欲張り


 命令が下った。
 それと同時に手渡されたもの。

 ……父からの指令書。

 

 

 荷物をまとめるしかなかった。
 軍人である私が、上官である父の意向に背くわけにはいかない。

 例えそれが納得のいかない命令であっても。
 命を賭けて守りたいと思う恋人を裏切ることになっても。

 何時の間にか、荷物を片付ける手が止まっていた。
 元々、軍服の着替えくらいしか鞄に詰めるものはない。
 あとは一通り揃っている化粧道具ぐらいだろう。

「……迷っているのか? 馬鹿な……迷うことすら無意味だと言うのに」

 どうやら、人の好過ぎる艦長に感化されてしまったようだ。
 迷っても仕方のないことを迷うようになるとは。

 頬を張り、改めて化粧道具を見つめる。
 簡単なことだ。ポーチに入れさえすればいい。
 なのに……できない。

 不意に、扉が叩かれた。
 この叩き方は、ノイマンだろうな。

「お邪魔します」

「あぁ、どうした?」

 軍務で私の部屋を訪れたようではないようだ。
 軍務ならば、”失礼します”と言って入ってくる。

「少し、時間をいただけますか」

「構わない。片付けていた最中で、散らかってはいるがな」

 私はそう言って椅子を勧めたつもりだったのだが、ノイマンは立ったままだ。
 ベッドに腰を下ろしていた分、久しぶりに彼の顔を見上げている気がする。

「聞きたいことは二つです」

「……何だ?」

 怖い。
 お前の瞳が怖い。

 無意識にうちに、私は自分の腕をつかんでいたようだ。
 妙に左腕が重かった。

「俺と貴方だけが受けていた特務、終わったと考えてよろしいのですか?」

「……だろうな。少なくとも、私の特務は終わった」

「なるほど」

 そんなこと、どうだっていいだろう。
 特務など、ハルバートン提督の死によって、なくなったも同然じゃないか。
 お前だって、そう言っていたではないか。

「では、貴方とフラガ少佐だけがアラスカを離れなければならない理由とは?」

「私にはパナマ防衛の任務が言い渡された。少佐の教官への配置には、色々と思うところもあるがな」

 そう、それでいい。
 お前だったら、このことは聞いてくるだろうと思っていた。
 そんなノイマンだから、私は身を任せたんだ。

「なるほど。では、何部隊程度のZAFT軍が、ここへ押し寄せて来るのですか?」

「なッ」

 冷たい。
 ノイマン、冷たい。

 完全に虚を突かれた。
 少なくとも、私が知る限りでは私しか知らない事だ。

 ノイマンの冷めた瞳が、私を射抜いていた。

「……やはり、パナマは地球軍への隠蓑ですね。そして、それは何故か上層部も知っている」

「ノイマン、貴様ッ」

 ノイマンの腕が伸びてきた。
 殴られるッ。

 ……目をつむって、彼の腕から身を守った。
 衝撃は来なかった。

「どうなさいました?」

 憎らしいほどの無表情。
 本当に、目の前にいる男がノイマンなのか?

 ノイマンの前髪が揺れた。
 上げられた腕は、髪をかきあげる為の仕草だったのか。

 そうだ。そうに違いない。
 ノイマンが、私を叩く筈はない。

「何をそんなに怯えているのですか」

「お、怯えてなど……」

 嘘だった。
 見破られている嘘。

 情けなくなって、ノイマンから視線を外した。
 私は、本気で愛した男性すら守れない情けない女であり、軍人なのか。

 いや、個人的感情など、軍務の前では何の問題でもない。
 個人的感情など、軍務の前では何の意味も持たないのだから。

「俺に知る権利はないと言うことですか」

「……私に、何を言わせたいんだ、お前は」

「貴方は貴方の道を進めばいい。俺は俺の道を進みます」

「ノイマン」

 踵を返したノイマンを追いかけようとして、私は立ち上がっていた。
 ベッドの軋む音がした筈だった。

 なのに、アーノルド=ノイマンは何の反応も示さなかった。

「俺が貴方を好きなことは変わりません。俺が貴方に命令される立場であることもわかっています」

「ノイマン」

「それでも、俺は俺の信じるものを捨てたりはしない。トールとの約束を果たすまで、俺はここに残ります」

 ”待ってくれ!”

 声にならなかった。
 あの人のように、面と向かって叫べないのが私の弱さだ。
 愛しい男を引きとめる術など、私にはないのだ。

 扉が閉まった。
 ノイマンは扉の向こうに消えた。
 私を、扉の内側に残して。

「……違う、違うんだ」

 私は何をしたかったんだ?

 ノイマンに私を止めて欲しかったのか?
 ノイマンを一緒に連れて行きたかったのか?

 何故……私はここにいる?

「違う、違うんだ」

 無意味な言葉だけが流れていく。
 握り締めた拳が、やり場のない怒りと共にベッドへと叩きつけられた。

 ……私は弱いな。

「笑うのか? 私を笑うのか?」

 笑ってくれ。
 笑って、私を殺してくれ。

 結局、卑怯者なのだ。
 籠の中にいて、籠の外へ抜け出る勇気がないのだ。
 お前と共に生きていくことを親に反対されて、私は籠の外へ出る勇気を失ったのだ。

「お前が強引なら……」

 違う。

 私が強引なら良かったんだ。
 全てに疎まれても、お前の為に戦えるような女であったならば。

「遅い……」

 遅くない。
 まだ挽回の機会はある。

 生きてさえいてくれれば。
 私とお前が生きてさえいれば、まだわからないんだ。

「……アーノルド、私を愛してくれ」

 涙がこぼれていた。
 皺になったシーツの上に、涙が滲んだ染みをつくる。

 ノイマンも言っていたではないか。
 ”俺が貴方を愛しているのは変わらない”と。

 時計のアラームが鳴った。
 私はゆっくりと起き上がり、化粧品へと手を伸ばした。

「……アーノルド、お前」

 つけたことのない、だけどよく知っている香水が一つ増え、愛用の香水が一つ消えていた。
 これは、お前と思ってよいのか?

「……いつも、助けてもらってばかりだな」

 いつも当然のように私を助けてくれる。
 憎らしいほどに冷静で、必要ならば無茶も承知で。

 だから、好きなんだ。

 きっと、お前を呼び戻す。
 お前は私に必要だから。
 必ず昇進し、誰にも文句は言わせない形でお前を呼び戻す。

 だから、その時まで待っていてくれないか。
 お前さえいれば、アークエンジェルは沈まない。
 だからきっと、あとは私が準備を整えるだけだ。

 愛している……アーノルド。

 

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