまわりだした。
 そのすぐ後ろを、俺とキッカが続く。

「准尉、格納庫の上の窓は常時開いています。勢いをつければ、手が届きます」

「わかった。ノイマン、行けッ」

「はいッ」

 小柄な女性ならば、かなりの運動神経がいるだろうが、男性の身長があれば余裕で手が届く。
 格納庫の窓枠を乗り越えて、なるべく音を立てないように着地する。
 この格納庫に収容されているのは小型の空中戦艦が一艦だけ。

 緊急用のキーを使ってロックを開け、戦艦の内部を走る。
 非常用の電源が生きているのか、それほど暗い感じはない。

 准尉が来るのを待って、俺は操舵席に潜り込んだ。
 訓練では何度も座った事があるが、こんな状況で乗るとは思わなかった。

「アーノルド、そっちがメインでいくの?」

「あぁ。任せろ」

 副操舵士席にはキッカが座り、准尉が艦長席に座ってガードを外す。
 後から入って来た一人が管制士席に座り、目の前の起動ソフトが動き出す。

「ノイマン、やれるな!」

「やってみます!」

 確認してきた准尉に、声を振り絞る。
 声の震えはなかった筈だ。

「キッカ、#1−9をマニュアルで俺にまわせ」

「OK」

「#15の具合はどうだ?」

「オートで動いてるけど、どうするつもり?」

「それさえ動いていれば、エンジンが動く。緊急発進の手順を思い出せ」

 そうしている間に、管制士席に座った連中が何とか艦の内部を掌握していく。
 今気付いたが、キッカたちがいたのは女性用の寮だった。
 当然、その半分はオペレーターコースの人間だ。
 俺とキッカが必要以上の無理をすることもなく、艦はゆっくりと準備を整えていく。

「バジルール准尉、気付かれました!」

 エンジンの暖気運転の音に気付いたのか、格納庫の扉が開けられたのがモニター越しに確認された。
 手元のコンソールを見る限りでは、まだ発進することはできない。

「まだ発進はできません」

「機関銃は生きているかッ」

「は、はい! 今、確認しますっ」

 キーを激しく叩く音が、暖気運転の終了を待つ俺の心をイライラさせる。
 こんな連中で、果たしてどうなるのか。

「ノイマン、いつまで待たせる気だッ」

「現在、68%まで上昇中」

「動かせッ」

 68%の状態で動かせだって?

 戸惑っている俺に、准尉の叱責が飛んでくる。

「マニュアルを見る限りでは、65%の状態で離陸は可能だ。今は一刻を争うのだぞッ」

「了解!」

 隣に座っているキッカに目配せをして、俺はキーを回した。
 軽い振動音と共に、エンジンの排気音が変わる。

「ブレーキ解除。離陸プログラム正常作動中」

「#3、停止確認。#15の切り替えを確認」

 キッカとのタイミングに問題はない。
 多少の不手際など、離陸に関しては問題にはならない程度だ。

「バジルール准尉、外にいる連中はどうするんですか?」

 メインオペレーター席に座った女生徒が、そう尋ねた。

「敵に気付かれた以上、離陸を優先する。場合によっては、司令部を爆撃することになる」

「えぇっ?」

「司令部との通信は?」

 離陸のための速度には、まだ届かない。
 冷静な准尉の声と、必要以上に甲高いオペレーターたちの声が遠く聞こえていた。

「えっと……ダメです! 応答ありません!」

「よし。司令部は制圧されたものと判断する」

「バ、バジルール准尉ッ?」

「これより、司令部を奪還する。外の者には、各自の判断にて基地より退避するように伝えろ」

「は、はい!」

 マイクの設定すらも上手くできていなかったのか、オペレーターの慌てる動作が聞こえてくる。
 その間にも、艦の速度は上昇する。

「キッカ、前方に障害物はないか?」

「フェンスまでの距離は測ってあるはずだけど……」

 この艦は戦艦と言っても、それほど厚い装甲をもっているわけでもない。
 どちらかと言えば、爆撃機に近いようなものだ。
 戦闘機を二機搭載できるだけの、地上戦用機。
 フェンスなどにぶち当たれば、一瞬にして木っ端微塵ということも考えられる。

