新説・炎の紋章外伝

FINAL


 

「……朝か」

 昨夜は見張りに立ったものの、フィーに対する告白で気力を使い切っていたアーサーは、いつの間にか
眠っていた自分に苦笑しながら、その腕に抱きしめていたフィーを起こした。

 寝ぼけ眼でアーサーを見上げたフィーに、アーサーはマーニャを起こすように告げた。

「フィー、急いで支度してくれ。一刻も早くセリス様に……遅かったか」

 アーサーの言葉に、フィーが人の気配を感じて振り返る。

 そこにいたのは、フリージの、いや、バーハラの女将軍・イシュタル本人だった。

「イ、イシュタルッ?」

 泡を食ったように口を空けたり閉じたりしているフィーを背中に庇い、アーサーはイシュタルと対峙した。

「わざわざ起きるのを待っていたみたいだな」

「当然だ。いくら裏切り者とは言え、貴様は我が一族。相応の礼儀をもって戦うと決めた」

「感謝するぜ」

 別に気負うでもなくそう答えたアーサーに、イシュタルがしばし沈黙する。

「……父様を殺し、姉上を、兄上を、そして母様までも殺した謀反人。その首、このイシュタルが貰い受ける」

「悪いけど、たとえ姉上であろうと、フリージの血脈は何人たりとも生き残らせん」

「その身に流れるフリージを嫌うと言うのか」

「母さんを否定はしない。ただ、フリージは俺達がいただく。アゼルとティルテュの子供がな」

 アーサーの返答を聞いたイシュタルが、二人に背を向けて歩きだした。

 攻撃をしようとするフィーを押し止め、アーサーはイシュタルに声をかけた。

「本日正午……いいか?」

 アーサーの問いかけに、イシュタルが足を止める。

「いいだろう。このイシュタル、貴様との戦いを待っている」

「俺が姉上の死顔も背負ってやるよ」

 最後の言葉には答えずに、イシュタルは再び朝靄の中に姿を消した。

 


 セリスのいる本陣へと戻ったアーサーは、軍議において、正午の進軍開始を提言した。

「正午? いくらなんでも遅すぎる。イシュタル将軍は既に大分前に城を発ったと言うじゃないか」

「その通りだ。アーサー、いくらお前が自分の見張りに自信があるとしてもな」

「……正午まで進軍は待つべきです。そして、その先陣は俺とティニーできらせてもらおう」

 アーサーの久しぶりに自分勝手な言動に、ラクチェが切れた。

「アーサー、何様なのッ」

「俺はそうした方がいいと言っただけ。イシュタルを止めるのは俺たちフリージの者に任せて欲しい」

「そんな理屈、絶対通さないわ」

 ジロリと隣のスカサハを睨むラクチェだが、スカサハには既にヨハンを通じて了承を取ってある。
 アーサーのこのような水面下の動きは、レヴィンやセティにひけを取らない。

「……ラクチェ、ここはアーサーに任せよう。イシュタルは直接的な彼らの仇だ」

「スカサハ……でも、アーサーとティニーでイシュタルは止められないわよ。
 この間だって、シャナン様がいなければ、どうなっていたか」

「それはそうかもしれないけど」

「絶対に反対。アーサー、勝算はあるの?」

 ラクチェの視線が、アーサーを射抜く。

「幼い時は、一緒に育ってきた仲だ。弱点の一つくらいは知っているさ」

「アーサー、死ぬ気じゃないの?」

「バカなこと言うな」

「そのわりには視線を逸らしてるみたいだけど?」

 ラクチェの言葉に視線を戻したアーサーは、その左手に炎を纏わせた。

「フリージの内部問題に、干渉は要らない。俺たちだけで処理をする」

「何ですって?」

「今までも王家の者には、直接、手を下させていない。ブルームを始め、王族はすべてこの俺が始末したはずだ」

 アーサーがそう言うと、ラクチェは反論を止めた。事実だからだ。

 ヒルダを、ブルームを、その実力以上のもので、アーサーは殺して来た。絶対に勝てないと思われた戦いを、
アーサーは今までに勝ってきているのだ。

「セリス、いいな?」

「……わかった。フリージの血筋である君がそう言うんだ。シアルフィの僕が口を挟む事じゃないようだね」

「恩に着る」

 一礼を返して来たアーサーに、セリスは今回の作戦行動を伝えた。

「イシュタルはアーサーに任せて、僕たちはその援護に回る。イシュタル隊を殲滅後、バーハラへ向かう!」

「ハッ」

 


 アーサーをはじめとしたセリス本軍がイシュタルに対する作戦を相談していた頃、シアルフィに残って後陣を
任されていたレンスター軍の面々は、斥候の報告で、アリオーン率いるトラキア軍が動き出したことを知った。

「フィン、遂にアリオーンが動いた」

「予想通りですね。シアルフィに残ったかいがありました」

「リーフ様、それで、どう致しましょう?」

 ナンナの問いかけに、リーフは姉であるアルテナの方を向いた。

「姉上……お任せして、よろしいですか?」

 リーフ、フィン、アルテナの三人の視線を受けて、アルテナは微笑を返した。

「私は単なる将軍よ。リーフの命令なら、従うわ」

「では、姉上、作戦の指揮を。姉上はこの新生トラキアの将軍なのですから」

「わかりました。アリオーンの性格からいって、正面を突破して来ることは間違いありません。
 ですが、竜騎士団も既に壊滅状態。正面から立ち向かうことが彼らに対する礼儀でしょう」

「わかった。僕とフィン、姉上、そしてナンナで迎え撃つ。ハンニバル、シアルフィ城を頼む」

 コープルをエッダへと返したハンニバルは、リーフと共にシアルフィに残っていた。
 そのハンニバルを城へ残し、四人はアリオーンを迎撃する為に出撃した。

 

 出撃の途中、アルテナがフィンのそばに寄り、口付けをかわす。

「フィン、この戦いが終わったら……」

「よろしいのですか、アルテナ様?」

「かまわない。例え国を追放されようとも、フィン、貴方さえいれば」

「アルテナ様……私も、同じ気持ちです。この戦いが終わったら」

「この戦いが終わったら」

 二人の頭の中には、既に新生トラキアの図面が出来上がっていた。それは、キュアンとトラバントがそれぞれ
考えていた、トラキア統一王国の図面を重ね合わせたものだった。

 


 イシュタルを迎え撃つ為、アーサーはティニーと共に先鋒を務めた。そのすぐ背後にはセティとフィーが続き、
セリス率いる本隊との中継役をかってでた。

「お兄様」

「ティニーはその目で、よく確かめさえすればいい。戦うのは俺一人だ」

「イシュタル姉様とお兄様では、実力が違います」

「……わかってるさ」

 心配そうに見つめるティニーの頭に手を置いて、アーサーは微笑んだ。

 

 

 アーサーとティニーの二人がイシュタルの率いる軍と出会うと、サッと道が割れた。

「待っていた。アーサー、そしてティニー」

 先頭に出て来たイシュタルが声を張り上げると、アーサーはティニーを離れさせた。

「これは俺とお前の戦い。見届けるのはティニーだ。文句ないよな?」

「異論はある。何故お前が裏切ったのか、何故私を裏切ったのか……だが、もはや答える気はないのだろう?」

「あの世で教えてやるよ」

 アーサーはそう言うと、魔道書を高く掲げた。

 それに応じるように、イシュタルもトールハンマーを周囲に見せる。

「いくぜ、イシュタル!」

「こいッ、アーサー!」

 二人が走り出す。

 共に幼少のみぎり、同じくヒルダに戦闘のてほどきを受けた二人は、似通った戦闘スタイルを取った。
 走り、相手の隙を伺い、素早さでもって敵をしとめる。
 この繰り返しが、ヒルダの残した戦い方だった。

 牽制のサンダーが二人の間を飛び交い、間合いを詰めようとしたアーサーには雷の一撃が、イシュタルには
炎の一撃が見舞われる。

「相変わらず、足だけは速いなッ、アーサーッ」

「相変わらず、胸がなくてよかったな、姉上ッ」

「失礼なッ」

「悔しかったら、その胸、曝け出してみなッ」

 アーサーの槍のような炎がイシュタルを襲う。イシュタルは立ち止まって意識を集中させると、雷で矢を
叩き折った。

 その様子を見て、アーサーは一歩早く踏み込む。

「焼き尽くせ!」

 大技の詠唱を終え、アーサーの印を結んだ手がイシュタルへ向く。

 イシュタルは黙ってトールハンマーを構え、アーサーの攻撃を待ち受けた。

 