「……大丈夫。いけるわ、アーノルド」

「信じるぞ」

 操縦管を引く。

 ゆるやかな重圧の変化とともに、高度計が回転を始める。
 左右の機体バランス、エンジンの温度、回転数。全てが順調だ。
 いける。やれる。飛べる。

「ノイマン、上昇と同時に旋回を開始。司令部の爆撃を行う」

「了解」

 その時、バジルール准尉の指示を遮るように、オペレーターの悲鳴が艦橋内を貫いた。

「熱源反応! 左です!」

「回避ッ」

「無茶です!」

 上昇途中で進路を変えれば、失速して墜落するのは自明の理だ。
 ここは神に祈るしかないだろう。

「一撃ぐらいならば耐え得るはずだッ。落ち着いて行動しろッ」

 そう言うバジルール准尉の声ですら、硬くなっているのは仕方ないところだろう。
 操縦管を握る手が、汗で滑りそうになっていた。

 大きな振動が艦を揺らし、俺の手から操縦管を奪おうとする。

「クソッ」

「被害報告ッ」

「第三ブロックの隔壁作動! 第八対空砲、大破!」

「エンジンは無事かッ」

 思わず叫んだ俺の言葉に、オペレーターも怒鳴り返してくる。

「損傷軽微! 排気孔も無事です!」

「キッカ、サブエンジンの制御! 一気に速度を上げて上昇するぞ!」

「了解」

 重圧のかかり方が急激なものへと変わる。
 ここまで来れば、多少は進路がブレても失速することはない。
 艦橋の奥の方で小さな悲鳴が上がるが、それどころじゃなかった。

「先程の砲弾は手動の迫撃砲だ。高度八千まで上昇すれば届きはしないッ」

「はいッ」

「准尉、未確認の艦が八時方向に!」

「何だッ」

「敵方対空砲、来ます!」

 艦橋が揺れた。
 離陸したばかりだと言うのに、何だと言うんだ、一体。

「所属不明艦です! こちらの呼びかけに応じませんっ」

「仕方ない。この基地より離脱する。敵艦の視認を急げッ」

「モニター、捉えました。正面に映しますっ」

 オペレーターの声からやや遅れて、敵艦の一部がモニターに映し出された。
 どうやら、海上艦のようだが、あまりにも見えているのが一部分過ぎて、俺に特定はできなかった。

「准尉、進路は……」

 俺がそう尋ねても、准尉からの返事はなかった。
 気になって背後を振り返ると、艦長席で拳を握り締めている准尉がいた。

「馬鹿な……何故、何故あの艦が……」

「バジルール准尉?」

 艦は離陸の惰性で、高度を上げていった。
 既に高度計は八千を超え、サブエンジンは停止している。

「馬鹿な……信じられん。あれは、演習用になった型番の筈だ……」

 演習用になった型番。
 つまりは引退した艦だ。

 引退したとは言え、民間へ売り飛ばされることはない。
 つまり、軍人が動かしたと言うことだ。

「准尉、ベルファスト基地より通信が入りました!」

「ま、まわせ」

 通信の内容はわからなかった。
 俺はただ、惰性に任せていた進路を変更するために、操縦管を倒した。
 高度計が安定し、わずかに被害を受けたらしい左翼をカバーするためにエンジンで調整を試みる。

 教官の教えてくれたことをすぐに実行できるなんて、運が良いのか悪いのか。

「ノイマン、進路をベルファスト基地へ取れ。我々はこの空域を離脱する」

「了解。航路設定と確認は……」

『あ、こちらでやってます。今から、二時方向へ旋回してください』

「了解した。高度はこのままでいいのか?」

『はい。でも、この戦艦の通常高度はいくらですか、准尉?』

「高度はこのままでいこう。下へ降りて、やられてはかなわん」

「了解。キッカ、エンジンの具合を確かめてくれ」

「やってみるわ」

 キッカが席を外し、俺は誰にも見られないように、そっと手の汗をぬぐった。
 汗を擦り付けた俺の足は、小さく震えていた。

 


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