「ガラ空きだ!」

 突如聞こえたその声と同時にアーサーは体を捻り、イシュタルのトールハンマーがアーサーの頭上を
かすめた。
 慌てて見上げたアーサーは、上空に三匹の天馬を確認すると、そのまま転がって、飛んでくる手槍を避けた。

「イシュタル様の御手を煩わせる必要もない。このメング三姉妹がカタをつけるッ」

「メングッ? 私はその様な命を下してはいないはず……!」

「お下がりください! イシュタル様には生き残ってもらわねばならぬのです」

 思わず一歩出たイシュタルの前に立ち、メイベルがイシュタルを押し戻す。

 その間にも、アーサーはメングの攻撃を辛うじてかわし続けている。

 

 

 その様子を離れて見ていたセティが、かねてからの考え通りにフィーの愛馬に跨る。

「アーサーを援護する。ティニーは地上から、フィーは上空から、アーサーを援護だ」

「セティ様ッ」

「こうなることは予想済みだ。丁度三人で手間が省けた。一人ずつ押さえ込むぞ」

「任しといて! アーサーは誰にも殺させるもんですかッ」

 フィーがセティを乗せて空へ舞う。ティニーも慌ててその後を追い、アーサーを攻撃していたメングに
先制の雷を食らわせた。

 態勢を崩したメングに、セティの魔法が追い討ちをかける。

「クソッ」

 態勢を立て直す間を与え、セティはようやく起き上がったアーサーの隣に飛び降りた。

「無事か?」

 差し出されたセティの手を振り払い、アーサーは口許に滲んだ血を拭い捨てた。

「余計な真似を……」

「気にするな。私達三人で、お前たち二人を守る」

「……迷惑かけっぱなしだな」

「そう思うなら、妹返せ」

 半分本気のようにも聞こえるセティに、アーサーは歯についた血を拭ってから答えた。

「お互い様だろ、そりゃ」

 


 メングの参入を皮切りに、イシュタルの統制が無視された。

 ここまで幾多の将軍を倒してきた解放軍の魔道士を倒せば、望む官位は思うがまま。
 そんな考えが彼らを支配し始めたのだ。

 イシュタルが必死になって統制を取ろうとしても、もはや何の意味もなさなかった。彼らにとっては、
より高い地位へ上り、自らの命を確保することが最優先だったのだ。
 そしてそれは、イシュタルの信じるユリウスの行動によって生み出されたものだった。

「いけない……このままでは!」

 イシュタルの懸念は、一気に全軍衝突になることだった。
 全軍衝突になれば、イシュタルの軍の敗北は明らかであり、その為に危険を犯しての対決を選んだのだ。

「セリス軍が動き出す前に、止めなくては」

 イシュタルは味方に向けてトールハンマーを放ち、数人の部下を殺した。
 そして、声高に宣言する。

「このイシュタルの命に背いた者は、例え誰であろうとこの場にて抹殺する!」

 イシュタルの実力行使により、元々イシュタルの周囲を固めていた親衛隊が正気を取り戻した。

「イ、イシュタル様」

「正気に戻ったか?」

 その笑みは戦場にあってはならぬほど、美しく、儚げな物だった。

 

 イシュタルによって正気に戻った武将が、すぐさま判断を下す。

「おい、戦闘を中断しろ! いや、取り合えず後退する。戦っている部隊とイシュタル様との間を開けッ」

「急げ! そしてあの魔道士をこちらへ招くのだ」

 イシュタルは後方へ下がった隊の先頭に立ち、戦況を見つめた。

 

 

 メング三姉妹の参入に気付いたセリスは、残った手駒の中で、シャナンを中心としたイザーク隊を
出撃させた。

 唯一の騎馬兵であるヨハンが先頭をきり、すぐ背後には最強の双子が続く。

「ヨハンはとにかくティニーを探しだせ。後方はセリスが固める。ラクチェ、無理はするなよッ」

「はいッ。ヨハン、あのペガサスが目標だよッ」

「承知している。兄上、ラクチェを頼む」

「お前の心配を先にしろ。死ぬなよ、ヨハン」

 スカサハにキラリと光る歯を見せて、ヨハンが馬で突撃を開始する。

「あのバカ、わかってんのか?」

 呆れたように呟いたスカサハの肩を叩いたラクチェは、勇者の剣を抜いていた。

「一番頭いいよ、アイツ」

「……とてもそうは思えないけどな」

「兄貴?」

 無理やり首をつねられた彼女争奪戦敗北者は、すっかり女らしくなった妹を守る為に剣を抜いた。

 

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